愛しているJ! Jリーグ2023開幕特集


昨シーズンを11位で終えたサガン鳥栖の川井健太監督

 2022年11月3日、鳥栖。J1リーグ最終節のサンフレッチェ広島戦を翌々日に控えたスタジアムで、サガン鳥栖の川井健太監督の声が響いていた。太い声ではないが、不思議なほどによく通った。

「いいパスじゃないと戻ってこないよ」「今、言ったのはヒントね!」「長いボールじゃないよ、長いパスね」「おそらく、次の試合はこういう景色になるから」......。

 概念的、抽象的なものを、端的に具体的に選手へ伝えていた。論理的だが、説明的ではない。ロックンロールのようなスピード感のある練習のなか、川井監督が発する言葉がシャウトするサビのように響いた。

 そんなトレーニングの積み重ねが、11位という順位以上の"躍進"を生んだのだろう。

 昨シーズン、川井監督は「残留」をひと言も口にせず、最低条件をクリアした。J1の控えに甘んじ、あるいはJ2でくすぶっていた選手を束ね、ボールを握った能動的サッカーを実行。横浜F・マリノスや川崎フロンターレという強豪とも真っ向から渡り合った。サッカー関係者の間では「どんな回路があるの?」と話題になり、多くの指導者が練習場に視察に訪れたほどだ。

 しかし、川井監督自身は無名に近かった。J2の愛媛FCを監督として率いていたものの、成績は特に目立たず、一昨シーズンはJ2のモンテディオ山形でコーチだった。選手としてのキャリアもないに等しい。

「川井・鳥栖」

 それに賭けたクラブの「強化」に奇跡の出発点はあった。

「2018年に(川井)健太さんが愛媛で監督をしていて、試合を見ながら"若くシュッとした監督が出てきたな"と注目していた。戦力的なところでうまくいかないところはあったけど、(チームとして)何がやりたいかわかる、というのに惹かれました」
 
 昨年11月、新たにスポーツダイレクター(SD)に就任した小林祐三は、そう振り返る。小林は柏レイソル、横浜FM、そして鳥栖でDFとして長く活躍。昨シーズンはそれまでも実質上はスポーツダイレクターに近い強化担当者として活動しており、川井監督の招聘を強力に推し進めた人物である。

【開幕戦から「正面からぶつかる戦いを」】

「自分のラジオにもゲストで出てもらって、とにかく言葉選びが面白いし、頭がいいなって思いました。その後、2021年シーズン、健太さんが山形でコーチだった時も気になり、関係者に聞くと『すごくいい』って。鳥栖の強化に入ることになった時、まずは新監督を決めるのが大きな仕事のところで、いろんな候補の名前が挙がりましたが、自分のなかでは健太さん一択でした」

 当然、周囲の不安はあったという。「J1での経験はないが、大丈夫か?」という心配は聞こえたし、「誰ですか??」という選手もいた。そもそもシーズンを前に20人近い選手が出ていって、前評判も「降格圏」だった。しかし小林は、キャンプに入ってすぐに手応えをつかみ、開幕の広島戦で確信に変わったという。

「広島戦は緊張しました。現役時代のデビュー戦を思い出しましたよ」

 小林SDはそう言って笑みをもらす。

「結果は、キャンプからやってきたことが出たなって。難しい条件が重なったなか(アウェー、大雪、多数の欠場選手)、選手たちがよくやってくれました。試合前の監督の演説は泣きそうで、こんな監督のもとでプレーしてみたかったですよ。引き分けでしたが、なんで勝てない、でも、なんとか勝ち点を拾った、でもない試合で、方向性を示せました。"1年間は置きにいかず、正面からぶつかる戦いを"というスタートを切れました」

 そして強化の予想を上回るスピードで、チームは進化を遂げた。

「今までと評価がガラリと変わった選手が多いですね。他のクラブからいっせいに標的にされるくらいに」

 小林は言う。J1で定位置を奪えず、J2でどうにか踏ん張っていたような選手からセレクトしたが、小さなシンデレラストーリーになった。

「健太さんを軸に、選手たちがどんどん変わっていきました。たとえば(西川)潤は最初、覚悟が決まっていないな、という感じが見えていたんです。それが数カ月ですごく変わった。交代出場で20、30メートルを追いかけ、全力でスライディングタックルをするなんて、これまでの彼では考えられなかった。(第33節の)湘南(ベルマーレ)戦でも、相手からボールを取り返してファウルを受けてPKというシーンがあって、『ドリブルで仕掛けてPKはあっても、これはなかっただろ?』と言いました」

【昨季は始まりの一歩にすぎない】

 J2でもがき苦しみ、東京五輪代表も落選した岩崎悠人は、日本代表に選ばれている。「天才レフティ」のまま燻っていた堀米勇輝も、鮮やかなFKを直接叩き込むなど覚醒。宮代大聖(現川崎)も、「本格派」の正体が見えてきた。ジエゴ(柏)、福田晃斗、小泉慶(FC東京)、原田亘、田代雅也なども額面以上の活躍を見せた。急激にポジション争いが激しくなり、チーム力も着実に底上げされた。

 小林にとって、昨シーズン至高の一戦は横浜FM戦(第22節)だと言う。相手のレベルの高さに感化されたのもあった。自分たちの力が引き出された感覚で、真っ向勝負でボールを握り、互角に戦うことができた。宮代が決めたゴールは理想に近かった。全員が前向きでボールを触って、迫力を持ってゴールに殺到してネットを揺らした。

「でも、昨シーズンは土台であって、始まりの一歩を踏めたにすぎないと思っています」

 小林は静かな口調で言った。

「新シーズンは、単なる延長線上にあるものではなくて。仮説をもって実現する、ということを繰り返しやっていきたいですね。健太さんには、何かを要求することはなく、どうやって選手のよさを引き出し、いろんなことを解決していくのか、指導者としての余白を残し、一緒に見守りながらやっていきたいと思っています」

 彼が川井監督に余白を残すように、川井監督も選手にヒントを与えるだけで、答えは各々が出す構造ができあがっている。クラブにいる全員がそれぞれ考える「個人主義」が生まれたことによって、チームの魅力を増した。プレーモデルは大事だが、そこからはみ出せるプレーこそが相手を苦しめ、味方を助けるのだ。

「何も知らない1年目のほうが、囚われずにできたのもあって。それでうまくいった、なんてことはよくあることで、それかもしれないよ、って周りには話しています」

 小林SDは悪戯っぽく笑った。川井・鳥栖2年目の心づもりはできていた。