「母は、最後まで自分にお金を使えない人でした」母が孤独死した月収60万円の55歳娘、母の遺品で見つけた〈栗色の手帳〉の中身に号泣したワケ【FPが解説】
地方の実家を離れて都会でキャリアを積む人が増える一方で、遠距離ゆえに親の異変に気付けず、悲劇に直面するケースが後を絶ちません。親子仲が決して悪くなくても、日々の仕事の忙しさや「まだ元気だから心配させたくない」という親側の遠慮から連絡が途絶えがちになり、結果として深刻な事態を招いてしまう実態が存在します。本記事ではAさんの事例から、別居する高齢親への万が一の備えについて、社会保険労務士法人エニシアFP共同代表の三藤桂子氏が、現代の家族の在り方を紐解いていきます。※事例はプライバシー保護のため、一部脚色しています。
18歳、親元を離れ単身東京へ
地方の田舎町で、一人娘として両親の愛情を一身に受けて育ったAさん。幼いころから都会に憧れていたAさんは、都内の大学へ進学しようと勉強に励みました。努力は実を結び、推薦入学枠を勝ち取ります。
両親は娘の上京に反対していたものの、Aさんは何度も熱心に説得。折れた母がへそくりから資金援助をしてくれて、念願だった都会での新生活をスタートさせました。
Aさんは両親との仲が悪かったわけでも、思春期の反抗心から家を出たわけでもありません。これからは女性も自立する時代だと考えていたAさんは、大学での学業はもちろん、自己研鑽を重ねて自身の可能性を広げたいと、親元を離れたのです。
しかし、生まれてから一度も田舎を出たことがない両親からは、「都会は危ない、怖い」という固定観念がどうしても拭えませんでした。そんな両親を安心させようと、Aさんは上京後も週に1回以上の電話連絡を欠かさずに続けます。
大学卒業後も都内での就職を希望した彼女は、大手企業への入社を決めました。Aさんが入社した会社では、キャリアパスが総合職と一般職の二つにわかれており、当時の一般職では、結婚を機に家庭に入り、退職する同僚が少なくありませんでした。そのなかで、できれば定年まで働き続けたいという意志を持っていたAさんは総合職を選択し、着実にキャリアの階段を上りはじめたのです。
父の急逝、残された母からの同居の拒絶
総合職としての仕事は充実していましたが、同時に残業や転勤も多く、就職してからは実家へ帰省する機会が減っていきました。そんな折、父が倒れて急逝してしまいます。Aさんは知らせを受けてすぐに病院へと駆けつけましたが、最期を看取る瞬間には間に合いませんでした。
父の葬儀の席で、母から初めて聞かされる父の話がありました。上京に反対していた父でしたが、実は隣近所の人たちに「娘は東京でキャリアウーマンといわれているんだ。立派に活躍しているんだよ」と、いつも自慢していたというのです。聞いたときには、思わず涙が溢れました。
父が亡くなったあと、Aさんは母が一人暮らしになることを心配します。「東京で一緒に暮らさないか」と説得を試みるものの、母親の答えは頑なでした。「住み慣れた田舎の暮らしが合っているから」と断られてしまったのです。「身体も元気だし、一人で全部できるから大丈夫よ」と笑う母親の言葉を信じるほか、当時のAさんには選択肢がありませんでした。念のため、実家のご近所さんに、「母の様子をときどき見にいってほしい」とお願いをしておきました。
「独居の母」への月10万円の仕送り
父が亡くなるまで、Aさんの両親は小さな商店を営んでいました。お店の切り盛りのかたわら、裏の畑で自家製の野菜を作り、質素倹約の生活を続けてきたのです。しかし父の死後、その商店も閉めざるを得なくなり、母は年金だけを頼りに暮らすこととなりました。
母が受け取れる国民年金は月額で約5万円という厳しい金額です。これでは日々の生活費や医療費を賄うだけで手一杯になってしまいます。そこで、昇進を重ねて月収60万円を得ていたAさんが、毎月10万円の仕送りをすることに決めました。
その後、Aさんは管理職へと昇進し、任される責任とともに仕事は一層忙しさを増していきます。仕事が終わって帰宅が夜遅い時間になると、いまから電話をかけたらもう寝ている母を起こしてしまうかもしれないと躊躇するようになり、実家への連絡回数も徐々に減っていったのです。
ご近所さんからの悲しすぎる知らせ
Aさんが55歳のときのこと、様子見を頼んでいたご近所さんから、Aさんの携帯電話に連絡が入りました。
ご近所さんは質の悪い風邪を引いてしまい、1週間以上も寝込んでいたそうです。そのあいだ、Aさんの母の様子を見にいくことができずにいました。ようやく体調が戻って訪ねたところ、部屋の一室で冷たくなって倒れている母を発見したというのです。すでに息を引き取っており、死因は病死でした。
