Facebook内部で浮上した中国進出の“ありえない”取引条件〜「手土産」は香港ユーザーのデータ?

Facebookでは中国市場に進出するためのあり得ない取引条件が社内で持ち上がった。写真は2016年の訪中で共産党幹部と会談するマーク・ザッカーバーグ氏(写真:新華社/アフロ)
世界で30億人以上が利用するFacebook。それでも、創業者のマーク・ザッカーバーグ氏には、長く手の届かない「最後の市場」があった。それが、世界最大のネット人口を抱えながら、海外のSNSを厳しく締め出してきた中国だ。言論が統制され、自社サービスもブロックされたその国へ、ザッカーバーグ氏は中国語を学び、自ら何度も足を運んで、参入の糸口を探り続けた。それも、国民を監視する権威主義国家で事業を興すことの是非には、ほとんど向き合わないまま--。Facebookでグローバル公共政策部門のディレクターを務めたサラ・ウィン=ウィリアムズ氏は、Metaが封じ込めようとした世界的ベストセラー『ケアレス・ピープル 権力と欲望、失われた理想の物語』で、知られざる「中国進出計画」の内幕を明かした。
(*)本稿は『ケアレス・ピープル 権力と欲望、失われた理想の物語』(サラ・ウィン=ウィリアムズ著、池田真紀子訳、すばる舎)の一部を抜粋・再編集したものです。
【前編から読む】
ザッカーバーグが中国語を独学してまで狙った「最後の市場」〜Facebook極秘の中国進出計画
外部の専門家より社内の人材を優先
長いあいだ、中国関連の政策業務はマーニー・レヴィーン(編集部注:Facebookのグローバル公共政策担当副社長)が主導し、日々の実務はアジア事業チームが回していた。しかし2014年始めに私が産休を取っているあいだに、Facebookは中国チームの新責任者を任命した。中国での具体的な経験を持つ人材を採用する代わりに、企業開発チームのヴォーン・スミス(編集部注:Facebookの企業開発担当、中国事業の新責任者)を抜擢したのだ。
ヴォーンはeBayを経て、Facebookではモバイル関連のパートナーシップ業務を担当していた。いかにもFacebookらしいやり方だ--外部の専門家より社内の人材、政策の専門知識(今回で言えば中国に関する専門知識)よりビジネス経験を優先する。私には正気の沙汰とは思えない。偶然にもヴォーンも私と同じくニュージーランド出身で、私の母が教え、弟が通っていた高校を卒業し、私の故郷クライストチャーチの大学を出ている。
ヴォーンは人なつっこくてエネルギーに満ちあふれた男性だ。いつも早口で、バネが入っているみたいな足取りで歩く。私はヴォーンが好きだ。好きにならずにいられない。彼は筋肉質で引き締まった体つきをしている。きっとサイクリングや水上スキーなど、スポーツを趣味にしているおかげだ。時間に追われているアメリカ人の同僚たちとは違い、ヴォーンにはなぜか趣味に費やす時間がたっぷりあるらしい。親しみやすい顔立ちに、砂色の髪と青い目、強いニュージーランド訛がよく似合っている。
何人かから、こんなエピソードを面白おかしく聞かされた(私は彼らが知っているヴォーン以外のニュージーランド人だからだろう)--ヴォーンの奴、「xxx(ディック)を見せてやる」って言うんだよ。ニュージーランドでは、“e”を“i”と発音する。だから、ヴォーンがスライド(デック)をお見せしますと言うと、ビジネスの場にふさわしくない誘い文句に聞こえてしまう。
どうやらハビ(編集部注:ハビエル・オリバン=Facebookの成長部門(Growth)チームを率いている)はこう言ったらしい。「いや、ヴォーン、やめてくれ。そんなもの、見たくない」ヴォーンはそういう誤解を笑い飛ばすタイプで、むしろそれを自分の持ち味くらいに思っている節がある。場が多少気まずくなっても平然としていて、男子ロッカールーム的ざっくばらんな陽気さを失わない。
ヴォーンはよくパロアルトにある宮殿みたいな自宅に同僚を招く。美男美女ぞろいの家族がFacebookの多様な社員をもてなし、季節によって野外グリルやスイミングプールを囲む。ヴォーンはあらゆる面で恵まれている人という印象だ(実際、望むものはすべて手に入れた人なのだろう)。
ゴルフで中国市場をこじ開ける新責任者
ヴォーンの仕事のやり方は、私とも、政策チームの大半のスタッフとも違っている。中国市場をゴルフクラブでこじ開けようと決め、誰とゴルフをプレーしたかを随時報告してくる。その相手が政府高官との面会を取り持ってくれるかもしれないと言う。ブリーフィング資料の準備や規制の追跡、政治情勢の分析といった実務は、インターンや、自分の下で働く女性スタッフに丸投げしていた。
重要な事実に気づいていないように見えることもある。マーク(・ザッカーバーグ)の訪中日程を、中国共産党の主要な政策方針を決定する第四回全体会議(四中全会)--中国の高官が全員出席する会議で、開催中は一年でもっとも忙しい1週間と言っていい時期--にぶつけてしまった。出発の前の週かその前の週くらいになってようやく、四中全会の開催に気づいたようだった。
ヴォーンが新しい職務にまだ馴染んでおらず、マークの中国向け戦略のメールからわずか数日というタイミングで、当時は中国でサービスが稼働していたInstagramがブロックされる可能性があることがわかった。それどころか、中国政府はさらに一歩踏みこみ、AppleとAndroidの中国ストアからInstagramを排除するのではないかという噂も流れた。
サービスが突然ブロックされる脅威は、Facebookが中国市場での自社の運命をほとんどコントロールできないという不都合な事実を浮き彫りにした。中国政府から事前の連絡があるわけではなく、ブロックを阻止する術がなく、実施時期さえ正確に把握できないのだ。
ほかのスタッフがパニックに陥るなか、ちょうどゴルフ場の9番ホールにいたヴォーン一人だけが、まるで他人事(ひとごと)のように肩をすくめて受け流した。
「残念だな。しばらく前から中国はInstagramが最速で成長している国だったし、このままいけば2015年にはアメリカを抜いてナンバー1になっていたはずだから」
ヴォーンはそう言うと、中国にFacebookの実体オフィスの設置と、Facebookが中国でサービスを展開するための提携先探しに焦点を合わせた。ヴォーンが狙いを定めたのは、ベンチャーキャピタルのセコイア、プライベートエクイティ界の大物スティーヴン・シュワルツマン(編集部注:ブラックストーン共同創業者・会長兼CEO)、情報通信企業のチャイナ・ブロードバンドなど、Facebookの中国進出の突破口をこじ開けられそうな相手だ。
私はヴォーンの戦略がいまだに理解できずにいた。そんなとき、香港と中国に対するチームの考え方の一端が見えた。ある日ジュニアスタッフが送信したメールを私はccで受け取った。Facebookが香港の個人情報保護当局に送付を約束していた書簡---香港のFacebookユーザーのプライバシーについての問い合わせに対する回答--に関するメールだった。
中国進出の交渉材料は香港ユーザーのデータ?
【アップデート】昨日、ロブと私で中国チームのヴォーンとジェンと話し合いをしたところ、中国政府との交渉のなりゆきによっては厄介な問題が発生するおそれありと指摘がありました。中国での事業展開を認可する見返りとして、Facebookは中国政府に中国人ユーザーのデータへのアクセスを認めることになります。香港のユーザーのデータもこれに含まれます。
Facebookは、中国進出の見返りに、香港のユーザーのデータを含めた中国人ユーザーのデータへのアクセスを中国政府に認める? そんなのありえない。こうした突飛な発想は、Facebookのほかのオフィスから上がってきては、芽を出す前に私とマーニーが容赦なく摘み取ってきた類のものだ。

