甲子園の優勝校が決定したね。文科省管轄で行われる日本の部活動文化、その象徴と言ってもいいこの大会は、夏の風物詩として長く日本人に愛されてきた。テレビと新聞、つまりビジネスが大きく絡み、興行としての色合いも強い。
 
その存在価値があまりに大きすぎるがゆえか、多くの選手たちにとって、ここが競技人生の頂点となり、そしてメディアもそうした美談の描き方をする。例えばケガをおして投球を続けるエースにとって、ここが彼のこれまでの野球人生のハイライトであり、集大成である。無理をしてでもグラウンドに立つ生徒は多い。
 
これは甲子園に限らず、サッカーやその他の部活動でもよく議論される話だね。彼のその先の競技人生を考えれば、たとえ晴れ舞台とはいえ、指導者なりスカウトがそこでストップをかけることも必要な時もあるだろう。部活が競技人生の頂点ではなく、プレーはその後も続くのだから。

一方で、プロを目指していない子供にとっては、多少の無理をしてでもその舞台に立つことが、人生において大きな経験になるというのも否定できない。甲子園に出た選手は、地元のヒーローになり、まさに一生の思い出とステータスが作られる。
 
学校教育の一環である部活動がこれほど盛んなのは、日本とアメリカくらいだろう。そのあり方の是非は、考え続けていかなければならない問題だと思っている。これから少子高齢化がますます進み、学校の部活動にもさらに影響が出てくる。子供の取り合いになっているケースも多々あるよ。甲子園の熱闘は素晴らしいが、大人たちはただそこに群がるのではなく、日本の子供たち、スポーツにとって何が一番いい方法かを考えなければならないね。