ショックでAさんは言葉を失いました。父に続き、最愛の母の最期にすら立ち会うことができず、誰にも看取られずに孤独死させてしまったという後悔と申し訳なさが、彼女の胸を締め付けます。
増加する「おひとり様」の孤独死…遺品整理で見つけた手帳
警察庁刑事局が公表した統計データによると、令和6年における警察取扱死体のうち、自宅において死亡した一人暮らしの者のなかで、生前に社会的に孤立していたことが強く推認される「死後8日以上」を経過して発見された遺体は、2万1,856件にものぼります。また、参考値として「死後4日以上」を経過していたケースでは、3万1,843件です。
Aさんの家庭のように、親子仲が悪いわけでなくても、離れて暮らしていることや、親自身が「住み慣れた家で暮らしたい」と願う気持ちが発端となり、結果として痛ましい孤独死を招いてしまうケースは後を絶ちません。
葬儀後、Aさんは遺品整理を行うために実家へと戻りました。片付けを進めるなかで、引き出しから栗色の手帳を見つけます。母の日記かと、中を開いてみると、Aさんはその場で号泣してしまいました。
その栗色の手帳は、万が一のときに備えて書き残された「エンディングノート」でした。中には、古い印鑑や通帳の隠し場所、お墓の希望などが記載されていました。そしてページの後半には、娘への思いが綴られていたのです。
[娘は頑張り屋さんで、自分の夢を叶えてくれて嬉しい。なかなか会えないのは寂しいけれど、いつもあなたのことを一番に応援しています]
「手帳には、通帳が挟んでありました。私からの仕送りが、使われることなくそのまま全額残されていたんです。それを見た瞬間、涙が止まらなくなって、その場に崩れ落ちてしまいました。母は、最後まで自分にお金を使えない人でした」
思わぬ税務リスク
しかしこのあと、ファイナンスの現実がAさんに重くのしかかることになります。手つかずで残された「毎月10万円の仕送り」が、税務上で大きな問題となったのです。
国税庁のルールでは、親子や夫婦など扶養義務者間で行われる仕送りは原則として「非課税」とされています。しかしこれには、「必要な生活費として、その都度消費されること」という条件があります。
Aさんの母のように、仕送りに一切手をつけず口座に貯め込んでいた場合、それは生活費ではなく「通常の贈与」とみなされる可能性があります。Aさんは毎月10万円、年額にして120万円を送っていました。贈与税の基礎控除額は「年間110万円」であるため、それを超えた部分に対して過去に遡って贈与税が課税されるリスク、あるいは相続時に税務署から「名義預金(実質的にはAさんの財産、あるいは母の相続財産)」として指摘を受け、ペナルティの対象になるリスクが発生しかねません。
親を想う優しい気持ちから生まれた月10万円の仕送りが、結果として税務上のトラブルを招いてしまう――。こうした悲劇を防ぐためにも、やはり事前のコミュニケーションが不可欠でした。
親子で共有する「エンディングノート」
エンディングノート自体には、遺言書のような法的効力はありません。しかし、身内と離れて暮らしているからこそ、万が一の事態が起きたときに、その人の想いや意思を遺された家族へ伝えるための有効な手段となるでしょう。事前に自分の希望を整理しておくことは、残された家族の精神的な負担を軽減し、親族間でのトラブルを未然に防ぐことにもつながります。
特に近年では、パソコンやスマートフォンの中に残されたデータや口座情報といった「デジタル遺品」の取り扱いがわからず、残された家族が相続や解約手続きでトラブルに発展するケースが急増しています。
離れて暮らす親の気持ちを知り、残された子が前を向いて生きていくためにも、生前からエンディングノートをコミュニケーションツールとして親子で共有しておくことは、非常に重要な意味を持つのではないでしょうか。
〈参考〉
内閣府ホームページより「孤立死者数の推計方法等について」
https://www.cao.go.jp/kodoku_koritsu/torikumi/wg/r6/pdf/houkokusyo.pdf
厚生労働省:孤立死防止対策
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12000000-Shakaiengokyoku-Shakai/0000034190.pdf
三藤 桂子
社会保険労務士法人エニシアFP
共同代表

