「単なる女性待望」でもない、「何者かへの反抗」でもない……悲劇性すら帯びてきた「愛子天皇待望論」を唱える人々の胸の内
期待の変遷
国会での皇室典範改正への動きは最終局面を迎えている。
だが、国民のあいだでは、国会ではまったく議論されていない女性天皇、女系天皇への期待が高まっている。具体的には、天皇家に生まれた唯一の子である愛子内親王に天皇に即位して欲しいという、「愛子天皇待望論」がかつてないほど高まっている。
なぜ、そうした事態が起こったのか。ここで考えようというのはそのことである。
愛子天皇待望論が高まりを見せるきっかけを作ったのは、漫画家の小林よしのり氏が2023年6月に刊行した『愛子天皇論(ゴーマニズム宣言SPECIAL)』(扶桑社)だった。翌年9月には続編が刊行され、さらに昨年7月には『愛子天皇論3』が刊行されている。
小林氏は、男系男子での皇位継承にこだわる保守派を批判し、天皇の子供である愛子内親王が皇太子となり、次の天皇になるべきだと主張してきた。そして、愛子内親王が学習院中等科1年にときに書いた「看護師の愛子」という作文を引き合いに出し、そこには、「国民に寄り添い、国民の幸福を常に願うという想いが」具体化されており、天皇にふさわしいという議論を展開した。
『愛子天皇論』が刊行された時点で、愛子内親王は成年には達していたものの、まだ学習院大学に在学中で、本格的に公務に取り組む段階ではなかった。
しかも、初等科の時代には不登校に近い状態になり、母親である当時の雅子皇太子妃が同伴して登校するようなこともあった。
大学でも、そこにはコロナ禍ということが大きく影響していたが、4年生に進学するまで、ほとんどオンラインでしか授業を受けていなかった。
こうしたことから、『愛子天皇論』が刊行された時点では、国民の間に、愛子内親王は精神的に弱いところがあるのではと見なされていたかもしれない。
ところが、大学を卒業して日本赤十字社常勤嘱託職員に就職し、あわせて公務に取り組むようになると、そうしたひ弱さのイメージは完璧に払拭された。
単独での公務も徐々に増え、その清楚な立ち居振る舞いから、各地の人々に熱狂的に迎えられている。
しかも、宮中晩餐会にデビューした際には、英語に堪能なところを見せた。昨年11月にはラオスを単独で訪問し、歓迎の晩餐会でのスピーチもそつなくこなしている。
国民としては、そこに愛子内親王が女性皇族として立派に成長した姿を見出すようになった。それまでのイメージが予想以上にくつがえされたことは、その将来の可能性を強く期待させるものである。そのことが愛子天皇待望論の高まりに大きく貢献したことは間違いない。
今回、議論の対象にならなかった
しかし、それ以上に重要なことがある。
これは、議論全体の前提になることだが、現在の皇室典範の規定では、愛子内親王が天皇に即位することはあり得ない。その第1条では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められ、たとえ天皇の子供であっても、女子は皇位の継承から排除されているからである。
この皇室典範の規定が変わらないかぎり、愛子天皇が誕生することはない。愛子天皇待望論は、高くて厚い壁に直面している。
だが、壁が高くて厚いものであればあるほど、人はそれが崩されることを望む。そのときまで、人々はその壁を見上げ続け、いつかその壁が消滅することを夢見るのである。
しかも、日本の皇室と深い関係を結んできたヨーロッパの王室では、昔は、フランク王国発祥の「サリカ法典」の影響があり、王位は男性が継承するものと決められていた。
ところが、戦後に男女平等を求める声が強まるなかで、王位の継承を男性に限定するのではなく、男女を問わず最初に生まれた子供にするよう、各国の憲法が次々と改正されてきた。王国では、スペインだけが依然として男性に限定しているが、現国王に男の子供がいないので、次は女性の子供が即位すると見込まれている。
今回、天皇皇后が公式訪問したオランダやベルギーでは、次は女性が国王に即位することが決まっており、今やヨーロッパには「女王の時代」が訪れようとしている。
にもかかわらず、日本にはサリカ法典など無縁なはずなのに、女性は皇位を継承できないのだ。
その上、今行われている国会での議論では、女性天皇や女系天皇については議論の対象にすらなっていない。世論調査では、女性天皇や女系天皇を容認する声が圧倒的多数になっているにもかかわらずである。
「女性皇族の結婚後の身分保持」の意図
それも、国会での議論されている旧宮家から男子が養子として皇族に入るという案は、そもそも、小泉政権下での有識者会議が、女性・女系天皇を容認する提言を行い、皇室典範改正へ向けて動き出したときに、それを阻止するため、保守派が持ち出してきたものだからである。
