【ビートルズ来日60周年秘話】メンバーが「トーキョーは車が少ないね」と呟いたウラに「首都高封鎖」の警備態勢…機動隊員が警棒ではなく「白手袋」を身に着けた深い理由
1966(昭和41)年6月29日に来日したビートルズ。翌30日から日本武道館で計5公演を行うことになったが、警視庁警備部は、警備課と機動隊を中心に総力を挙げた警備態勢をとる。学生デモや暴徒鎮圧など、“荒れた”現場ならお手の物の警視庁機動隊。世界的な人気を誇るロックバンドのコンサートに、どのように対峙したのか――(全2回の第2回)。
白手袋を……
1966年当時の警視庁機動隊の装備は、出動服(通称ワッペン)と呼ばれる濃紺の上下に、手首をガードする黒の籠手。木の警棒、ジェラルミンの盾に、防護面が付いた特殊警備用ヘルメットだった。
デモや暴徒の鎮圧に向かうには、この装備で問題はない。しかし、ビートルズのメンバーが最初に日本に降り立つ羽田空港、宿泊先の東京ヒルトンホテル(現在のザ・キャピトルホテル東急)、そしてメイン会場の日本武道館に、完全武装の機動隊員が整列、警備に当たったら……。

一方で、警備対象が「ソフトターゲット」であることの問題点も浮上していた。ビートルズ来日に際して関係者を取材した、元週刊誌記者(57)が語る。
「繁華街や商業施設のような、不特定多数の人が自由に出入りする場所をソフトターゲットと言います。政府関連施設や重要防護施設とは異なり、こうした場所では身分確認や手荷物検査を徹底することが困難になります。ビートルズ警備では、チケットを持っている人が入ることのできる会場だけでなく、一目でいいからメンバーの姿を見たい、コンサートの様子を見たいなど、会場周辺に多くのファンが参集することが想定されました。それはメンバーが降り立つ羽田空港や宿泊するホテルも同様でした」
コンサート会場の武道館本体の警備はもちろん、ソフトターゲットに集まるファン対策も警備実施の重要項目となっていたのである。当時の警視庁警備課長で、後に警察庁長官となる山田英雄氏(94)は妙案を思いつく。
「活動服ではなく、通常の制服を着用し、白い手袋と、制帽にも白カバーを装着するようにしました。当時、白手袋は皇室警備でしか着用しなかったといいます。警備の状況次第で、隊員が女性ファンと何らかの接触があるかもしれない。その際、白手袋を着用しているだけで印象が和らぐし、見た目にも礼儀正しさが伝わると考えたそうです」(同)
本連載第1回で紹介した「ザ・ビートルズ来日に伴う警備」という、警視庁警備課が撮影した映像にも白手袋に白カバー帽を着用した警察官の姿が記録されている。警備の大方針は、不特定大多数のファンが参集することから雑踏警備を徹底するが、主たる警備対象は、女性を中心とした純粋なファンであることが重視された。
総合警備本部を設置
ビートルズ来日9日前の6月20日から、警視庁は学校や民間補導員に協力を求め、「特別補導体制」を実施した。学校を無断で休み、警備対象の場所に参集する少年少女への警戒を強化したのである。この結果、6520人の少年少女が補導されることになる。
そして6月29日午前3時49分、一行は羽田空港に到着。ここから離日までの102時間、警視庁の威信をかけた警備が始まる。まず同日に「総合警備本部」を設置、羽田空港では470台のクルマと2000人のファンが追い返された。メンバーが乗ったピンクのキャデラックは、5台のパトカーで誘導した。上下線とも封鎖されている首都高速を見て、「トーキョーは思ったより車が少ないね」とこぼしたメンバーもいたという。
1日目の公演となった6月30日、武道館には1600人の制服、100人の私服、女性警察官31人が配置されただけでなく、パトカー12台に、指揮官車など機動隊車両20台がずらりと並んだ。
武道館内部では、アリーナ席を空席にし、機動隊員を配置。現場警備本部を設置して警視庁警備部の幹部はじめ、指揮幕僚が陣取ることに(この様子も上記の映像に収められている)。会場警備に関し、幕僚たちを悩ませたのが2〜3階席だった。見やすさを優先したつくりのためか、最前列の手すりが低い。これなら、本気で飛び降りようとしたファンが……。
「山田氏がひらめいたのが、2年前の東京オリンピックで使用したパイプ柵でした。今ではすっかりおなじみですが、マラソン競技などで観衆のエリアを制限したり、選手の誘導に使ったりしているものです」(前出・記者)
そして、武道館の周囲の堀には、救助用のボートに乗り込んだ機動隊員が周囲に目を光らせる。泳いで武道館に近づくファンがいるかもしれない。それを事前に防ぐためだった。さらに、観客席の間にある各通路にも制服の機動隊員を二列で座らせただけでなく、私服の警察官も通路と一般客席に紛れ込ませた。少しでも立ち上がろうとする客がいると、それを制止するめである。
前座をザ・ドリフターズが務めたことは有名だが、メンバーの加藤茶(83)による証言がある(2000年6月に放送されたバラエティ番組から)。
「俺たちにもビートルズは見せてくれなかったんだよ。危ないからって、機動隊が盾を並べて守っちゃってる。『ようリンゴ、おまえドラマー? おれもだよ』なんて話したいじゃない。着いたっていうから玄関までバーッと走っていったのに、足しか見えねぇんだもん」
想定外の事態
また、想定外の事態も起こっていた。動員された女性警察官たちが、慌てふためいている。現場に設置された救護所に運び込まれた女性ファンに何か起こったらしい。警備責任者である山田警備課長が何事かと様子を見ようとすると、女性警察官に「警備課長といえども、ここから先は案内できません」と言われた。
「興奮のあまり、失禁してしまった女性ファンがいたのです。群集心理の研究、対策には長けていた警視庁ですが、熱烈なファンの行動がどこまでいくかは未知数だったようですね」(前出・記者)
ビートルズが日本を去る7月3日は雨が降っていた。それでも宿舎の周辺、羽田空港へやって来る女性ファンが大勢いた。前述の映像でもホテルの周囲にパトカーと共に隊列を組んでメンバーの乗った車を見送る機動隊員の姿や、「空港地区 検問とファンの説得」と出した映像では、空港近くで機動隊員に説諭される女性ファンが映っている。
過剰すぎる警備とみるか。けが人や他国で起こったファンによる暴動もトラブルもなく、無事にコンサートを終えたとみるか――立場によって判断は分かれるだろう。
ビートルズのメンバーは日本を発った後、次の公演地であるフィリピンのマニラに向かったのだが、当時のイメルダ・マルコス大統領夫人が主催する歓迎会をキャンセルした。日本滞在時に歓迎会の案内は来ていたものの、スケジュールを理由に断っていたのだが、間に入ったプロモーターが大統領にキャンセルを伝えていなかったのだ。しかし、せっかくの招待を蹴ったと受け止められたことから、メンバーが空港で群衆に襲われるなど、危険な状態でフィリピンから出国する羽目に。後に、あるテレビ番組でメンバーが「マニラに比べ、東京の警備は万全でよかった」と述懐している。
【第1回は「『足の骨が折れてもいい! 客席から飛び降りてでもキスするの!』 ビートルズ来日60周年…熱狂的ファンを相手にした“前代未聞の警備”を貴重証言で振り返る】
デイリー新潮編集部
