三浦しをん『夜の恩寵』インタビュー「フィクションを全くの作り物だと軽視すると、手痛いしっぺ返しを食らいそうな予感がする」
第1話「神馬に乗る女」の初出は実に12年前。以来、「どう繋がるかもわからないくらいのユルさ(笑)」で、しかし予め連作を意識して紡がれた5つの不穏な物語を、三浦しをん氏の最新刊『夜の恩寵』は収める。
共通項は夜に見る方の夢、そしてカリスマの存在だ。
「日常の中で感じるちょっとした胡散臭さとか、周囲に対して何だか知らないけど影響力のある人とか、ごく身近なカリスマですね。
私は信仰や信じるという行為に元々興味があって、そういう人の力の源泉って何なんだろうと考えた時に、この不思議な夢を見る力で人が人を支配し、掌握していく光景を連想しました」
例えば大学進学で上京し、今も東京で暮らす第1話の主人公〈輝久〉にとっての母〈喜久美〉もそう。〈助けてくれ、輝久〉〈お母さんがおかしいんだ〉と父に頼まれ、福井県の山深くにある〈K町〉に久々に帰省した彼が、57歳という年齢以上に老け込んだ父と、40近くなっても少女のような母の姿に再び心をかき乱されるように、家族も夢も信じるも、考えてみれば一筋縄でなどゆくはずがないのだ。
「私は執筆依頼があった際に、『明るい話がいいですか、暗い話がいいですか』ってそれだけお聞きして、後はお任せといった、結構ザックリした感じで(笑)。
今回は後者だったので、何かを信じることの怖くて暗い面とか、もっと日常的な心の動きとしての信じる全般ですね。例えば私達は必ず明日は来ると信じるからこそ、毎日食事をしたりお風呂に入ったりして日常を営める。その意識的だったり無意識的だったりする、信じるという心の動きが、もちろん希望にも繋がれば、悪い意味での固定化や呪縛にも繋がるので、そういう人間の日常的で些細な心の動きの不思議さを、丸ごと描いてみたかったんです」
輝久が母と初めて会ったのは10歳の時。3歳の時に実母を事故で亡くして以来、自転車を怖がるようになった彼を、この10歳上の義理の母だけは特別扱いせず、家の前の坂を猛スピードで下りながら〈輝君もやってごらん、気持ちいいよ〉と白いスカートをはためかせる姿に、〈神馬に乗っているみたいだ〉と輝久は思った。
そんな古い話を思い出したのは、長押に並ぶ無数の杖や〈万年青〉の鉢など、実家の様子が明らかに前と違ったから。父によればそれらは母のおかげで病が治った人々が置いていったものらしく、〈おかしなことが起こってるんだ。母さんにヌチガミさまが憑く〉と動揺する父をよそに輝久は思う。〈俺の母親はうつくしい。年齢を超越し、女という性をも超えて、いつまでも汚れない純粋さがある。だから、腰痛も治ったような気になる。きっとそれだけのことだ〉と。
が、結論から言えば事はそれだけで収まらず、この親子やその弟を巡る秘められた関係、さらに予知夢にも似た〈夢見〉の力を代々受け継ぐ一族(「胡蝶」)や、夢の中で産み育てた息子を現実に産み直すことにした夫婦(「夢見る家族」)など、不思議とは何かを強く信じ、切に願う心が、生じさせるものなのだろうか?
夢の中で試されることも結構ある
「私は夢を見るのが好きで、そのために寝ているくらいなんですよ(笑)。夢の中で自分がちゃんと行動できた時は、よしよしと思うし、悪い夢なら悪い夢で、あー夢でよかったーと思えるし。現実には滅多に出会えない究極の選択や、自分の良心を試されることも結構あって、この卑劣で醜い自分の小ささと来たらどうだって、朝起きてから猛反省したりね。夢の中の話なのに(笑)。夢って自分を映す鏡みたいなところもありますから」
夢とうつつを行き来し、境を危うくしていく人々を、時に幻惑的、時に音楽青春小説さながらのポップさで描くこの連作集には、折に触れてこんな問いも差し挟まれる。〈俺たちはとっくの昔から夢に侵食され、夢にからめとられている〉〈だけど、現実ってなんだろう〉〈起きて目に映る風景だけが現実ではない〉……。
「フィクションも同じだと思うんです。人の心を映し、時代を映すそれを、全くの作り物として軽視するのはあまりにも単純すぎるし、実在する私達の脳が夢を見せるように、それも現実の一部だと私は思うんですね。小説も現実の中で書かれて、現実に読まれるものだけに、バカにし過ぎると、いつか手痛いしっぺ返しを食らいそうな予感が、私はする。
今の世界的宗教も最初はかなり胡散臭かったはずで、相手の話を否定したくなくて乗っかるうちにいかにも怪しげな話が真実に思えてきたり、そういう経験って誰しもあると思うんです。
例えば陰謀論を信じて、話が通じなくなってしまう人もいますが、だったら何も信じないって、ガチガチに鎧っても、ふいをつかれることはあると思います。私は人間の可塑性というか、新しい価値観にすぐ影響されたりする揺らぎのようなものを見ると、いつも不思議だなあって思うんですね。そのぶん何が入ってきても拒みようがないし、いくら警戒しても無駄っていう」
それこそ輝久や喜久美や、第4話「金の糸」で主人公〈六実〉が後のバンド仲間〈ゴンゾー〉を乗せて走る時に感じた〈風〉である。
「自転車はそれまで行けなかった所まで自分の世界を広げてくれる自由の象徴で、何より風を感じられるのがいい。私も結構どこにでも出かけますよ。六実と同じく、ママチャリで(笑)」
夢と現実とが妖しくせめぎあう空間に一瞬吹く風の輝きは、さすが三浦作品。信じてなお自由な新世界を、風はいつも運んでくれる。
【プロフィール】
三浦しをん(みうら・しをん)/1976年東京都生まれ。2000年『格闘する者に〇』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞と河合隼雄物語賞、2019年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。その他『風が強く吹いている』『仏果を得ず』『光』『神去なあなあ日常』『墨のゆらめき』等多数。本年6月より日本文藝家協会理事長。160臓A型。
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2026年7月10日号
