トム・ウォーキンショー・レーシング(2) 旧スタッフが明かす秘話 ワゴンでのレース参戦 突然訪れた終焉
アンディ・キング氏:元マーケティング部長
ジャガーXJR-15によるワンメイクレースの思い出を、彼が振り返る。最終ラップでの無茶なアタックを避けるべく、周回数はドライバーへ伝えなかったそうだ。「ビリヤード・ボールをレースディレクターに引いてもらい、その数字で決めたんですよ」
【画像】導かれたジャガーのル・マン優勝 TWR 50周年イベント 同社が関わったモデルたち 全129枚
1994年には、キングは英国ツーリングカー選手権のマーケティングに携わった。「ステーションワゴンでレースするって話したら、トムさんは激怒するんじゃないかと思いました。でも、技術者は空力的なアドバンテージがあると説得してくれたんです」

アンディ・キング氏と、ボルボ850のツーリングカー・レーサー ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
「ブランズ・ハッチ・サーキットでは、誰も信じてくれませんでしたね。ショーカーだろうって。でもエンジンを掛けた途端、雰囲気は一転しました」
「スラクストン・サーキットでは、予選3位。準備期間は3ヶ月しかなかったので、誇れる結果でした。ドライバーズ・パレードでは、犬のぬいぐるみを積んで走ったんです。ジョークのネタにされるんじゃなく、ジョークで笑わせる側になろうと思って」
ケン・クラーク氏:元メカニック
1983年に、メカニックとしてTWRへ加わったクラーク。「最初の仕事は、これの整備でした」。1983年のレースで優勝した、ローバーSD1 グループAを見つめながら話す。しかし、ドライバーのスティーブ・ソーパー氏は最終的にタイトルを剥奪されたが。
「1984年末にスポンサーが変更され、その後マシンはショーカーに改造。自分は、1986年にTWRを辞めています。このクルマがどうなったのか気になっていたんですが、2007年にとある男性から電話があり、持っているというんです」

ケン・クラーク氏と、彼が関わったローバーSD1 グループAレーサー ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
「グループAのSD1は5台しかありませんが、すべての場所も知っていると」。そのオランダ人から届いた写真を見て、1983年にソーバーが駆ったマシンだと、クラークは理解した。ちょっとした事故で、カットオフスイッチの位置が移動されていたからだ。
彼へ購入を申し込んだのは2008年だったが、話が纏まったのは2011年。「5000ポンドを提示したら、5500ポンドで承諾してもらいました。6年をかけてレストアし、今はシルバーストン博物館に展示されています。本当に気に入っています」
ニック・ハル氏:元デザイナー
1990年に、ジャガースポーツ社へ加わったハル。彼が最初に携わったのは、XJ220のプロトタイプに組まれる、キャビンのデザインだった。しかし、当初予定されていたV12エンジンはV6ターボへ変更。後輪駆動にもなり、車体全体の寸法に変更が生じた。
「既に注文が入っていたので、コンセプトカーの見た目を守る必要がありました。シャシーは完成に近かったはずですが、インテリアは真剣に検討されていなかったんです。当初のアイデアへ大幅な改変が必要だとわかり、辛かったですね」

元デザイナーのニック・ハル氏
「ジャガースポーツの中で、デザイナーは自分1人だけ。残りは全員エンジニアです。唯一のマーカーペン使いとして、自らの立場を主張する必要もありました。トムさんは優しい一面もありましたが、手強い男性で、安易な約束はしない方が賢明でした」
「内装の検討をしていた金曜日の夕方、トムさんと意見を交わすことがあり、彼のBMW 850iの車内について話題が及んだ時のこと。1時間くらい運転すれば、自分の話がわかるだろうといって、鍵を貸してくれたんですよ」
ピーター・ホジキンソン氏:元チームメカニック
「故郷のニュージーランドを離れた時、目標が2つありました。F1に関わることと、TWRで働くこと」と話すのは、ピーター・ホジキンソン氏だ。
彼は主に、アメリカでの事業へ携わったという。「1990年のデイトナ24時間レースで優勝していますが、シーズン初頭には、ル・マンのプロジェクトにも関わっています」。彼が属したチームのXJR-12は、その年のサルト・サーキットで優勝を果たした。

ピーター・ホジキンソン氏と、彼が関わったジャガーXJR-12 ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
ゴールの瞬間を振り返る。「大勢がコースへ押し寄せて、人の海。ドライバーのジョン・ニールセンさんは、シートで泣いていました。エンジンを吹かせって叫びましたね」
「自分は、F1で9回の年間優勝に携わっています。メルセデス・ベンツとブラウンGPチームで、素晴らしいキャリアを築き上げることができました。それでも、TWRでのル・マン優勝は、遥かに大きな記憶になっています」
ジョン・ヒルトン氏:元パワートレイン・エンジニア
TWRの歴史にピリオドを刻んだのは、先進的なV10エンジンだった。その開発責任者だったのが、ヒルトンだ。「まったくの新設計でした。トムさんは、アウディをF1に参戦させるべく奮闘していました。本当に。あと1歩というところでしたが」
「TWRは倒産しましたが、このエンジンは待ち望まれていたものでした。恐らく、最も軽いV10でしょう。91kgしかありません。マグネシウムやチタン、カーボンファイバーを多用しています。ピストンには、金属マトリックス複合材を用いています」

ジョン・ヒルトン氏と、彼が関わったV10エンジン ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
突然のようにTWRへ終焉が訪れると、実業家のフラビオ・ブリアトーレ氏がV10エンジンを買い取り、技術者も再雇用。2000年代のルノーF1へ、彼らの技術は注ぎ込まれた。「2シーズンを通じて、軽量な部品をルノーのエンジンへ組み込みました」
果たして、2005年と2006年に総合優勝しているが、その直後に解雇されたという。「V10エンジンは、自分が引き取りました。スウェーデンでF1ツアーを運営する、ラヤマキ・レーシングへ売却しています。これは、テーブル用で残しておいた1基なんです」
