【ラーメン現代Lab.、阿古 真理】町中華が”倒産ラッシュから一転”よみがえり…令和の若者たちが行列を作るようになった「明快な理由」
「町中華」や「ガチ中華」といった呼称が世間に浸透してすでに久しい。この一連の“中華ブーム”を背景に、現在「中華料理店」業界は、一時の過酷な経営環境から脱し、回復傾向にあるようだ。
帝国データバンクが6月2日に発表した〈「中華料理店」の倒産動向(2026年1-5月)〉によれば、倒産は12件と、2024年・2025年の水準に比べて3割以上も少なく、年間では4年ぶりに前年を下回る可能性があるとしている。
無論、依然として他の外食業態同様、原材料コスト高や人手不足、後継者問題といった逆風はあるものの、この中華ブームは一過性ではなく、すっかり定着したものと考えれば、中華料理店の伸び代は十分にあるはずだ。はたして〈町中華とガチ中華〉、この2つの流行は“本物”なのか――。くらし文化研究所主宰・作家・生活史研究家の阿古真理氏が解説する。
「町中華」ブームはいつから始まった?
最近、中華料理店なのにカレーやオムライスも出すような庶民的な食堂を指す「町中華」という呼び名が、すっかり定着している。情報誌で特集されることは珍しくなくなったし、テレビでも、2017年に『ぶらぶら町中華』(テレ朝チャンネル)が、2019年には『町中華で飲ろうぜ』(BS-TBS)が、放送を開始している。
一方で、近年各地に誕生している中国東北地方から来た人たちが暮らす、あるいはよく行く新チャイナタウンで提供される料理は「ガチ中華」と呼ぶ。中国人を対象にした飲食店では中国語が飛び交い、まるで中国に来たかのような気分が味わえる。料理も日本人向けのアレンジなしのモノだが、そうした本格的な味を求めて、新チャイナタウンへ通う日本人も多い。
くしくも同じタイミングで人気を博してきた町中華とガチ中華。2つのブームには、何か共通点があるのだろうか。それともまったく異なる流行なのだろうか。2つの流行について掘り下げてみたい。
まず、町中華の話から始めよう。町中華は、ノンフィクション作家の北尾トロさんが2013年末に命名した。そうした由来にまつわるエピソードから始め、町中華の歴史を発掘した『夕陽に赤い町中華』(集英社インターナショナル)を北尾さんは出している。
町中華がブームになっているのは、北尾さんが仲間と「町中華探検隊」を結成し、盛んに情報を発信するようになったことがきっかけだ。北尾さんたちが情報発信を始めたのは、そうした店が次々と閉店していく様子を目の当たりにし、なくなるのを惜しんだからである。すると共感する人が増え、流行が始まったのだ。
それまで注目することもなければ、その場所を訪れたこともなかった人たちが、消滅の危機が判明すると急に惜しんで集まる、という現象は今に始まったことではないが、そこには深い事情が含まれているのではないだろうか。
なぜ「餃子」は町中華の定番になったのか
庶民の店はできてはつぶれるのくり返しで、記録が残されることが少なく、メディアに取り上げられることも少ないので歴史を発掘することは困難である。しかし、北尾さんは町中華を探検しながら、店が増えたのは戦後だが、少なくとも大正時代まで歴史をさかのぼれることを突き止める。
ルーツの一つは東京・人形町にあった「大勝軒」で、同店の創業は1913年。1986年に中華料理店としては閉店し、「珈琲 大勝軒」という喫茶店になった。
同店は、初代店主が広東省出身の料理人と出会ったことを機に、開業している。その後のれん分けで弟子の店が増え、戦争の混乱を潜り抜ける。2020年に閉店したものの、弟子の店は健在だ。
調べる過程で北尾さんは、同店をはじめ戦前の中華料理店で定番だったシュウマイが、他の料理であまり使わない「蒸す」という工程のため敬遠され、戦後に人気になったギョウザに主役の座を奪われ廃れていった事実も発見する。何しろどちらも、たねを一つ一つ皮で包まなければならない。両方作るのは難しいのだ。
やがて北尾さんは、町中華に洋食や和食のメニューがあるのは、家族連れなどの客の要望に応えていった結果だと突き止める。よく、人気ドラマの『孤独のグルメ』(テレビ東京系)で、壁にぎっしりメニュー名が並ぶ居酒屋が登場するが、それらの店も客の要望に応えるうちにそうなった、という場合が多い。
庶民の店では、「当店は中華料理屋ですから、洋食は出しません」などと言っていたら、客が離れてしまう危険がある。何でも応えてくれるからこそこの店が好き、という客が一定数いるのだ。前出の『夕陽に赤い町中華』には「町中華は昔から、店と客が一緒になって作り上げてきたジャンルなのだ」と記してある。
時代がもたらした“何でもあり”の町中華
今でも、常連が多くて、敷居が低く気軽に入れる飲食店には、彼らだけが知っている裏メニューやまかないから転じたメニューがあったりするが、そうした身内意識を持てることが、常連が店に通う理由になっていたりする。
料理を運んでくれたから店員かと思っていたら、勘定を払って出ていくので客とわかった、といった現象が起こるのは日本に限らないらしく、2014〜2017年度に放送していた『世界入りにくい居酒屋』(NHK BSプレミアム)でも、常連が勝手に料理や飲み物を取る店がいくつも紹介されていた。
町中華の場合、発展したのが戦後から高度経済成長期にかけてで、ちょうど洋食と中華が庶民の食卓に上るようになった時期でもあった。若い世代がこぞって結婚し子どもを産み育てたあの頃、家族で気軽に入れる店として町中華が選ばれ、子どもたちが好む洋食も出して欲しいと客は望んだ。そうした時代が何でもありの町中華、という特異な存在を育てていったのだと思う。
この頃はまだファミレスがなく、家族でお出かけする際に入る店の定番が百貨店食堂だった時代。当時の百貨店食堂は和洋中何でもありだから、もしかすると飲食店はそういう場所、という認識を持つ人たちもいたかもしれない。
町中華に通った思い出のある人たちがまず町中華を支持し、その後、その時代を知らない若い世代が面白がって行き始めた、という流れでブームになったと思われる。
若者たちには「新鮮に見える」のではないか
もう一つ重要なポイントが、町中華はのれん分けで同じ屋号を名乗る場合もあるが、ファミレスなどのフランチャイズチェーンと異なり、サービスの仕方が属人的でメニューも自由度が高い点だ。
平成以降、チェーン展開する店がずいぶんと増えた。町としての歴史が浅い郊外では、中核駅前にカルディーコーヒーファーム、成城石井、無印良品、ユニクロ、コンビニ、ドラッグストアなどのチェーン店が並び、どこにでもありそうな空間になっていることが少なくない。カフェもスタバかサンマルクカフェ、ドトールなどのチェーン店がビルに入っている。
そうした町で、個人の店をあまり使わず育った世代も多くなった。だからこそ、中華料理店の定義をはみ出しているうえ、店主の人格がにじみ出る町中華の店は新鮮に見えるのではないか。
世の中、あまりにも規則と効率を重視し、個人の顔が見えないサービス業が増え過ぎた。その一般性からはみ出た存在として、町中華が支持されているようにも見える。
【後編記事】『物価高の救世主「ガチ中華と町中華」似て非なる両者の《意外な共通点》…日本人が求める“ノスタルジー”の正体とは』へつづく。
【つづきを読む】物価高の救世主「ガチ中華と町中華」似て非なる両者の《意外な共通点》…日本人が求める”ノスタルジー”の正体とは
