8月27日、スパ・フランコルシャンのマクラーレン・ホンダのピットガレージ裏には、ホンダの輸送ボックスがふたつ綺麗に並んでいた。待望のアップデート型パワーユニットが、この夏休み明けのベルギーGPに間に合ったのだ。

「今回、ようやく燃焼室周りを含めたエンジン(ICE)そのもののアップデートが入っているので、パワーアップを果たしています。しかし、期待半分、不安半分といったところですね......」

 金曜日に2台のパワーユニットRA616H「スペック3」が走り始める直前、長谷川祐介F1総責任者は率直に胸の内を明かした。

 7トークン(※)を使い、ICEの燃焼室を改良するとともに、燃焼効率アップにともなって排気温度が下がって排気エネルギーとターボ回生率が下がるのを防ぐために、ターボチャージャーにも改良を加えた。

※パワーユニットの信頼性に問題があった場合、FIAに認められれば改良が許されるが、性能が向上するような改良・開発は認められていない。ただし、「トークン」と呼ばれるポイント制による特例開発だけが認められている。各メーカーは与えられた「トークン」の範囲内で開発箇所を選ぶことができる。

 しかし、長谷川総責任者は控え目だった。

「ドライバーが乗ってすぐわかるような出力アップというのはなかなかないし、スパのようなパワーサーキットでは、今回のアップデートが一足飛びにラップタイムや結果に結びつくということはありませんから」

 900馬力を超えるような今のF1のパワーユニットでは、20〜30馬力の向上をドライバーが感じ取るのは難しい。それも、1ヶ月前と異なるサーキット、異なる空力パッケージで走っているのだから、正確な比較など不可能なのだ。

「2009年に向けたKERS(運動エネルギー回生システム)のテストでも、60kW(約80馬力)の差は、ドライバーにはわからなかったくらいですから」

 しかし、その長谷川総責任者の不安をよそに、走り始めたドライバーたちからは好感触が返ってきた。フリー走行用のモードは従来と同じ出力に設定されていたが、レースモードを試すとその効果が実感できたと、ジェンソン・バトンは評価した。

「プラクティスモードとレースモードを比較してもらって、プラクティスモードは従来とほぼ同じ馬力だったんですけど、ジェンソンは、『プラクティスモードからレースモードに変えたときの違いは、今回のパワーユニットのほうが明らかに大きいよ』というふうに評価してくれましたね。『今回のパワーユニットのスペックがよくなったことを表しているね』と言ってくれたので、そこは非常に勇気づけられました。ERS(エネルギー回生システム)のディプロイメント(回生)も遜色ないどころか、オールージュ前後の全開区間では他車よりも長いくらいだとジェンソンは評価してくれました」(長谷川総責任者)

 バトンは予選でQ3に進み、アップデートの効果を存分に披露して見せた。

「今季の進歩幅で言えば、ルノーよりも大きな進歩は果たせていますし、ギャップは明らかに縮まったと考えていますが、メルセデスAMGやフェラーリを凌駕するほどのアップデートではありません。スパのようなサーキットでは、何もしなければ下位に落ちてしまったであろうところを、アップデートしたからこそ、いつものポジションくらいのところを維持できたということなんです」

 目標どおりの数値が達成できたことを喜びながらも、長谷川総責任者はあくまで厳しい見方をした。

 一方で、問題もあった。フェルナンド・アロンソのマシンにはトラブルが続発し、金曜にMGU-H(※)のシーリングから冷却水が漏れ、新品に交換して臨んだ土曜にはエンジン油圧の低下と、結局2度のパワーユニット交換を余儀なくされてしまった。

※MGU-H=Motor Generator Unit-Heat/排気ガスから熱エネルギーを回生する装置。

 それでも幸いだったのは、これらのトラブルが今回のアップデートに起因したものではなかった、ということだ。

 チーム内では、安全を見越して旧型の「スペック2」に積み換えたほうがよいのではないかという意見も出たが、ホンダ側は性能面のメリットを考えて、同じ「スペック3」への交換を決断した。

「問題はアップデートとは関係ないところで偶発的に起きたものですが、状況からいって新しいスペック3を投入したら3周でいきなり問題が出たわけですから、現場のムードとしては、『スペック2に戻したほうがいいんじゃないか』という意見が出るのは当然だと思います。ですが我々としては、スペック3(のアップデート箇所)に起因する問題ではないと考えたので、スペック3の新品に交換することにしました。エンジニアリング的に考えれば、アップデートとは関係ないと判断しましたから」

 長谷川総責任者はそう語るものの、時間的に厳しいなかで信頼性の確認を急いで投入したがために、「トラブルとアップデートは直接関係ないとはいえ、スペック3の熟成不足だと言うべきです」とも認めている。

 アロンソは1回目のパワーユニット交換で最後尾グリッド降格ペナルティが決まったため、「もし金曜に換えていなければ、なんとか交換せずに行けないかとがんばったんですが、ひとつ換えたら、ふたつ換えても、3つ換えても一緒ですから(苦笑)」と、降格ペナルティを逆手にとって土曜のトラブルでも新品に交換し、今後に向けた"ストック"を増やすことにした。

 それでもトラブルフリーで走り続け、9番グリッドを得たバトンには大きな期待がかかっていた。だが、決勝では1周目に後方から激しく追突されてディフューザーを壊し、リアのダウンフォースを大幅に失ってしまったため、リタイアを余儀なくされた。一方、アロンソは最後尾グリッドからセーフティカーや赤旗にも助けられて一時4位まで浮上し、7位フィニッシュを果たした。

 大きかったのは、7位というその結果以上に、このパワーサーキットでウイリアムズ勢の前に立ったということだった。

「パワーサーキットであるスパ・フランコルシャンでこの結果が出せたのは、まさにパワーユニットのアップデートの成果が間違いなくあったと思います。もちろん、クルマもきちんと仕上がってよいレベルになっていたという面はありましたし、ドライバーもすごくがんばったというのも大きかったですが、長いストレートでウイリアムズに抜かれず守り切れたのは、間違いなく今回のパワーアップが効いていると思います」(長谷川総責任者)

 7位でフィニッシュしたアロンソは、満面の笑顔でこう言った。

「パワーサーキットでこんな結果が出せるなんて、1ヶ月前の時点では想像もできなかったことだ。ここでこれだけの結果が出せれば、今後は常にポイント圏内にいられると思うよ。もちろん、7位が僕らのターゲットではないけど、この半年の進化の大きさを見てみれば、それは来年に向けてとてもよいニュースだと言えるよ」

 パワーアップしたからこそスパで入賞圏を維持できたマクラーレン・ホンダが、通常のグランプリサーキットではどこまでいける力を身につけているか――。次の超高速モンツァはさらに厳しい戦いが予想されるが、彼らが"重点レース"と位置づけているシンガポールGPも楽しみだ。

 そして、今回から刷新された燃焼系に合わせて、エンジンマッピングはこれからさらに熟成されていく。加えて、残る3トークンを使って、日本GPに向けた最後の開発も進められている。来季の飛躍に向けて、1年半にわたるマクラーレン・ホンダの雌伏は最終段階を迎えようとしている。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki