久しぶりにアメリカを3週間ほど視察した。既に多くの人から指摘されているように、アメリカに滞在していると物価の高さに驚愕する。駅の売店でミネラルウォーターを買っても1本が3ドルから4ドル。ハンバーガーにドリンクを付ければ、日本円で3000円を優に超えていく。市内に1日滞在して、費用を1人1万円以内に収めるのは至難の業だ。

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ニューヨークではすべての価格が東京の3倍

 ニューヨーク市内で比較的治安のよいエリアで、日本のビジネスホテル程度の設えを求めれば、1泊4万円から5万円は出さないとまともなホテルに宿泊することはできない。ヒルトンなどブランド系の3つ星から4つ星クラスになると10万円を超えてしまう。

 現地に駐在している日本の友人によれば、ニューヨークの物価水準は東京の約3倍だという。彼が勤める会社の現地法人は現地採用で多くの従業員を抱えているのだそうだが、日本でいう大卒新入社員の給与はおおむね年収で1500万円にもなるという。それならば日本の学生は日本で就職せずにニューヨークで就職すれば、と思うかもしれないが、物価水準が3倍のニューヨークでは年収は実質500万円ということになる。ニューヨークの途方もなく高い家賃を含めて考えれば、市内でまともな生活を送ることは不可能だということだ。実際若い人の多くは、1人でアパートを借りることができずに、シェアハウスなどで暮らしているという。

 ニューヨーク市内でのビル清掃員の時給は3600円ほど。東京都内での最低時給が1226円であるから、やはり約3倍だ。つまり生活におけるすべての価格が東京の3倍に設定されているのがニューヨークの現状だ。

 この事態を見て、多くの日本人が思うのが、もうニューヨークには行けないし、行かなければよい。そんなに物価が高い街はさぞや暮らしにくいだろう。日本はよかった。物価が上がっているといってもニューヨークほどではない。日本に生まれてよかった、といった長閑な感想の数々だ。

落ち込んだ円の“信認”

 実際、日本から外国に渡航する人(アウトバウンド)の数は、コロナ禍が沈静化した現在になっても年間1473万人(2025年)とコロナ禍前(2019年)の2008万人の7割程度の水準にしか回復していない。パスポート保有率も18%に落ち込み、日本人の渡航熱は冷え込んだままだ。

 こうした状況の背景にあるのが円安だ。外国為替市場における円とアメリカおよびアジア諸国通貨のコロナ禍直前の2020年初値と2025年終値を比較し円が各国通貨に比べてどれだけ下落しているのかを見てみよう。

・シンガポールドル:51%

・マレーシアリンギット:45%

・USドル:44%

・中国元:43%

・タイバーツ:36%

・ベトナムドン:27%

・フィリピンペソ:24%

・インドネシアルピア:20%

 これまでは日本人は東南アジア諸国に旅行に出かけるとその物価の安さに驚き、庶民でもかなり贅沢な旅行を味わうことができた。だが現在の状況では日本はアメリカやヨーロッパ、中国はもとより、東南アジア諸国の通貨に対してもこの6年間で20%以上も円の信認が落ちていることがわかる。

円安外国人による日本の不動産の爆買いを誘発

 アメリカ人が2020年初頭に日本にやってきて1億円のマンション住戸をみたとき、92万ドルであったものが現在(2025年末)、同じ1億円の物件をみるとなんと64万ドルの大バーゲンセールに映っている。同様に他国の富裕層も日本の不動産の格安ぶりに驚いているのに違いはない。

 こうした円安状況が中国や台湾などの外国人による日本の不動産の爆買いを誘発していることはすでに数多く報道されているところだが、さらには東京都心部を中心に日本の大企業が所有しているオフィスビルや商業施設、ホテル、賃貸マンションなどが次々と外資系投資ファンドの傘下に組み入れられている。東京都心部には日本の大企業が所有している不動産がたくさんあるが、欧米系のアクティビスト(物言う株主)たちが、本業でもない不動産業を分離(スピンオフ)して、売却益を本業投資や配当に充てるよう主張しているのである。昨年のサッポロホールディングスの不動産子会社の株式売却、現在のフジ・メディア・ホールディングスの不動産事業の売却入札などがその大規模事例だ。

 これらの入札において、日本の大手デベロッパーの名前がほとんど見受けられないのも、為替と金利の影響が大きい。欧米の投資ファンドから見れば日本のオフィスビルや商業施設は格安だ。いっぽうデベロッパーは安い円で彼らと勝負しなければならない。足元では金利が上昇を始めており、すでに有利子負債で3兆円から4兆円を抱える大手デベロッパーに、さらに数千億円から1兆円のファイナンスをして参戦する余地は少ない。

近い将来、過酷な家賃引き上げに苦しむことに

 こうした事態に直面して政府の動きは鈍い。高市早苗政権は円安の状況について「果断な措置を取る」などと勇ましい発言をするだけ。また実際に円買い介入をしても海外投資家にはその行動を見透かされているかのように一時的に円高になってもやがてこの動きは収束し、むしろ更なる円安状況を招くに至っている。高市首相においては「円安ほくほく」発言に見られるようにどうもこの状況をよく理解できていないとしか思われないような放置ぶりだ。

 近い将来において、都内の優良不動産が外資の手に落ち、日本の多くの企業が、海外投資ファンドが所有するオフィスビルのオーナーから法外な賃料引き上げを要求される。アジア系個人投資家が所有するアパートやマンションに住む日本人庶民が過酷な家賃引き上げに苦しむ事態となることも覚悟しなければならなくなるだろう。日本人は海外に出かけずに自国の安い経済の中でぬくぬくとすることは許されない将来があることにいまだ気づいていない。

もはや日本は先進国ではない

 日本は金利を上げても、円の価値が毀損し続けている深刻な状況にある。これは国際金融マーケットにおいて、円に対する懐疑的な見方が強まっていることを意味している。通貨の弱い国に発展はない。つまりもはや日本は先進国ではない、と世界が見透かし始めているともいえるのである。

 実際にニューヨークと東京の物価が3倍も異なっていることを為替(たとえば44%の円安)だけで説明することはできず、この暗澹たる事実が裏付けになっているといえる。

 あまり想像したくはないが、これからの日本は、多くの人がアメリカやアジア諸国に出稼ぎに行く国となってしまうかもしれない。

 先日、懇意にしている寿司屋の若い職人が私にこう呟いた。

「友達から聞いたのですが、今、シンガポールで寿司を握ると年収2000万円を軽く超えるんだそうです」

 私のアドバイスは、

「奥さまとまだ小さいお子さんを連れてシンガポールに行ってはだめだよ。物価が高くて年収2000万円でも満足な生活はできないから。行くならひとりで出稼ぎに行くことだね」

 これを聞いたときの彼の小さなため息が今の日本の暗澹たる現状を物語っているのである。

(牧野 知弘)