保守派は、野田佳彦政権の時代に提起された、「女性宮家の創設」についても、それが女性天皇や女系天皇に道を開くものであるとして反対し、女性宮家という表現が使われないようにしてきた。
その代わりに持ち出されたのが、「女性皇族の結婚後の身分保持」である。それが今回の皇室典範の改正案には盛り込まれている。
しかも、そこで女性皇族が結婚した際には、住民基本台帳法が適用されるとしている。これは、国際結婚のケースを応用したもので、女性皇族と結婚した男性やその子供は「皇統譜」には記載されず、皇族にはならないことを意味する。
皇族と一般国民が同居するという家庭など、いったい誰が営もうと思うだろうか。これは、女性皇族に結婚後は皇室を離れることを強いるようなものである。保守派は密かに、愛子内親王がすぐにでも結婚して皇室を離れ、愛子天皇待望論が沈静化することを望んでいるのではないだろうか。
もはや「悲劇性」すら感じる
今回の議論によって、壁はよりいっそう高くなり、また厚くなっている。しかも、愛子内親王が天皇に即位することを是が非でも阻止しようとする「敵」の存在が見えてきた。
困難さが増すことは、待望論を強化するだけではなく、そこに「悲劇性」を与える。本来なら皇位を継承すべき愛子内親王が、悪辣な敵によってそれを阻まれている。そうした物語が成立したことで、国民の熱意はさらに高まったのだ。
この物語は、日本の社会にある「判官びいき」の伝統にかなったものである。
判官とは源義経のことである。義経は、平家との戦いで大きな功績をあげ、平家を滅亡に追いやることに貢献した。ところが、兄である頼朝に疎まれ、最後は殺されている。
義経は、その功績によって正しく報われるべきはずだったのに、その道を閉ざされ、悲劇的な死を迎えるしかなかった。日本人は、そうした義経を深く愛し、それはさまざまな物語を生み、現代でも小説や映画、ドラマになってきた。
愛子天皇待望論の高まりの根底には、こうした判官びいきの構造がある。日本人が、悲劇性を身にまとった英雄を愛してきたことが、天皇に即位できない愛子内親王に重ね合わされているのだ。
だからこそ、国会での議論が続けば続くほど、その悲劇性が強化され、愛子内親王待望論が高まってきたのである。
旧宮家は天皇家の「親戚」なのか
皇室典範の改正の議論で、いろいろと反対のある旧宮家からの養子案は「例外規定」となったものの、改正案に盛り込まれることになった。
旧宮家は、戦後に臣籍降下した家のことだが、現在の天皇家との関係は室町時代にまで遡らなければならない。民法での親族は6親等と定められており、一般にもそれが親戚の範囲としてとらえられている。
その点からすれば、天皇や皇族にとって、旧宮家の人間は親戚でさえない。臣籍降下した後に「菊栄親睦会」が生まれ、旧宮家の人々は皇室と交わってきたものの、その大会は、今のところ最後になった2014年以来、すでに12年も開かれていない。皇室との縁はますます薄れている。
養子になった男子については皇位継承の資格は与えないものの、その子供には与えられようとしている。
こうしたことも、愛子内親王の悲劇性をさらに高めている。旧宮家から養子に入った男子の子供が皇位を継承したとしたら、それは、天皇の位を奪うことではないのか。そうした疑念さえ生まれている。
「叡慮の赴くところ」は?
愛子内親王が、自らに対する天皇待望論をどのように考えているかは分からない。それについて意見を表明することは、今の憲法下では制約がある。
しかし、最近になって、つまりは愛子内親王が公務に積極的に取り組むようになってから、天皇一家が愛子内親王を中心にする方針で臨んでいることは間違いない。
今年1月の天覧相撲では、一家は天皇を中心に座った。ところが、3月のWBCの天覧試合では、愛子内親王が真ん中に座った。移動する車の席次でも、愛子内親王が上座を占めたという報道もある。席次は、日本文化で極めて重要である。
天皇が、オランダ・ベルギーを訪問する前の記者会見で、皇室典範の改正について、制度のことについての発言は差し控えるものの「国民の理解が得られるものに」と発言したことは、大きな反響を呼んだ。国会での議論が愛子天皇を待望する国民の声に答えていないことを、天皇は静かな怒りを伴って指摘したのではないかという解釈が広まった。
これは、今年の講書始で講義をした政治学者の御厨貴氏から直接聞いた話だが、講義のあいだ、注意が散漫になる皇族がいるなかで、愛子内親王はみじろぎもせず、じっと聞き続けたという。
愛子天皇待望論を唱える人々にとっては、このエピソードこそが天皇に即位すべき人物の証だと受け取られることであろう。
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