Netflixシリーズ『ONE PIECE』©尾田栄一郎/集英社

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 2023年にNetflix版のドラマシリーズとして配信された『ONE PIECE』シーズン1。多くの視聴者に支持されただけでなく、そこには人気漫画の実写化という枠組みを凌駕するインパクトがあった。配信開始から数日で世界84カ国において視聴ランキング1位を獲得し、当時『ストレンジャー・シングス 未知の世界』(シーズン4)や『ウェンズデー』といった同Netflixの看板作品を一部で上回るスタートダッシュを見せ、日本の漫画作品の実写化が世界的な社会現象となり得ることを証明したからである。

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 この商業的な成功を支えたのは、多額の製作費と労力を注ぎ込んだ、リッチな映像表現であることは言うまでもない。だが、それ以上に原作ファンや一般的な視聴者を驚かせたのは、それらが漫画独自のファンタジックな世界観を再現することに集中して使われたことだった。

 かつて日本の人気作品のアメリカでの実写化企画では、現地でのローカライズと、できる限り広く観客に作品を届けるためのテコ入れにより、大胆な改変がおこなわれることが少なくなかった。例えば『ONE PIECE』でいえば、舞台を現代のアメリカに変え、卒業旅行の船旅をする高校生たちが成り行きで海賊と海戦を繰り広げるといった内容にされてしまうこともあったかもしれない。

 そんなことになってしまえば、そもそもなぜこの原作を選んだのかという話にもなってくる。原作の世界観を守るという立場をとり続けることが大きな成功を収めたという意味においていえば、本シリーズの成功は大きな前例を残したといえるだろう。

 そんな支持の追い風を受けて、今回製作されたシーズン2では、同様のフォーマットがそのまま継承されている。シーズン2から舞台となる「グランドライン(偉大なる航路)」では、人智を超えた不思議な光景や、巨大鯨ラブーン、巨人族といったファンタジックな存在が登場する。そして、いかにも漫画的なキャラクターであるチョッパーがついに出現するエピソードにも注目が集まる。

 あらためて思うのが、ルフィを演じる主演のイニャキ・ゴドイをはじめとするメインキャストの俳優起用の適切さだ。外見はもちろんのこと、キャラクターが内包する性質までをも見事に捉えた人選。人種的な多様性を尊重する試みにより、作品全体に開かれた多国籍な印象が漂う。シーズン2では、ゾロ役の新田真剣佑の肉体美なども話題となっている。

 新キャストのなかで、とくに輝いているのが、ミス・ウェンズデー役のチャリスラ・チャンドラン。南インド・タミルにルーツを持つイギリス出身の俳優だ。当初、彼女の肌の色について、一部で心ないバッシングが起こったようだが、彼女の強い眼光と漂う気品は、役柄にベストマッチしているといえよう。

 若者たちが故郷を離れ、夢に向かって帆を上げるまでを描く内容がシーズン1だったとするなら、シーズン2の幕開けは、その高揚感を冷ますような“洗礼”が用意されている。ルフィたちが突入したグランドラインは、もはや彼らが知っている海ではない。方位磁石はその機能を失い、気候は不規則に荒れ狂う。太古の恐竜や巨人族が闊歩し、バイキングのような戦闘に生きる価値観が息づいている「リトルガーデン」が象徴するように、これまでのやり方が通用しない環境に飛び込まざるを得ないのだ。

 しかし、このあたりが『ONE PIECE』の真骨頂でもある。それら見知らぬ世界の文化や環境に一度は身を置き、それ自体をも楽しもうとするルフィたちのポジティブな姿勢が気持ちいい。“海賊による略奪”や“大航海時代における征服や搾取”といった、マイナスイメージから距離を置いた海賊団の船旅が、そんな彼らの冒険に価値を与えているのだ。原作漫画においては表現上の問題もないわけではなかったが、その点、現在の感覚で練り直したドラマシリーズでは、より安心して鑑賞することができるのも、新たな映像化の利点だ。

