味の素株式会社は2023年4月、マーケティングデザインセンター(MDC)を新設した。コミュニケーションデザイン部(旧:広告部)、マーケティング開発部(旧:生活者解析・事業創造部)、D2C事業部(新設)で構成された横串組織だ。この大胆な組織改編の背景には、近年の消費者行動の大きな変化がある。知ってから買うまでのプロセスすべてがWebで完結する消費者が増えていくなかで、メーカーには消費者と直接コミュニケーションをとりながら売るという仕組みを持つことが求められている。味の素・コミュニケーションデザイン部部長の向井育子氏は、そうした消費者とのコミュニケーションについて、「大事なのは、『我々から消費者を愛すること』が起点にあるかだ」と言い切る。7月8日に行われた「DIGIDAY POST COOKIE FORUM」にて、「消費者の『好き』を、とことん妄想する。愛し、愛される、味の素のコミュニケーション設計」と題したセッションに登壇した同氏が、MDC設立の経緯から味の素が目指すコミュニケーション戦略までを語った。

新設MDCに求められた3つのこと

創業100年を超える味の素は、ほかの大手メーカーと同様に、「製品を開発し、マス媒体で広告を打ち、流通に卸す」というマスに最適化した仕組みのなかで企業活動を行ってきた。しかし、スマートフォンの普及とともに情報のパーソナル化が進み、消費者は興味関心のあるものだけに触れ、そこから情報を取得していく人が増えてきた。「製品の購入場所も多角化し、小売店の店頭に足を運ばなくても購入できるチャネルが増えてきた。情報収集から購入まですべてがWebで済む時代が本格化すると、現状のままでは食品流通業界の売上は2割近く減少するという試算も出ており、大変な危機感があった」と、向井氏は振り返る。社会が変わり、消費者行動が変わったとしても、消費者に選ばれ続ける会社にならなければいけない。そのためには、味の素というブランドロイヤリティを高める必要があったという。顧客理解の不足という観点から設立されたMDCには、以下の3点が求められていた。既存ブランドで既存の販売チャネル以外のビジネスモデルを構築することチャレンジする文化の醸成オンラインを中心とした消費者との1 to 1コミュニケーションの確立向井氏はコミュニケーションデザイン部の部長として、これまで行ってきた製品・サービスの開発にプラスし、コミュニケーション、クリエイティブ、そして味の素全体のブランド力強化に取り組むこととなったという。「我々は単に商品を作っているのではなく、消費者に驚きと感動を与え、『ありがとう』とお互いに言い合えるような関係性を持つブランドにならなければいけない」。

「愛し、愛される」にはどうしたらいいか

さまざまな顧客接点からデータを収集・分析することでロイヤリティの高い消費者をピックアップし、ファン作りに活かしていくという点で意思統一はできていたが、MDCにも課題はあったという。3つの事業部間で「めざすマーケティング」のイメージやKPIに違いがあり、「足並みを揃えることができていなかった」と向井氏は打ち明けた。そうした状況を打開するためにも、同氏は「『愛し、愛される』にはどうしたらいいかという意識を、まずは考えることが大事だった」と振り返る。たとえば、データを活用してロイヤリティの高そうな消費者にピンポイントで届けようとしても、消費者からするとそれは一方的な話でしかない。「だからこそ、『好きだと言ってほしい』『なぜ分かってくれないのか』『この人は私たちのことを理解していない』などと考えるのではなく、まずは自分が消費者のことを好きなるところから始めるべきだ」と、向井氏は言う。そうした意識を大事にしようと、日頃からMDCのメンバーに伝えているようだ。

まるで恋人のように考え抜くこと

また、「ファン作り」というキーワードも向井氏は大事にしているという。「ターゲティングして売りを作るではなく、好きになってもらってそれで売れる。この順番を間違えないことがすごく大事だ」と、同氏は強調する。そうした意識は、消費者だけでなく、会社の仲間、エージェンシー、媒体社、デザイナー、関わりのある会社の社員など、直接の関係者に加えて、その家族、友人まで広く向けているようだ。「彼らは何が好きなのか、どうやったら彼らに好かれるのか、まるで恋人のように考えていく。そうして考え抜いた『好き』を、データのなかからもう一度探していく。こうした順番で考えることが、味の素が求めるマーケティングには必要だ」と向井氏は力説し、こう続ける。「いま我々が行おうとしているのは、より消費者と繋がっていこうとすること。だからこそ、本当に心のなかから、まるで恋人のように考えなくてはいけない。その気持ちを忘れると、消費者から『裏切られた』と思われるようなことを、うっかりやってしまうことすらありえる」。

