アメリカW杯のナイジェリア戦が最後の代表戦となったマラドーナ。(C)Getty Images

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 アルゼンチンでは32年が経過した今も、1994年6月25日に一躍有名になった看護師スー・エレン・カーペンターの現在の暮らしに思いを馳せる者がいる。

 金髪で白衣をまとった彼女は、ワールドカップ・アメリカ大会でアルゼンチン代表がナイジェリアを2−1で下した直後、ピッチに姿を現した。そしてディエゴ・マラドーナの手を取り、まるで恋人のように寄り添ってロッカールームへと歩いた。その先に待っていたのは、ドーピング検査室という運命の部屋だった。

 カーペンターは、抽選でマラドーナが検査対象に選ばれたことを伝えるためにアルゼンチンのベンチへ向かっていた。貴賓席からその一連の光景を見ていたアルゼンチンサッカー協会(AFA)のフリオ・グロンドーナ会長は、神の加護を祈ったという。

 しかしその願いは届かなかった。5日後、中枢神経系の刺激薬として作用するエフェドリンの陽性反応により、マラドーナは大会から追放された。これが代表での最後の試合となった。

「両足を切られた」とマラドーナは涙を流したが、FIFAの副会長でもあったグロンドーナは組織を守るために決定を受け入れる政治的決断を下した。FIFAはマラドーナに15か月の出場停止処分を科し、33歳、国際Aマッチ通算84試合という数字とともに彼の代表キャリアは幕を閉じた。
 
 追放の最終決定が下され、本人に伝えられた舞台は、FIFAが大会の拠点を置き、アルゼンチン代表がブルガリアとのグループリーグ第3戦を控えていたダラスだった。そしてこのダラスこそ、今回の北中米ワールドカップでアルゼンチン代表がヨルダンとの第3戦を戦った地でもある。当地へ応援に駆け付けたアルゼンチン人は、ダラスは1963年にジョン・F・ケネディが、1994年にマラドーナが暗殺された街だと語っていた。

 南米予選でコロンビアに0−5で大敗した後に国民からの待望論の高まりを受けて代表に復帰したマラドーナは、14キロの体重超過と依存症の問題を抱えていた。オーストラリアとの大陸間プレーオフにはドーピング検査が存在しなかったが、その戦いを制して本大会への出場が決まると、急ピッチで肉体改造を敢行して米国に乗り込んだ。

 初戦のギリシャ戦(4−0)でゴールを決め、ナイジェリア戦でもアシストを記録して幸福の絶頂にいたが、その終わりは唐突だった。

 陽性の報にマラドーナは取り乱したが、FIFAの医学委員会は禁止物質が混在した自家製カクテルを摂取したと断じた。原因は、新たにチーム・マラドーナのスタッフ入りしていた元ボディビルダーのダニエル・セリーニが購入した市販のサプリメントにあった。米国滞在中に愛用していた製品が店になく、成分が類似していると誤認して購入した別製品にエフェドリンが含まれていた。

 再検査の際、本来は無表記であるべきボトルに検出物質のリストが貼られているという手続き上の不備があり、弁護側はこれを突いて処分を回避しようとした。

 しかし、グロンドーナ会長はさらなる厳罰を恐れて争うことを拒否した。この悲劇の後、アルゼンチン代表は再び世界チャンピオンに輝くまでに28年の歳月を費やすことになった。

文●ロレンソ・カロンヘ(エル・パイス紙)
翻訳●下村正幸

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