祈る心をかたちにすると

写真拡大

宗教を知るのに聖典や経典よりも有効なのは建築物である! 文字が読めない人びとにもその本質が伝わるように造られているのだから。

斬新なアプローチで注目の新刊『宗教建築を体感する』。世界の寺社・教会・遺跡・施設を訪ね歩いてわかった、建築をとおした人類の心のありようとはなにか……

(本記事は、武澤秀一『宗教建築を体感する』の一部を抜粋・編集しています)

建築が礼拝法と世界観を定めている

おそらくタイトルを見て本書を手にされた読者は、宗教や思想に関心のある方か、建築に関心のある方であるように思われる。そのどちらにとっても、本書は他には見られないアプローチとなるだろう。

今日、建築といえば、装飾を剝ぎとり、構造や機能だけがむき出しになったモダニズム建築が主流になっている。だが、空間の感覚を通して世界観を体験してもらうことが建築の最終的な使命だとすれば、その使命をもっともよく果たすのは“宗教建築”である。だから宗教建築を体感することこそが”建築”を味わう王道であり、かつ最短の近道と言える。

本書は世界三大宗教とされるキリスト教イスラム教仏教、あるいはヒンドゥー教を加えて四大宗教の建築様式をズラッと羅列して、それぞれに簡単な解説を加えるといった、よくありがちな入門書ではない。それはそれで有益と思われるが、本書では宗教上の予見をいっさいもたずに、まず、宗教建築の空間構造を体感するところからはじめる。

その際、一神教か多神教か、普遍宗教か民族宗教かといった、宗教を語るうえで基本となる概念上の話もいったん棚上げされる。もちろん、必要となる宗教上、建築上の情報はそのつど、事例に即して適切なかたちで提供したい。

多くの場合、宗教建築のもつ空間構造が礼拝のありかた、つまり礼拝法を決めている。礼拝法を決める空間構造は、じつはその宗教の世界観を定めているのである。そのような宗教建築の空間構造をよく見て、そのなかにある共通点と相違点に目を凝らす。すると対極と思っていた宗教の間に思わぬ共通点が見出せたりする。そこには礼拝のありかたが共通しているだけでなく、世界観も共通している可能性がある。

文字が読めなくても宗教は体感できる

宗教建築は聖典や経典とならんで、あるいはそれ以上に、宗教を知るのに適した創造物である。なぜなら、文字が読めない人びとにもその宗教の本質が伝わるように造られているからだ。実際、著者にしても探訪した土地のことばをほとんど知らない。それでも宗教建築を案内しようと試みるのは、文字が読めなくても宗教の本質を体感できるからだ。宗教建築は、その宗教を理解するための“巨大な書物”と言えるのだ。

また文字が読めても、人びとが聖典を読むことが可能になったのは、ドイツのグーテンベルクにより活版印刷が可能となった十五世紀なかば以降である。本書で訪れる宗教建築のほとんどは、グーテンベルク以前に建立されたものである。人びとは文字に頼ることなく、宗教建築のなかで、その前で、あるいはその周囲で説教を聞き、礼拝していたのだ。

そして宗教建築における礼拝法と宗教建築へのアプローチはつながっていることが多い。礼拝法とアプローチは密接に絡んでおり、切り離すことができない。礼拝は宗教建築のなかで、その前で、あるいはその周囲でおこなわれるが、宗教建築へのアプローチがすでに礼拝に含まれていることが多いのだ。それゆえ、本書ではアプローチのありかたをも含めて、〈回る〉〈進む〉〈彼方を見る〉、そして最終的には「どこに意識が向かうのか」をキーワードとして世界の宗教建築に臨むことにする。

建築が宗教とのみずみずしい出会い約束する

宗教とか宗教建築とか言うと、どこか胡散臭く、カビが生えたようなイメージがつきまとうと感じる向きがあるかもしれない。だが宗教建築は人びとの礼拝のしかたを決めているとともに、その宗教が想定する世界観を体現しているのであり、けっして古臭いものではない。人類にとって不変かつ普遍の価値をもつものだ。だからこそ、いまでもわれわれの心を打つ存在でありつづけているのだ。

本書が読者を誘うのは宗教建築が発している、人類が記憶すべき多様な世界観の数々である。そこから、どんなあらたな気づきが得られるだろうか? 本書で得られる宗教建築のイメージは従来のそれを塗り替え、一新するものとなることを願う。

読者にとって宗教と建築との、あたらしくもみずみずしい出会いとなることを期して、ともに宗教建築探訪の旅に出よう。

パスポートを持たない多数派と、何度も出国する少数派…日本人の「旅」は二極化していた