PESOモデルでコミュニケーション設計

一方、コミュニケーション設計の構築に際して現在活用しているのがPESOモデルだという。味の素ではマス4媒体を活用しているが、そこだけに囚われないコミュニケーション設計を構築するために、PESOモデルは欠かせない。たとえば、ペイドメディアやアーンドメディアに出稿した広告が、どんな消費者の声を得てどんな反応を起こし、製品に興味を持って好きになってくれるのかを調査したり、シェアードメディアで消費者が発信してくれた「好き」をシェアしたり、加えてそれらをピックアップしてオウンドメディアで発信する、ということに取り組んでいるという。コミュニケーションデザイン部としての成功事例のひとつが、「Cook Do® 香味ペースト®」のSNSキャンペーンだ。入社2年目の社員が手掛けたもので、タレントの「クロちゃん」さんが、同じくタレントで恋人でもある「リチ」さんの作ったお料理を食べるというショート動画をTikTokとインスタグラムで展開したものだ。結果として、食品会社としては例がないオーガニックで1000万バズを記録した。「MDCが掲げるチャレンジ精神を体現する事例でもあった」と、向井氏は振り返る。「元々は社内で選ばれなかった企画だったが、本人の熱意が強く、直接タレント事務所と交渉したり、パイロット動画を自分で撮ったりしていた。そうした『好き』という熱意が動画を通じて、消費者にも伝わったのではないかと思う」。また、従来インフルエンサー施策はエージェンシーから味の素という商流が基本だったが、本施策では直接、味の素がインフルエンサーと交渉したことで味の素からエージェンシーという商流を生み出し、コストを10分の1に低減したようだ。さらにそれを、フロー化することにも成功したという。

100年先のブランドを作ること

PESOモデルを活用したコミュニケーション設計でとくに重視しているのは、「さまざまなチャネルで得られたファンの言葉をより大きく広げていくということだ」と向井氏は語る。このスタイルでの成功事例のひとつが、2023年秋に展開した「CookDo® オイスターソース」のキャンペーンだ。TVCMなどと平行して、地方紙やレタス農家と連携した「レタス保存新聞」という新聞広告を実施したところ、SNSで大きく反応があった。「レタスが保存できて嬉しい」「腐らなくて便利」といったSNSの声を味の素がオウンドで発信することで、「レタスを新聞紙で巻く」ということがお役立ち情報としてバズり、他媒体に大きく波及したことで「CookDo® オイスターソース」は4年ぶりにシェアNo.1を奪還、そして売上にも大きく貢献した。こうした成果を受けて、「今後はインフルエンサーマーケティング施策を強化していきたい」と向井氏は意気込む。これまでエージェンシー任せだったインフルエンサーの選定・依頼は、現在はすべて味の素の社員が担っているという。「この人は『味の素、あるいは味の素の製品が好きそう』と感じる人に直接連絡して、そこで気が合ったインフルエンサーたちと一緒に仕事をしていくというプロセスが大事。フォロワー数は大きく増えるわけではないが、少しずつ積み上げるように増やしていっても構わない」と向井氏。こうした積み重ねの結果、味の素のメディアの露出は2023年、前年と比較して170%ほど伸びたという。向井氏はMDCの方向性について、こうまとめた。「ファン作りを通したブランディングが、これから100年先のブランドを作ることに続いている。それを支えるのは『愛し、愛される』という意識。この流れを大事にしながら、我々と消費者とのあいだを丁寧にコミュニケーションデザインしていきたい」。

向井 育子/味の素株式会社 コミュニケーションデザイン部 部長。1993年に味の素株式会社に入社し、広告部に配属。13年間従事したのち、「事業部のほうがもっとクリエイティビティがあるのではないか」と思い立ち、2006年に事業部門 調味料部・家庭用事業部へ異動。その後、2014年に味の素冷凍食品株式会社に出向し、商品開発グループ長や製品戦略部長(家庭用・業務用)などを務めたあと、23年7月に現職へ就任。

Written by 内藤貴志Photo by 三浦晃一