日本人の過半数が「海外旅行したくない」…世界で進む観光ブームに逆行する日本の異変
インバウンド急増の裏側で、日本では「海外旅行をしたくない」人々が過半数を超え、国内旅行も長期の低迷が続いている。日本は訪日客を「おもてなし」するばかりの「観光立国」になっていくのだろうか--。
新刊『観光を忘れた日本』(6月18日発売)では、日本社会で起きている深刻な「観光離れ」という社会問題を、観光の歴史をひもとくことで考察していく。
※本記事は、山口誠著『観光を忘れた日本』より一部を抜粋・編集したものです。
8割以上がパスポートを持っていない国
21世紀、最初の四半世紀を経た日本では、海外へ行く人が減りつつある。
たとえば外務省の「旅券統計」によれば、2024年に有効だったパスポートの数は約2164万冊で、日本の人口における保有率は17.5%だった。
これは日本人の6人に1人しか、パスポートを持っていないことを意味する(翌2025年には1ポイント増加して18.5%だったが、日本人の大半がパスポートを持たない状況は変わらなかった)。
有効旅券数は2005年から公表され、同年の保有率は27.3%だった。およそ4人に1人はパスポートを持っていた。これでもひところに比べれば減った気もするが、そこから20年を経て、さらに4割ちかい日本の旅券が消えた計算になる(下図 0−1)。
もう一つ、気になる調査結果がある。先の「旅券統計」と同じ2024年、日本観光振興協会が全国の2万人へ「海外旅行の意向」を尋ねたところ、海外旅行を「したい」と回答した人は21.5%、「したいけど、できない」人は27.8%だった。これに対して、「したくない」人は50.7%だったという。
海外旅行をしたくない日本人が、いまや多数派を占めている。
日本人の8割がパスポートを持たず、過半数が海外旅行を「したくない」と答える──そんな21世紀の日本社会の姿が、ここに浮かび上がってくる。
海外でも国内でも「観光したくない」
いつから、どうしてこうなったのだろう。その要因は、いくつも考えられる。長引く経済不況と個人所得の低迷、テロや紛争など国際情勢の不安定化、円安や航空運賃の高騰、そして2019年末から世界中で大流行した新型コロナウイルス感染症(COVID−19、 以下、コロナ禍と記す)の影響など。そうして高価で危険な海外旅行よりも、安価で安全な国内旅行が、人気を集めていったのかもしれない。
だが、国内旅行も長期の低迷を続けている。
たとえば観光庁の統計によれば、宿泊をともなう国内旅行の参加率(実施率)は、この10年あまり減少し続けてきた。また日本観光振興協会の別の調査によれば、過去1年間に国内旅行を実施した日本人は、コロナ禍の前からすでに5割を切り、少数派になっているという(下図 0−2)。
いつのまにか海外旅行だけでなく、国内旅行でも、日本人は出かけなくなっていることがわかる。
なぜ日本人は観光をしなくなったのだろうか。
この「観光離れ」は、日本だけの傾向だろうか、それとも世界的な潮流なのだろうか。
前者の問いに答えることは難しく、本書を通じて考えていきたいテーマだが、後者に答えることは簡単である。なぜなら国連の「世界観光機関(UN Tourism)」の統計によれば、コロナ禍の影響を乗り越えて、世界中で国境を越えて移動する人の数は年々増加しているからである。
たしかに近年の日本でも、訪日した外国人が観光する姿を、よく見かけるようになった。とくに大きな都市や観光地では、日本人よりも外国人のほうが多い店や電車に出くわすことも、珍しいことではなくなった。
日本を訪れる外国人、つまりインバウンドの数は、21世紀に入るまで年間で500万人を超えることはなかった。やっと2002年に523万人へ達したものの、次の大台である1000万人を突破する2013年まで、さらに10年あまりを要した。
だが、この年から未経験の増加を続けていき、2019年には3188万人を記録した。翌2020年からコロナ禍による低迷期を経験したが、2025年には4268万人を数え、さらに最多記録を更新した。日本を訪れるインバウンド数は、21世紀の最初の4半世紀で8倍を超える、驚異的な伸びをみせている。
「する」から「される」へ
21世紀の日本は、総人口の3分の1にあたる外国人が毎年入国してくる「観光立国」になった。そしてこの四半世紀のあいだに、観光は「する」ことから「される」ことへ、あるいは「自ら楽しむ余暇」から「他者へ提供する業務」へ、転換した。そうして世界でも稀な「観光離れ」の傾向を、静かに、そして確実に強めてきている。
ひとりの人間が観光するか、しないか。それは個人の問題であり、他人がとやかく言う事柄ではないだろう。そのことを確認したうえで、「観光したくない」という人が半数を超え、さらに増え続けていく傾向は、社会の問題である。
ここからさらに四半世紀が過ぎ、たとえば2050年を迎えるころ、日本社会はどうなっているのだろうか。世界中で人や物の交流が盛んになり、あらゆる次元でグローバリゼーションが進行する国際社会で、日本だけ「内向き」傾向に歯止めがかからないならば、その先には何が待っているのだろうか。さまざまな言語や文化や価値観を持つ数十億の人びとが、それぞれの地で生きている世界を自ら訪れて味わうことなく、この島を訪れる外国人へ「おもてなし」を提供するばかりの「超・観光立国」になるのだろうか。あるいは、もうすでに、そうなりつつあるのかもしれない。
それにもかかわらず、日本人の「観光離れ」という問題は、十分に認識されているとは言い難い。むしろ、訪日インバウンドをめぐるニュースの陰に隠れて、長らく放置されてきたようにも見える。
日本政府はパスポートの発行手数料を値下げし、半値ちかい約9000円に改定するそうだが、その効果は限定的だろう。なぜなら低迷し続けているのは海外旅行だけでなく、国内旅行も同じだからである。この「観光離れ」の長く続く社会的な傾向を把握し、その問題の核心を突き止めなければ、何も解決しない。
じつは「観光離れ」しつつある日本人の姿は、かつて存在した、ある社会の人びとと、よく似ている。その詳細は本書で紐解くことになるが、観光の歴史を振り返れば、そして近代社会の歩んだ道を顧みれば、この社会問題の本質が、はっきりと見えてくるだろう。これはもはや見過ごすことのできない、歴史的に問うべき事態である。
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つづけて(「はじめに」後半) 戦争の時代に、ある日本の官僚は観光の力を信じていた…「観光こそ忘れるな」と語った理由 を読む
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