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 1993年から2009年まで、実に4期16年にわたって大韓サッカー協会(KFA)会長を務めた鄭夢準(チョン・モンジュン)氏は、日本サッカーにとっては「天敵」のような人物だった。

 日本が02年W杯招致に名乗りを上げたのは1989年、韓国は4年遅れの93年。翌94年春、鄭氏に立候補の真意を問うたコリア・レポート編集長の辺真一(ピョン・ジンイル)氏に、鄭氏はこう答えたという。「我が国はサッカーが国技だが、日本はそうではない。大学入試にたとえていえば(日本が開催国として出場するのは)裏口入学と同じ。これでは大学(W杯)の質自体が落ちてしまう」

 この年の5月、鄭氏はAFC総会で日本人候補者を破ってFIFA副会長という要職に就き、政治力を手に入れた。招致活動の軍資金は、現代重工業会長という肩書が担保した。

 鄭氏は、日本を支持していたジョアン・アベランジェFIFA会長の政敵であるレナート・ヨハンソン欧州連盟会長に近づき、欧州、アフリカ票に狙いを定める。敵の敵は味方という構図である。

 勝者はアベランジェかヨハンソンか。権力者が油断ならないのは、情勢が読めなくなると、たとえ不倶戴天ふぐたいてんの敵であっても平気で手を握ることだ。「共催」という落としどころは、権力者が生き残るための奇策であり、「日韓友好の架け橋」などというFIFAのうたい文句は、後付けの美辞麗句に過ぎなかった。

 開催環境を見る限り、日本に比べ、あらゆる面で劣位に立ち、視察団の評価も低かった韓国にすれば「共催」は「勝ちに等しいドロー」も同然だった。これにより鄭氏の声望は一気に高まり、また怪しい判定がありながらも、代表がベスト4に進出したことも追い風となり、鄭氏は同年12月の大統領選に打って出ようとする。(結局は辞退して盧武鉉候補の支持に回るも土壇場で撤回)。政治と財閥とサッカー。鄭氏こそは、この鉄のトライアングルを確立した人物でもあった。

 だが、韓国にあっては、不変のように思われたこの鉄のトライアングルが今、崩れようとしている。北中米W杯終了後に身を引くとみられていたKFAの鄭夢奎(チョン・モンギュ)会長が代表の1次リーグ敗退、不透明な監督選考の責任を取るかたちで、大会期間中に辞表を提出した。夢奎氏は夢準氏のいとこで、HDCグループ(前身は現代グループの源流である現代土建社)の総帥。13年からKFAのトップの座にあった。

 代表への強化資金の規模については明らかになっていないが、同グループは傘下のKリーグ3チームと女子WKリーグ1チームなどに、直近5年間(19〜24年)で3900億ウォン(約420億円)の資金を投じたと言われる。

 KFA関係者に聞くと「旧現代グループは、よく言えば代表チームのパトロン。悪く言えば私物。そこにメスを入れるのはいいが、グループが資金を引き揚げると、さらに弱くなる可能性もある」。脱パトロンか、親パトロンか。韓国サッカーは、最大のジレンマに直面している。(スポーツライター)