Facebookはどのような交渉材料で中国進出を目論んでいたのか。写真は2018年、中国で開催された「中国国際ビッグデータ産業博覧会」に出展したFacebookのブース(写真:ロイター/アフロ)
今回の提案も、2012年にFacebookが米連邦取引委員会(FTC)と、またその前年の2011年にアイルランド・データ保護委員会と締結した同意命令に違反するのは確実で、どう見ても、社内の意思決定者による精査を受けていないジュニアスタッフの思いつきにすぎないだろう。
あまりにも非現実的で、こんな提案が実現する可能性は当面、いや将来にわたってもないと私は確信した。だからこのメールに反応しないことにした。続く一文で、Facebookがどのようにこれを実現するか具体的な方法が説明されてはいたが。
中国の新規ユーザーについては、この運用を反映した改訂版のDUP/SRRに同意してもらうことになる。一方、香港のユーザーについては、TOSに再同意させる必要がある。
つまり、中国の新規ユーザーは登録時、中国政府がユーザーデータにアクセスできると明記された改訂版のデータ利用方針(DUP)に同意することになる。香港の既存ユーザーは、この新たな条項を盛りこんだ新版の利用規約(TOS)--Facebookとユーザーの契約にあたる文書--に同意を求められることになる。
やはり論外だと思った。香港ユーザーのデータを中国進出の交渉材料として使い、さらにFacebookを使い続けたい既存ユーザーにはその内容が盛りこまれた利用規約を押しつけるなんて、いくら何でも現実離れしている。メールに名前が挙がっている人たちは--アメリカの個人情報保護の専門家ではあるが、とくに上級職というわけではない--単に何か誤解しているのだろう。Facebookが中国参入のために香港ユーザーのデータを“取引材料”に利用するなんてありえない。
ところがのちに--わずか数カ月後に--私は知ることになる。“ありえない”どころか、これこそまさに中国プロジェクトの責任者が考えていたシナリオだったと。

『』(サラ・ウィン=ウィリアムズ著、池田真紀子訳、すばる舎)
筆者:サラ・ウィン=ウィリアムズ
