信奉者はいまだに多く

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第78回は俳優の原田芳雄さん。どこまでもシブく、カッコいい原田さんでしたが、その素顔もしびれるエピソードばかりです。

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暮れの餅つき大会

 芸能人に「今の自分があるのは、あの人のおかげ」というテーマでのインタビューや、これまでを回顧する連載をお願いした際、エピソード中に登場することが多い「ベスト3」に入るのが原田芳雄だった。亡くなって15年も経つのに(享年71)、いまだに「芳雄」を信奉する人は大勢いる。

信奉者はいまだに多く

 原田が慕われるのはスケールの大きさや無限の包容力、サングラスの奥からこちらを射抜くような視線……等々が理由だろう。しかも、それが演技とピタリと重なるのがすごい。「完成度」という言葉は、この人のためにあるのではないかと思ってしまうほどだ。

 こんなことを書くと、熱心なファンの方から「芳雄のことを知りもしない人間が偉そうなことを言うな」といわれそうなので、いくつか具体的な話に絞ってみたい。

 原田といえば、有名なのが暮れに自宅で行われる「餅つき大会」。それを知ってから自分で取材した時も、ライターにお願いした時も、原田といえばこの話題に拘った。芸能界でここまでファミリー感や一体感のある集まりは、原田邸の餅つき大会か石原プロモーションの新年会しかないと思う。

 江藤潤(74)は映画デビュー作の「祭りの準備」で原田と共演し、以来、原田組の不動のメンバーになった。ザ・ドリフターズの故・仲本工事がやっていた焼き鳥店「仲本家JUNKAの台所」に筆者が取材で出かけた際、江藤が手伝いに来ていて飲みながら焼き鳥を焼いていた。それからしばらくして、江藤と同年代の4人よるイベントがあり、取材させてもらうことになった。餅つき大会のことを聞く、千載一遇のチャンスが巡ってきたと思った。

 江藤には「私の酒人生」というテーマで伺ったのだが、こんな風に語った。

〈芳雄は僕の仲人もやってくれて、家族ぐるみで付き合っていた。毎年12月28日にやるその会に家族みんなで参加して。芳雄は8年前に亡くなったのに今も続いているんですよ。

 昔は松田優作、水谷豊、桃井かおり、大楠道代、安岡力也、桑名正博、長谷川和彦監督…入れ代わり立ち代わり、トータル300〜400人も来てワイワイ。なぜか毎年、安岡力也と長谷川和彦監督が「なんだテメエ!」ってケンカを始める。僕は仲裁に入ろうとするんだけど、2人はデッカイから「潤、どいてろ!」なんて吹っ飛ばされていました(笑)。芳雄はバーボンをロックで飲みながら見物してた。殴り合ってた2人もしばらくしたら「悪かったな」って握手して仲直り。また一緒に飲んでた。鼻血出しながら(笑)〉

 どれだけ愉快な集まりなのか、本当に目に見えるようだ。ちなみに、原田が飲むのはバーボンのI.W.ハーパーと決まっていたそうだ。

「キンタは家族だから」

 原田夫人の章代さんが企画・監修した『原田芳雄 風来伝』(日之出出版)にも「餅つき」という項目がある。餅つきの様子や集まった人の写真が何枚も掲載され、その中には長く親子の確執が言われていた故・三國連太郎と佐藤浩市(65)のツーショットもあったりして、実に興味深い。

 その本の中で、原田は集まる面々についてこう語っている。

〈魚おろし、カレー、おでん……と、オーソリティが何人もいますし、中にはプロの料理人もいる。うちにはプロ用の道具も揃っていますから〉

 このうち、カレーを任されたのは金山一彦(58)。金山には2度、餅つき大会のことを語ってもらった。金山は餅つき大会をサポートしている佐藤浩市、勝村政信(63)、松尾貴史(66)、杉本哲太(61)らのメンバーが集まる飲み会に誘われたのがきっかけで、原田宅に出入りするようになった。

「あの人のおかげ」をテーマにしたインタビューでは、金山は原田の長男・喧太(56)とも友だちで、喧太が「キンタ(金山の愛称)はコックやってたから、料理が上手だよ」と原田に紹介したという。そして……。

〈「じゃあ、餅つきのカレーを作ってくれないか」って気さくに言ってもらえたんです…早速、その年の暮れにカレーを作りました。それを食べた芳雄さんが「うまい! 毎年作ってくれ」と〉

 以来、金山は餅つき大会のカレー番になった。そんな金山にかけた、原田の言葉が胸に染みる。

〈うれしかったのは、落ち込んでいた時に言葉で助けてくれたこと。一番心に残っているのは「キンタは家族だから」。父親のいない僕には、オヤジみたいな存在でした〉

「えにしの縁だぞ」 

 原田は誰に対しても優しい眼差しを向けていたということだろう。こんなエピソードもある。

 人間の怨念を歌い上げる歌手、山粼ハコ(69)も原田の包み込むような優しさに助けられた一人だ。

 原田はハコにとって憧れの人で、高校生でデビュー後、原田に出会った。デビューアルバムは「飛・び・ま・す」。彼女へのインタビューで語られた、出会った時の原田の第一声は〈「飛・び・ま・す」聴いてるよ〉だったという。怖いイメージやあまりしゃべらないというイメージだったのでハコは拍子抜けした。そして〈「普通の高校生だろ。でも、歌は天才的」〉と素直に評価してくれた。新人にとってこんなに励みになる言葉はないかもしれない。

 しかしその後、原田に怒鳴られた。90年代、所属していた事務所が解散、家賃も滞納するような有り様で途方にくれていた。それを知った原田は、

〈ハコは親もいないし、彼もいないから、ひょっとして“ひとりっきり”と思っていないか。そんなことはない。ハコの歌が好きで聴いているヤツ、いっぱいいるんだ。オレも好きだし、ハコの歌が聴けなくなったら、寂しいヤツいっぱいいるんだ。第一、オレが寂しいだろ!〉

 名優でこんな言葉をかけてくれる人は、芸能界広しといえど、なかなかいない。その後だが、〈原田がふと「ハコの歌は『縁歌』だなあ。えにしの『縁』だぞ」とつぶやいた〉こともあったそうだ。原田はハコとの縁を大切にしていたのだ。

 来るもの拒まずの餅つき大会とか、孤独な女性への思いやり。おこがましいかもしれないが、そこに原田芳雄の人間性が集約されている気がする。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部