室屋義秀は苦笑いを浮かべ、少し面倒くさそうに、それでいて、やはりうれしそうに口を開いた。

「忙しくて、とにかく大変だった」

 およそ1カ月前、千葉で行なわれたレッドブルエアレース・ワールドチャンピオンシップ第3戦で、念願かなって初優勝を果たした室屋は、その後しばらくの間、多忙な日々を送ることになった。次々に依頼が舞い込む取材をこなし、地元・福島では表彰も受けた。多方面での祝賀イベントも多く、自分が成し遂げたことの大きさを、あらためて実感することになった。

 室屋は前回の第3戦を、「レースに入ってしまえば、日本開催であってもいつもと同じ。そんなに意識しないようにしていた」と振り返る。だが、こうして実際に優勝してみると、地元で勝つことの効果はあまりにも大きかった。メディアの注目を集めたことはもちろんだが、これまで自身を支えてくれた人たちに、直に晴れ姿を見てもらうことができ、わずかながらでも恩返しすることもできた。

「そう思ってレースに臨んだわけではないが、結果としては、そういうことになる。千葉で勝つのとほかで勝つのとでは10倍くらい、いや、10倍どころではなく100倍くらい違ったかもしれない。いろんなプレッシャーがある難しい状況のなかで勝てたことはよかった」

 室屋はほっとした表情を見せ、あらためて歓喜の言葉をもらす。

「長い飛行機人生のなかで、1番になるっていうのが初めてだったから。それはやっぱり、もう単純にうれしかった」

 とはいえ、この優勝は決して不意に訪れたものではない。「チームの体制は整っていたので、どこかで勝てるだろうという実感はあったし、取れるだけの実力もためてきた。ラッキーで取ったわけではないから」。室屋はそう言うと、語気を強めて続けた。

「だからこそ、価値ある1勝だった」

 そして7月17日、室屋はハンガリー・ブダペストで開かれた今季第4戦に臨んだ。結果から言えば、室屋は5位。自身、「前回が優勝だったことを考えれば、残念は残念」という結果である。それでも、前回の優勝が決して偶然ではなく、「優勝できるだけの実力をためてきた」結果であることを証明するという意味では、今回のレースは、間違いなく「価値ある1戦」だった。

 第3戦同様、今回もまた悪天候により前日の予選が中止となったレースは、パイロットにとっては難しい条件でのフライトを強いられることになった。朝から降り続く雨は、小雨になることはあっても、完全に止むことはなく、しかも、ドナウ川の上に設置されたレーストラックには、パイロンを大きく揺らすほどの強い風が常に吹きつけていた。

「そもそも各ゲート間の距離が短く、難しいコース設定だったうえに乱気流がひどく、極めて難しいコンディションだった」

 レースを終えた室屋もそう語っていたほどで、事実、スケジュール進行は天候の回復を待ってたびたび遅れが生じた。最終的にファイナル4は中止となり、レースはラウンド・オブ・8で打ち切りとなっている(最終順位は、ラウンド・オブ・8の勝敗とタイムによって決定した)。

 注目すべきは、ラウンド・オブ・14での室屋のフライトである。

 室屋はフワン・ベラルデと対戦。室屋の4位に対し、ベラルデは11位と、年間総合順位では大きく差があるものの、ベラルデは第2戦の予選をトップ通過するほどの力を持つ。いきなり対戦するには、かなり厄介な相手である。実際、ベラルデは、ラウンド・オブ・14のなかで最速のタイムを叩き出した。後に飛んだ室屋は、これを上回ることができず、ベラルデに敗れた。昨季の前半戦あたりまでなら、これでジ・エンド。ラウンド・オブ・14敗退で、室屋の戦いは終了である。

 ところが、そうはならなかった。室屋が記録したタイムは、ラウンド・オブ・14では全体で2番目のタイム。つまり、ベラルデ以外には負けていなかったのだ。この結果、室屋は「ファステスト・ルーザー(敗者のなかの最速タイム)」となり、ラウンド・オブ・8に進出した。

 ファステスト・ルーザーという敗者復活のルールには、一見したところ、勝てなかった弱いパイロットが救われるかのようなイメージがある。だが、1対1のヒート方式で行なわれるラウンド・オブ・14では、過去のレースを振り返ってみると、対戦ごとに"当たり外れ"が生まれやすい。要するに、いきなり実力者同士が当たってしまうケースが少なくないのだ。

 ただし、そうしたケースでも、本当に実力があるパイロットは確実に勝ち上がってくる。当該対決で敗れたとしても、ファステスト・ルーザーで拾われるからだ。ファステスト・ルーザーでラウンド・オブ・14を勝ち上がることは、パイロットにとっては強さを証明する、ひとつの勲章だと表現してもあながち大袈裟ではない。

 そのためには、大きな浮き沈みなく、安定してタイムを出し続ける必要がある。昨季年間チャンピオンにして、昨季限りで引退した"絶対王者"ポール・ボノムがまさにそうだったように、常に落ち着いたフライトを続けることこそが、年間総合で優勝、あるいは上位に食い込む条件なのである。

 今回のレースで、室屋は自身初となるファステスト・ルーザーでのラウンド・オブ・8進出を果たした。今の室屋は、一か八かの博打に挑むのではなく、何割かの余裕を残したうえで確実に計算できるフライトを続けている。「余裕のある戦い方をしないと、年間では勝てない」と考えているからだ。

 ラウンド・オブ・8ではインコレクトレベル(ゲートを水平に通過しなかった)のペナルティを取られ、カービー・チャンブリスに敗れはした。だが、レース全体を通しての安定感という点では、表彰台に立った3人(1位マティアス・ドルダラー、2位ハンネス・アルヒ、3位マット・ホール)に見劣ることはなかった。室屋は語る。

「久しぶりにペナルティを取られてしまい、年間で1位になるためには、ああいうミスは消さなければいけないが、無理をせず、フライト全体を完全にコントロール下に置いたうえで飛ぶことはできていると思う」

 第2戦まで悩まされたオーバーG対策も、ほぼ完璧にクリアされた。オーバーGで失格となる危険性を覚悟しつつ、大きなGをかけてターンするようなリスクを、今の室屋は負ってはいない。「フライトを完全にコントロール下に置く」とは、そういうことだ。室屋は「気流が悪くなかったら、もっとタイムを詰められる部分はあったが、今日は無理をして攻めるコンディションではなかった」と言い、納得の様子でこう語る。

「ここは手堅くいって、ポイント固めをちゃんとしておけばいいやというレースだったし、そのなかで5位は上出来。無難にポイントを重ねることができたから、結果としてはそんなに悪くないと思う」

 とりわけ笑顔を見せるわけでもなく、だからと言って不満げな顔を見せるわけでもない。淡々とレースを振り返る室屋に、初優勝が自信にこそなれ、その結果に踊らされている様子はまったくなかった。

 優勝から5位へ、順位は下がった。だが、室屋には確かな実力が備わってきている。そのことが、またひとつ違う形で証明されたレースだったのではないだろうか。

浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki