【バングラデシュ人が移住】東京・東十条が「リトル・ダッカ」になっていた…!「父」と呼ばれる男が明かす、日本人の知らない「意外なビジネス」
東京都北区・東十条。下町風情が残るこの町には、もう一つの顔がある。
都内の自治体として最多とされる2071人のバングラデシュ人が暮らすこの場所は同国の首都・ダッカになぞらえ「リトル・ダッカ」と呼ばれている。そのきっかけとなったのが約40年前、来日したカウサル・ブヤン氏(62歳)だ。東十条はいかにしてバングラデシュ人が集うエリアとなったのか。
前編記事『東京・東十条に「バングラデシュ人が大集結」していた…日本を”永住の地”に選んだ「納得の理由」』につづき、「リトル・ダッカ」の父・ブヤン氏がその歴史を明かした。
「リトル・ダッカの父」が明かす誕生秘話
およそ40年前に語学学校に通うために単身で日本を訪れたブヤン氏。2年間の猛勉強の末、無事に卒業した彼が選んだのは日本での起業だった(以下、鍵括弧内はブヤン氏)。
「その頃はまだ日本にはハラルフード(イスラム教徒が食べられる)を扱う店舗が少なく、自分の体験からお店を出せばすればきっとお客さんが来てくれるだろうと感じていました。卒業後すぐに食材を販売するフードショップをオープンしました。お店の場所は住んでいた東十条にしました」
ブヤン氏の予感は的中。開店直後から店には多くのお客さんが押し寄せた。
「ありがたいことにオープンからお客さんはたくさん来てくれました。フードショップは今でも続けています。会社を起こして、しばらくして日本人女性と結婚しました」
日本で家庭を持ち、ビジネス面でも成功したブヤン氏。次第にバングラデシュから語学を学びにくる学生たちが彼を訪ねて東十条へ足を運ぶようになったという。
「最初はお店のお客さんの親戚が日本語を学びたいというので、語学学校を紹介しました。その子がまた日本語を勉強したいという知り合いをバングラデシュから呼び、またその知り合いを頼って…と徐々にバングラデシュの人たちが東十条に集まるようになっていきました」
15年の月日をかけて建設した「モスク」
当時、ブヤン氏もまたそんな学生たちのサポートを行っていた。
「日本での暮らしについての相談はたくさんありました。ビザの手続きはもちろん、仕事の紹介や私が保証人になって家の用意もしました。学生たちはお金がありませんから、そこをシェアして暮らすようになりました。だから東十条にバングラデシュ人が集まるようになっていったんです。地元の日本人のかたたちには、本当にたくさん助けてもらいました。実際、学生さんたちが住む部屋は私がお世話になっていた日本人のかたが貸してくれた場所です。今でも感謝しています」
ブヤン氏を頼って、東十条で生活を送るようになったバングラデシュの人々。そんな同エリアが「リトル・ダッカ」と呼ばれるようになったのは10年ほど前のこと。一方、ブヤン氏が来日して15年ほど経った頃にはこんなプロジェクトが始動する。
「それまでイスラム教徒のお祈りはそれぞれが自宅で行っていましたが、多くのムスリムが暮らすようになると、みんなが集まれるモスク(イスラム教徒の礼拝堂)があればいいのではないかという話になりました」
かくしてスタートしたモスク建設計画。ブヤン氏もまた知人たちとともにモスク建設に奔走する。
「仲間たちとともに全国のモスクを回って、建設のための寄付を募る活動を始めました。15年かけて9000万円が集まり、10年前には東十条にモスクを作りました。完成したときはそりゃ嬉しかったです」
東十条のモスクでの礼拝は1日5回に分けて行われ、なかでも神聖な1日とされる金曜日は多いときには600人ほどの教徒たちが集まり、祈りを捧げるのが日課となっている。
日本人が知らない「意外なビジネス」
ブヤン氏はバングラデシュ人コミュニティのまとめ役として地元の日本人との交流は欠かさないという。それゆえほかのエリアに比べ、地域でのトラブルは少ない。
「一緒にお茶を飲んだりして、今も交流は続けています。日本人は優しいし、正直な人ばかり。みなさん、仲良くしてくれます。今は私以外にもバングラ人のお世話やアドバイスをする仲間も増えてきて、日本の暮らしについての注意点やルールの違いなどもレクチャーしています。だから東十条ではほかのエリアに比べて問題は少ないと感じています」
現在、ブヤン氏はフードショップのほかに共同オーナーの1人としてリサイクルショップを経営。店内には冷蔵庫や電子レンジ、炊飯器、ガスコンロなどのあらゆる生活家電が並んでいる。
「バングラデシュや海外から日本に来る人たちのなかには、費用の問題で新品の家電を買えない人もいる。お店を始めたい人も同じです。そういう人に向けたリサイクルショップをオープンしました。修理は自分たちで行っています。リサイクルショップは私たちのほかに何店舗かありますね。あとは車関係。家電同様に修理して、販売しているバングラデシュ人もいます。最近は日本企業に就職して働いている人も増えてきました」
互いに文化を理解し合い、共生を続ける東十条の人々。そこにはリトル・ダッカの父・ブヤン氏のたゆまぬ努力が隠されていた。
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