日本代表「CF史」と万能型FW 伝説の日韓戦で存在感を放った“技巧派アタッカー”
【歴代名手の“私的”技術論|No.11】戸塚哲也(元日本代表MF):1985年日韓戦でCFとして見せた印象的なプレー
1936年のベルリン五輪でスウェーデンを破り(3-2)、「ベルリンの奇跡」と呼ばれた日本代表のセンターフォワード(CF)は川本泰三。
テクニカルでエレガントなFWだったそうだ。
日本は32年後の1968年メキシコ五輪で、銅メダルを獲得した。今もって五輪の最高成績だが、CF釜本邦茂は得点王も獲得した。当時の日本人選手としては長身で、体格も逞しく、スピードとパワーを兼ね備えたCFらしいCF。現在の選手に喩えると、ロベルト・レバンドフスキが似ているかもしれない。
釜本の大活躍もあって、その後の日本サッカー界には「釜本2世」を待望する声があったわけだが、CFのプレースタイルは一つではない。むしろ日本人の体格を考えると、「釜本タイプ」の量産は現実的ではなかったと思う。奥寺康彦は左足のパワフルなシュートとスピード、体格の良さで釜本に近かったかもしれないが、ポジションはCFというよりウイングかMFで、ブンデスリーガではキャリア終盤のブレーメンで左ウイングバックとして活躍したマルチプレーヤーだった。
1985年に行われたメキシコ・ワールドカップ(W杯)アジア予選、韓国との決戦(ホーム&アウェー)にしかプレーしていないが、戸塚哲也は印象的だった。
戸塚は読売クラブ(現・東京ヴェルディ)の生え抜きで日本代表でもプレーしていたが、ポジションはMF。その後、代表招集を断っていたのだが、85年の韓国戦に急きょ招集されたのはCF柱谷幸一が累積警告で出場停止処分だったという事情がある。読売からは与那城ジョージとのセットでの招集だった。その頃の戸塚は読売でもCFにコンバートされていて、84年の日本リーグでは得点王だった。
韓国戦の日本のフォーメーションは少し変則的だ。右のFWを務めた水沼貴史は普通にウイングプレーヤーだが、左の原博実は中央へ入ってヘディングでゴールを狙う隠れたストライカーである。原が中へ入ることで空いた左のスペースには、左サイドバックの都並敏史が進出する。3人のFWから少し下がった位置に木村和司がいたので、今風に表記すると4-2-3-1という形だった。戸塚はCFとして先発している。
その後の日本代表で主流となった、ゲームを作る「戸塚タイプ」のCF
国立競技場での第1戦は、韓国が2-1で勝利した。実力的にも韓国が一枚上だったが、東京での第1戦を慎重に戦ったのも勝因だろう。韓国は日本の攻撃の中枢である木村を厳重にマークしながら日本にボールを持たせた。予想外にボールを持てた日本は攻勢に出るが、これは韓国の思惑どおりで逆襲から2点を失っている。日本も木村のFKから1点を返したが、そこまで。
ただ、戸塚のプレーぶりは面白かった。途中から中盤に下りてボールを預かり、ゆったりとしたドリブルで運んでいった。懐の深いキープ力には定評があり、韓国もボールを奪えない。それまでの日本のCFにはあまりいない、ゲームを作るCFだった。
韓国での第2戦は0-1。戸塚の日本代表でのCFはこの2試合のみだが、その後の日本代表のCFは得点を量産するというより、ボールをキープして攻撃の起点になるタイプのほうが多くなっていく。
ヴェルディ川崎(当時)ではJリーグ開幕前に優勝したナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)で、戸塚が引きつけて三浦知良がシュートというパターンがあった。日本代表では高木琢也や城彰二がトップでタメて、セカンドトップの三浦が狙う形だった。戸塚が流れを作ったというより、日本のCFは元々そういうタイプのほうが多いからだと思う。
柳沢敦、前田遼一、大迫勇也の歴代CFは「万能型」ではあるが、前線でキープして攻撃を作る役割を果たしてきた。2010年南アフリカW杯でCFだった本田圭佑もそうだ。単独突破型はほとんどおらず、パスワークで攻め込んでいく過程で関与できるCFが求められてきたということなのだろうし、それに適した人材も多かったわけだ。
「釜本タイプ」は久保竜彦くらいで、ほとんどはMFも兼任できるような「戸塚タイプ」に近い。裏抜けが得意なスピード型も何人かいるが、CFとしてはキープ力に優れた選手が日本代表の主流であり、不可欠だったわけだ。(西部謙司 / Kenji Nishibe)
