泉ピン子が語る<夫の隠し子騒動>の当時。体重は40キロに減少、円形脱毛症まで…「あの頃は、いちばんつらかったかもしれない」
18歳で歌謡漫談家としてデビューし、ドラマ、舞台、映画、講演など、多方面で活躍されている泉ピン子さん。ご自身の人生を振り返り「色々と言われてきたけど、私はずっとただがむしゃらに、目の前のことに一生懸命向き合って、正直に生きてきた」と語ります。そこで今回は、泉ピン子さんの著書『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』より一部を抜粋して、波乱万丈な人生をお届けします。
【書影】災い転じて福となす…あたし流、生き方の極意。泉ピン子『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』
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どこの子ですか?
もちろん結婚生活は、幸せなことばかりじゃない。
ある時期、夫に“過去に作った子ども”の存在があると知った。この話はもう何度もしているけど、当時は大きく報道された。
笑っちゃうわよね。自分の子どもには同じ思いをさせるのが嫌だって言ってたら、よそに子ども作られちゃったんだから。
最初に「夫に子どもがいる」って知ったとき、「え、どこの子?」って尋ねちゃったわよ。「どちらさんの?」ってね。明日、週刊誌にその記事が載ると聞いても、自分で飲み込むまでに時間がかかった。
要するに、夫の裏切りよね。私自身はまったく気づかなかったのよ。仕事も忙しかったし。
でもそれを知った私はとっさに、「かばわなきゃ」と思った。
普通なら夫が他の女と浮気して、隠し子もいて、「裏切られた、ひどい!」と思うかもしれないけど、私はそのとき「あの人が叩かれることは避けよう」と思ったの。
なぜかっていうと、私が結婚して数年の間にもいろんなバッシングを受けたとき、あの人は電車通勤でずっと週刊誌の中吊り広告を見ながら、嫌な思いをいっぱいしたんだろうから。
普通の女性と結婚していれば経験しなくて済んだことを、私と結婚したことであの人は背負ってしまったのよね。
それに私は結婚するときに、「あなたはやっぱり真夏の暑い日に家に帰ったら、冷えたビールと冷たいおしぼりを出してくれる女の人がいいんじゃないの?」ってずっと言ってきたのよ。それでも私を選んでるんだから、やっぱり守ってあげようというのが強かったと思う。
ある人に言われた。
「私がもしもあんたの旦那さんの親だったら、あんたを怒鳴り飛ばすわ。だって、あんたが女優だから夫である息子が目立つのよ。相手が一般人だったら、浮気してようと隠し子がいようと世の中によくある話じゃない」
それもまあそうよね。離婚している人だって、いまどきたくさんいるわけだし。
馬鹿だからとにかく守らなきゃと思って、「よし、2人が悪者になる前にかばってやろう」とすぐに記者会見を開くことにしたの。
涙の記者会見で批判を受けて
夫との件が発覚してすぐ、橋田ママ(脚本家・橋田壽賀子さん)には電話でどうしようかと相談して、「迷惑かけるし、『鬼(『渡る世間は鬼ばかり』)』は降りる」と伝えた。そしたら「ダメだ」って言われたのよ。
「お前が悪いことしたわけじゃないだろ」って。そして「泣け」「嘘でもいいから泣け」って指示されたの。
あんたは夫からのラブレターをたくさんもらってたんだから、会見にそれを持って行って泣けば同情が集まるってね。
当時は赤坂のマンションに住んでいて、TBSで会見をすることになった。記者たちに会わないように地下からテレビ局に向かうと幹部たちがやってきて、彼らが涙ぐんで私を見てたの。
「私ってそんなに可哀想なの?」と、つらくなった。
いざ会見を開いて、泣けと言われたことを思い出して途中で泣いたら本気で涙が出てきてさ。そしたら同情が集まるどころかまったく逆よ、泣きすぎだってバッシング。あんまりでしょ!
ママ、三流作家じゃないの! と心の中で恨んだわ(笑)。
でも泣かなかったところでどうせ「しぶとい女だ」とか言われるだろうし、じゃあどうすりゃいいのよって感じよね。
会見では、当時のスクープやらを担当していた記者が、「なんで子どもを産まなかったんですか?」と質問してきた。それはさ……言葉が詰まったわ。
今なら記者が袋だたきにされるような発言よね。子どもは欲しかったけど、しょうがないじゃない。それを聞いてなんになるの?
どうすればいいかわからなかった
隠し子騒動が発覚してしばらくした頃、円形脱毛症になった。鏡みたら右半分が禿げてたのよ。あの頃は、いちばんつらかったかもしれない。
ママが『鬼』の撮影も休みにしてくれて、しばらくどこにも出かけず家にずっといた。

(写真提供:Photo AC)
一緒のベッドルームにも入りたくないし、ずっとリビングのソファーで寝て。何も食べずにいたからどんどん痩せて40キロくらいになった。夫が心配して「なんか食べに行こう」と言うんだけど、ふざけんなよ、お前のせいだよ、と思った。
出て行こうとしたら、夫は「僕も一緒に出る」って言うの。意味わかんないわよね。正直、殴ってやろうと思ったこともあった。誰のせいでこうなってんだよって。
あとから、どうやって乗り越えられたのかと聞かれることもあったけど、どこで、どうやってあの波を抜けたのか、本当にわかんないの。
そのときは何も考えてなかった。もうただ、空(くう)をみつめているというか……「これからどうしよう」もない。別れるとか、この先どうするかとかも考えられなかったの。
そもそも、こういうことになったら別れるというのは最初から思っていたから、話し合うこともなかった。
だから、あんたは、するな
何日間かたって夫に「どうしたいの?」って聞いたら、図々しくも「別れたくない」っていうのよ。嘘でしょう。
「私はお金に困らないから、私が出ていってもいいわよ」と伝えたら、「嫌だ」って。
もう何も考えたくなくて、荷物をまとめて家を出ようとした。玄関を開けようとすると夫もついてきて、2人してポンと外に出て……「どうするのよ」って、顔を見合わせた。
「僕も一緒に家を出て、出て行った先で一緒に住む」って訳わかんないことを言うのよ。
「相手とは結婚する気はなかった」っていうし……。
森光子さんと橋田ママからは、「絶対に別れるな」って言われた。
「別れたら『捨てられた』『選ばれなかった女だ』って一生涯言われるのよ」って。
特に森さんは、ご自分のつらい経験も踏まえて言ってくれていた。彼女は舞台の昼公演と夜公演の合間にご主人に呼び出されて、劇場のすぐそばで「子どもができたから」と離婚届を出されたんだそう。
「悔しい思いを私はしてるのよ。だから、あんたは、するな」って。
※本稿は、『ピン!として逝くのもいいじゃない ピン子78歳、最後に残したい言葉』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

