芸人 笑い飯 哲夫さん

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■写経をしながら浮かんできたネタ

子供の頃、月命日になると家にお坊さんが来て、仏壇の前で般若心経を唱えてはりました。僕は子供やったんで、意味はわからんかったんですが、時々かっこいい響きがあったんです。サンスクリット語の音の響きって、いいですよね。

でも、これをかっこいいと思っているのはたぶん自分だけやろうし、それがバレたら恥ずかしかったので、親や友達に言わず、密かにいいなと思っていました。

実は、親に「この子えらい墓参りに行きたがるな」と不審がられるくらい、墓参りが好きやったんです。なんかね、墓参りに行くと心地いいんです。お墓に手を合わせるとき、「片思いの女の子と付き合わしてくれへん?」なんて頭の中で邪道なことを考えたりしていましたけど。

大学は哲学科に進学しました。最大の理由は、名前に哲学の「哲」が入っているから。でも、西洋哲学が主体で、「なんかいまいちやな」と思って、自分で勝手に般若心経や仏教のことを調べるようになりました。写経もこの頃から始めたんですけど、本格的なものではありません。

お笑いの道に入るようになって、ネタを考えるときに「手を動かしていたほうが、ネタが思い浮かぶかも?」と思って、ノートに般若心経を書いたりしました。ずっと誰にも知られんとやっていたのに、28歳のときに、相方や芸人仲間にバレてしまったんです。「おまえ、何してんねん! 気持ち悪いわ」といじられ、挙げ句の果てに「般若心経の本を書かないか?」という依頼まできてしまいました。

でも、般若心経という堅いお題が与えられて、そこにボケを乗せられるとしたら、面白いんやないかと思いました。コントや漫才でも、堅い設定のほうがボケを入れやすいんです。だから『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経』は自分なりの般若心経の解釈本ですが、ネタを作っているような感じでした。

僕がお笑いのネタを作るとき、みんながわかるようなことを題材にするんですけど、般若心経はそうではありません。みんなが知らないことをどうボケで伝えるか、というのは新しい試みでしたね。

例えば突拍子もない設定のコントの場合、変やけど、その中にみんなが「あるある」と感じることが入っているかどうかが鍵になります。だから、般若心経を読み解く過程でも「あるある」をたくさん入れたつもりです。それに、100年後でも内容が古くならないようにしたかった。だから、毛嫌いする人もいるけど、あえて「うんこ」を例えに出したりもしました。時事ネタと違って、古さを感じずに笑える単語と思ったからです。

僕自身は般若心経を心の支えにしているというよりは、一つの哲学や考え方として面白いな、というふうにとらえています。でも、般若心経をおまじないのような感覚で頼っている自分もいるんです。

例えば僕は飛行機がすごく怖いんですけど、飛行機に乗る前は、頭の中で般若心経を唱えないと気が済まない。唱えておくと「この飛行機は絶対に大丈夫や」って思えるんです。無事に着陸できたら、また般若心経を唱えとかんと申し訳ない。

僕らは漫才コンテストの「M-1グランプリ」に9年連続で決勝に進出したんですが、なかなか優勝できませんでした。

自分たちのネタが終わり、ほかの人がネタをやっているとき、頭の中で般若心経を唱えながら、「ウケんとってくれ〜、滑ってくれ〜!」と思ってました。でも、僕が般若心経を唱えることによって、「相手にご利益を与えてるんちゃうか?」と思ったりして。複雑な感情が入り交じってましたね(笑)。

結果発表の瞬間なんて、やっぱりすごくどきどきするわけです。このときも頭の中では般若心経がぐるぐると巡っていました。唱えていたら優勝できそうな気がするんです。でも、何回挑戦しても優勝できなかったんで、必ずしも役には立ってない。気休めですね。

2010年12月の10回目の大会でようやく優勝できたんですが、そのときも「頼むわ頼むわ、観自在菩薩……」って唱えてました。優勝が決まった後、お礼のためにもう1回唱えたりしましたね。

自分が「精神的に辛いな」と思うときに般若心経を唱えることはないです。でも、「M-1グランプリ」のように自分たちがベストを尽くし、あとは競っているライバル次第だったり、飛行機のようにパイロットの腕次第だったりと、自分ではどうすることもできないということがあります。そういうときは自然と般若心経に頼らせてもらっている感じです。

■「空」を理解し「慈悲」の心に至る

ところで、般若心経に「能除一切苦 真実不虚」という個所があります。「知恵の完成は、一切の苦を取り除くことができ、これこそ真実であり、偽りがない」という意味ですが、ここでいう「知恵」は学問や知識のことではありません。

この世で認識できるものはすべて「物質的現象」だというのが仏教の概念です。この「物質的現象」は実体がないと考えられており、実体がないという概念を漢字1文字で表すと「空」になります。回りくどくなりましたが、「知恵」とは、「空」の概念を知ることなのです。

この世に存在するすべてのものを、一旦ドロドロした液状のものにしてみます。自分も草木もゴミも、ドロドロしているものの中で、偶然形づくった何かがたまたま自分となって現れているだけであり、すべては繋がっているのです。

僕も時々、誰かのことを「こいつのことがめっちゃ嫌いやわ」と思いそうになることもあります。そんなとき、般若心経を思い出し、「僕もあいつも元はドロドロしたものの一部にすぎない」と思うと、少し心が落ち着きます。また、道路の片隅に落ちていた汚いゴミも、はじめは躊躇するでしょうけど、自分の一部やと思えば、拾って捨てることもできます。

つまり全部が自分であり、自分は全部の一部なんやな、と思うんです。自分を傷つけることは人を傷つけることであり、その逆も同じ。それが「慈悲」ということなんじゃないんでしょうか?

自分の根本をどう考えておくかで、そこに「慈悲」が生まれるのか、わがままな性格になるのか、というのも変わっていくような気がします。そういえば「慈悲」って言葉も初めて聞いたとき、「かっこええ響きやな」って思いました(笑)。

般若心経って、誰もが知っているわけではないけど、もしかしたらみんなも唱える機会があるかもしれないお経です。せっかくなら意味を知らんと唱えるより、わかってから唱えるほうがちょっとおもろいじゃないでしょうか?

でも、自分の本で一番伝えたかったことは「哲夫って面白いな」ってことです。こんな堅い般若心経というネタも面白く仕上げられるんや、ってことが伝われば1番うれしいですわ。

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芸人 笑い飯 哲夫
1974年、奈良県生まれ。関西学院大学文学部哲学科卒業。2000年に西田と「笑い飯」を結成。物心ついたときから般若心経や仏教に興味を持つ。著書に『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経』(ヨシモトブックス刊)。

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(吉川明子=構成 熊谷武二=撮影 若杉憲司=写真)