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 ◇セ・リーグ 阪神12―3広島(2026年6月28日 マツダスタジアム)

 映画にもなった作詞家・阿久悠の自伝的小説『瀬戸内少年野球団』(文春文庫)は終戦直後の淡路島が舞台だ。バラケツと呼ばれる、やんちゃな少年はよくデタラメを言う。当時、タイガースの中心投手を「ゴエンセイ」だと話していた。

 実際は「御園生」だった。当時、新聞や雑誌など活字でしか情報が得られず、少年は読み方がわからなかったのだ。正しくは「みそのお」。御園生崇男である。

 球団創設メンバーで、戦後は監督兼投手の若林忠志、主砲の藤村富美男らチームを支えた。優勝を果たした1947(昭和22)年は開幕から13連勝、18勝6敗で最高勝率に輝いている。

 高橋遥人の開幕10連勝はこの御園生以来、阪神では79年ぶりだった。

 御園生は心やさしい人柄で、古いOBは「怒ったのを見たことがない」と口をそろえる。温厚で愛妻家。ロイド眼鏡をかけ「銀行員」と呼ばれた。つつましく、やさしい高橋とどこか似ている。

 ただ、この日の高橋は苦しい投球だった。6回まで毎回の8安打を浴びて3失点。今季2本目の本塁打を浴びていた。

 7回表の打席で代打が出され降板。この時点で3―3の同点だった。

 高橋の降板に選手たちは奮いたった。今季、幾度も連敗を止めるなど、チームの危機を救ってくれた高橋である。何とか10勝目を贈りたいとの思いがあったろう。

 代打で出た福島圭音が右前打で出て、高寺望夢が中前打でつないで1死一、二塁。中野拓夢が右中間に勝ち越し決勝の三塁打を放ったのだ。

 ヒーローインタビューで中野は言った。「遥人さんが粘ってよく投げてくれていました。いつも助けられていたので、ここは自分が助けたいと思っていました」。野手の思いを代表するような言葉として聞いた。

 苦しんでいる者がいれば、誰かが助ける。この投打の協同の精神こそ、野球の神髄だと言える。

 『――野球団』は終戦時、小学生だった阿久の実体験が基になっている。著書『清らかな厭世(えんせい)』(新潮社)で<野球とともに生きようとした少年たちは、嵐の時代の中で迷い子にならなくて済んだ>と書いている。そして<野球のルールやマナーを通してであれば、民主主義さえも理解出来たのです>。

 高橋に開幕10連勝を贈った選手たちには野球らしい心があったとみている。 =敬称略=

 (編集委員)