 さらに物語は、雪に覆われた国の政治的な問題にも広がっていく。『ONE PIECE』のエピソードにおける一つの定型である、圧政と被支配者の蜂起の構図が、ここでは分かりやすく提示される。なかでも医師・Dr.ヒルルク(マーク・ハレリック)とチョッパーとの交流は、典型的な人情物語だからこそ、最近では見られないような、ストレートに涙を誘おうとする人間ドラマを味わうことができる。この箇所は、第1シーズンも含めた本シリーズでの白眉といえるだろう。

 ここでヒルルクから発せられる「この国は病んでいる」という言葉は、国家というシステムの機能不全を、人体の健康状態で表現するという、医師らしい社会批判となっている。17世紀イギリスの思想家トマス・ホッブズはかつて、秩序を守る絶対的な権力体を巨大な人工的人間「リヴァイアサン」になぞらえた。ホッブズは強いリーダーが“頭”となり、自由を一部縛ることで、国民を統制することが正しい道だと主張したのだ。

 しかし本作において独裁者ワポル(ロブ・コレッティ)が提示したのは、医療技術の独占による強権的な秩序の維持。そんな暴政によってワポルが地位を追われることになる構図は、“国家”が自らの肉体が病魔に蝕まれても、何も治療しないのと同じことではないのか。それでは国自体がやがて維持できなくなってしまう。

 この政治風刺は、国のトップが利己主義者だったら、秩序も何もあったものではないということを示すという意味で、「リヴァイアサン」の弱点を潜在的に指摘しているといえる。これは、たとえば日本の政治家が国民の医療負担を増やそうと呼びかけるような構図にも重ねられる。

 そんな社会を変えようと、命をかけて動き出すヒルルクの高潔な魂は、ルフィの義理人情を尊ぶ、善なる海賊としての“侠客”精神にも接続される。ルフィがヒルルクの遺した旗を、身を挺して守ろうとする行為は、異なる立場からの“魂の感応”といえる。この精神的継承が、やはりヒルルクの意志を継ごうとするチョッパーの心を開くことになるのだ。

 多くの人々は、成長して社会に順応していく過程で、立場に構わず社会の矛盾にぶつかろうとする、ヒルルクのような一種の“狂気”を捨て去ることを強要される。だがルフィはここで、その狂気すらも“仲間の夢”として引き受け、譲れない信念を通そうとする。それは、ルフィ自身が“迎合”という意味での成長を拒んでいるキャラクターだからだろう。

 現地の文化は尊重するが、それがもし邪悪なものであり、人々を傷つける利己的なものであるならば、ゴムゴムの能力でぶっ飛ばそうとする。そんなルフィだからこそ、そこに共鳴する純粋な仲間たちが集まってくるのだ。こうした“侠客”精神が、本シリーズのカタルシスの核にあるものだろう。

 とはいえ、このドラマシリーズが成功すればするほど、避けて通れない巨大な“壁”も姿を見せるはずだ。現在、尾田栄一郎による原作は1100話を超え、物語はいよいよ最終章へと突入しているようだが、ドラマの方は、シーズン2を終えた段階で、全体からするとまだまだ序盤も序盤である。製作陣は、理想として12シーズンを目指していると語っているが(※)、このペースでそれを完遂するのは困難かもしれない。

 キャストたちの肉体的な加齢、製作費の維持など、条件面を考えても、物理的な制約が少なくない。とはいえ、好評が続くうちは、いろいろとやりようがあるものだ。特定のエピソードを映画版というかたちで切り出したり、ストーリーを圧縮するなど、可能性はさまざまに存在する。本シリーズ『ONE PIECE』は、日本の漫画原作実写化におけるトップランナーの一つとして、今後たどる道のりもまた、注目されることになるだろう。

参照※ https://deadline.com/2023/09/one-piece-producers-manga-luffy-interview-1235544012/

(文=小野寺系(k.onodera))