幻のフェラーリ契約書も発掘 米国随一の自動車メーカー『フォード』の裏側(後編) 「歴史を生き生きと蘇らせてくれる」
一貫性がなかった「保存」の姿勢
フォードの初代アーカイブ担当者はなんとヘンリー・フォード氏本人であり、彼は自身が保管していた重要な文書の山を、ヘンリー・フォード博物館に寄贈した。
【画像】経済を支えた働き者のバン【フォード・トランジット(初代〜3代目)を詳しく見る】 全36枚
一方、ヘンリー・フォード2世は保存にそれほど熱心ではなかったと、ライアン氏は指摘する。

バンの初代トランジット(手前)と2代目トランジット(奥)
「彼は自分の書簡をすべて破棄しました。あるインタビューで、彼は『秘書が隣の部屋ですべてをシュレッダーにかけている』と語っているんです」
過去の記録の扱い方については、長年にわたり大きく変動してきたという。
「2003年のフォード創立100周年の際には23人のアーカイブ担当がいましたが、かつては社外の倉庫にたった1人しかいない時期もありました。気の毒な女性でした」
ライアン氏はアーキビストの第一人者の1人であるため、彼の起用は、フォードが自社の歴史をいかに真剣に捉えているかを示すものだ。ライアン氏が部門を統括する一方、アーカイブ自体の管理は、6人のチームを率いるレスリー・アームブラスター氏が担当している。
彼らの役割は、歴史家、ジャーナリスト、そして探偵を融合させたようなものだ。膨大な資料を精査して関連資料を発掘する傍らで、展示会の企画を手伝ったり、メディア、マーケティング部門、法務部門からの検証や事実確認の依頼に対応したりしている。
何を残し、何を捨てるか
では、新しい書類の山を掘り下げる際、アーキビストたちは何を探しているのだろうか。
「『何かクールなものを見つけたら教えて』というのが、わたし達の基本方針です。最初は、スタッフから『クールとはどういう意味か』と聞かれました。わたしは『それは一目で見分けがつくものだ。君に語りかけ、他の人々にも語りかけるようなものだ』と説明しました」

フォードのヘリテージブランドマネージャー、テッド・ライアン氏
一例を挙げよう。AUTOCARとのインタビューの少し前に、ライアン氏は世界初の車載8トラック・カセットプレーヤーの画像を探していた。1965年型サンダーバードの画像を探していたところ、ファルコン・ギャラクシー、フェアレーン、マスタング、ブロンコ、ランチェロの写真が見つかった。
「これらは3年先のモデルです。1枚の写真が、1968年に登場するクルマを垣間見せてくれたんです。まさに最高にクールな画像でした」
ライアン氏の仕事は保存だが、意外なことに、その役割の大部分は「何を残さないか」を選ぶことにある。
「重要なものを厳選しているのです。物を捨てられないアーキビストは、あまり良いアーキビストとは言えません。フォードが生産するもののうち、保存すべきはおそらく3%程度です。捨てることで解放され、残すものが将来役立つと確信できるようになるのです」
現代におけるヘリテージの役割
ライアン氏の仕事の重要な要素の1つは、最新のマスタングやトランジットの発売、あるいはフォード・レーシングのシーズン開幕に向けたモータースポーツ史のまとめなど、フォードの新規プロジェクトを支援する展示物や資料をまとめることだ。その豊かなヘリテージは大きな資産であり、中国の新興メーカーには真似できないものだが、ライアン氏は「ヘリテージはブロードソード(幅広の剣)ではなく、レイピア(短剣)でなければなりません」と主張する。
彼はモータースポーツを例に挙げる。

フォードが保管する資料の多くは今やデジタル化され、ネット上で公開されている。 フォード
「今年はレースの歴史125周年を祝っています。レースは当社のバックボーンの一部ですが、F1やハイパーカーに取り組んでいる時にその話をするわけにはいきません。125年間続けてきたという事実よりも、今何をしているかの方が重要なのです。しかし、125年前にヘンリー・フォードがスウィープステークスでレースをしたという話は、当社の活動に正当性を与えてくれます」
近年、フォードはアーカイブの大部分をデジタル化し、1万9000点以上のパンフレットや写真を含め、オンラインで無料公開することで、まったく新しいユーザー層にリーチしている。ライアン氏によれば、このサイトは「とてつもなく人気」で、月間200万件近い検索があるという。
「目標は、もし子供がマスタングについてのレポートを書いているなら、ウィキペディアやAIに頼らず、オンラインで原本を見つけられるようにすることです」
フォードの膨大なコレクションの中で、ライアン氏のお気に入りの資料は製品開発ファイルだという。
「エンジニアはオタク気質ですから。秘書が彼らの発言をそのままタイプしていたおかげで、新車に対する彼らの批評をすべて読むことができるんです。フォードのコレクションは、コカ・コーラよりもはるかに充実しています。コカ・コーラには自動販売機などの物品が200万点ありましたが、それほど多くの文書は残っていません。もし、ランチェロが生まれた理由を知りたいなら、わたしがご説明しますよ」
見どころ1:ル・マン優勝後のバーの請求書
1966年のフォード初のル・マン優勝を記念して、同社はニューヨークのLe Chanteclairで招待客限定の祝賀会を開いた。バーの請求書を見れば、その夜がいかに盛大なものだったかがわかる。ドリンク453杯、ワイン68本、そして……ケーキ1つだ。
「もし適切な管理プロセスが守られていたら、このバーの請求書は捨てられていたでしょう。わたし達は領収書を保管していませんが、このバーテンダーの領収書は実にクールです。誰かが残してくれたことに感謝していますよ」とライアン氏は言う。

ル・マン優勝後のバーの請求書
見どころ2:フォードとフェラーリの契約書
自動車業界で最も有名な未署名契約かもしれない。1963年、フォードによるフェラーリ買収交渉は契約書が作成される段階まで進んだが、エンツォ・フェラーリ氏が署名を拒否した。ヘンリー・フォード2世はこの屈辱を晴らすべく、フォードGT40によるル・マン制覇プロジェクトを立ち上げた。
「フェラーリの契約書のようなものを見ると、鳥肌が立ちますよ。他とは違う方法で、歴史を生き生きと蘇らせてくれるんです」

フォードとフェラーリの契約書
見どころ3:マスタングに関するメモ
「1957年3月 最優先事項:マスタングは走る以上、すべての競合車(特にカマロ)に勝たなければならない。これは米国における我々のイメージカーであり、ル・マンよりもさらに重要である。リー」
このメモはフォード副社長のリー・アイアコッカ氏が書いたもので、新型マスタングにおける野心的な目標が示されている。

マスタングに関するメモ
ライアン氏は、「1960年代はまさに『マッドメン』の時代でした。彼らはあらゆる事柄についてメモを書いていました。わたし達の手元には、リー・アイアコッカやドン・フレイ、そして英国のウォルター・ヘイズによるメモが残っています。あの輝かしい10年間に何が起きたのか、驚くほどよくわかります」と述べている。
