近年フェラーリ変革を象徴する存在、エンリコ・ガリエラ(前編)突然届いた退職の知らせ【不定期連載:大谷達也のどこにも書いていない話 #7】
手のひらに残る、マラネロで握手した感触
6月23日、フェラーリからマーケティング&営業部門トップに関する人事異動が発表されました。7月1日付けでマッシミリアーノ・ディ・シルヴェストレが就任し、16年以上その職にあったエンリコ・ガリエラは、新たな道を求めて退職するとのこと。多くの取材でエンリコと交流のあった大谷達也のレポート、その前編です。
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エンリコ・ガリエラがフェラーリを退職したとの知らせに初めて触れた時、私は全く信じることができなかった。何しろ、その数日前にイタリア・マラネロで握手した際の、彼の分厚い手の生々しい感触が、私の手のひらにはまだそのまま残っていたからだ。
とはいえ、彼が以前から退職の準備を進めていたと言われれば、思い当たる節がなきにしもあらずだった。

2019年ジュネーブ・ショーにて撮影。この頃になると、新車発表のプレゼンは彼が行っていた。 平井大介
5月末、フェラーリ・ルーチェのワールドプレミアが行われた前日、同じローマの会場でメディア向けのイベントが催された。
内容としては、その翌日に行われた顧客向けセレモニーと全く同じ(はず)だが、発表と同時に公開されるコンテンツを作成する我々メディア陣には、1日早く同じイベントを体験させて本番のワールドプレミアに備えるというスケジュールが組まれていたのだ。これはフェラーリがよく用いる手法で、この『プレイベント』に参加した際にも私はガリエラと握手を交わしていた。
ただ、普段とやや違っていたのは、この時はガリエラのほうから握手を求めてきたことにあった。
フェラーリ・ルーチェのイベントにて
イベントが始まる直前、フェラーリの首脳陣が決められた席に着き始めた時のこと。そのすぐ近くに腰掛けていた私は、技術開発トップのジャンマリア・フルジェンツィに話しかけようとして彼に近づいた。
既にルーチェの技術情報について説明を受けていた私は、「ルーチェでドリフトはできるのか?」という単純な質問をフルジェンツィに投げかけたかったのだ。私がそう訊ねるとフルジェンツィは、『何を今さらそんな当たり前のことを訊ねているのか?』という表情を一瞬、浮かべたのちに「ええ、もちろんできます」といつもの笑顔で答えてくれたのである。

フェラーリ初のEVとして発表された『ルーチェ』。 フェラーリ
ガリエラと握手したのは、その直前のこと。フルジェンツィ目がけて進む私が彼の脇を通り過ぎようとした際に、ガリエラのほうから「Ciaaaao!!」といって右手を差し出してきたのだ。
彼の存在に全く気づいていなかった私は突然のことに面食らったが、フェラーリ首脳陣から求められた握手を断るわけにはいかない。私も「Nice to see you, again」と声を掛けて握手を交わしたものの、きっと、彼も私の軽い動揺に気づいたはずだ。
この時も彼のガッシリとした手の感触を私は認めたが、今にして思えば、この時ガリエラが浮かべていた表情が以前とは微妙に違っていたように感じられた。別に暗そうだったとか、残念がっていたとか、そういうことではない。
いつものように明るい笑顔を浮かべていたのだけれど、その表情に、これまで見られなかった類いの優しさというか、ちょっと大げさにいうと慈悲の心が表れているように思えたのだ。
彼の離任が発表される数日前に握手した時の笑顔も、今にして思えばこの時と全く同じ。私の記憶の中にある『情熱的で力強い表情』が抜けて、もっと穏やかで柔らかな微笑みに変わっていたのである。
ポジティブに乗り越えた者だけが手に入れられる
がっしりとした長躯。私が調べた限りでは今年60歳を迎えたはずだが、無駄な脂肪はほとんどついていない。ただし、無理してダイエットした様子も見受けられない。多少の節制はしていても、それ以上に、普段から身体を動かすことが好きなタイプであることが、その外観からはっきりと見て取れる体型だ。
もうひとつ特徴的なのは、その笑顔である。まるで無邪気な少年の心を持ったまま半世紀近い年月を過ごしてしまったかのように思える笑顔の裏には、もちろん長いキャリアの間に体験した様々な困難や落胆の跡も潜んでいるはずだが、彼の爽やかな表情からはそういったネガティブな過去の影響が全くといっていいくらい認められない。

2010年に就任する前は、パスタで有名なバリラに所属していた異色の経歴を持つ。 平井大介
それは、数々の苦難を逃げることなく真正面から受けとめ、ポジティブに乗り越えてきた者だけが手に入れられる表情といっていいだろう。
異色の経歴の持ち主でもある。2010年にフェラーリのチーフ・マーケティング&コマーシャル・オフィサーに就任する以前は、バリラで20年間にわたり営業やマーケティング畑を歩んできた。そう、あのパスタで有名なバリラである。
言うまでもなく『自動車産業とは全く無関係』と思える企業だが、創業家の直系で現在バリラ・ホールディングのディレクターを務めるパオロ・バリラが日本でも活躍したことのある元レーシングドライバーだったと聞けば、バリラ家とフェラーリの間にもなんらかの関係があったと見るのが自然だろう。
「1パック50セントの製品を売るビジネスから、少なくとも1台20万ユーロする製品を扱うようになりました」。およそ10年前、ガリエラはドライブというオーストラリア・メディアとのインタビューでそう語っている。
*近年フェラーリ変革を象徴する存在、エンリコ・ガリエラ(後編)へ続きます。

