【北欧リポート】スウェーデンの教育現場が「紙とペン」に回帰する真の理由、GIGAスクール構想の日本が知るべき現実

スウェーデンの教育現場では「紙とペン」への回帰が進む(写真:AP/アフロ)
「デジタル教育先進国」スウェーデンが今、教育現場において劇的な方針転換を余儀なくされている。
かつて「1人1台端末」を掲げ、いち早く教科書を電子書籍やオンライン教材に置き換えてきた同国が、過度なデジタル化の弊害を認め、「紙とペン」というアナログへの回帰を急いでいるのだ。
これは、遠い北欧に限った話ではない。日本でもGIGAスクール構想によって、子どもたちは1人1台端末を持つようになった。授業でも宿題でも、タブレットやパソコンを使うことが当たり前になりつつある。

日本では「GIGAスクール構想」が進む。写真は2021年3月撮影(写真:共同通信社)
授業中に板書した内容はスマホで撮影、ノートはとらず
だからこそ、スウェーデンで何が起きたのかは、日本の学校、家庭、そして子どもたちの未来を考える上で重要な示唆を含んでいる。
2010年代に私はスウェーデンの高校で日本語を教えていた。当時、「1人1台端末」が推進されて生徒たち全員にパソコンが渡され、教科書が電子書籍やオンライン教材に置き換えられていった。
教える側の私自身も授業に利用するようになった。当初は「これは便利!」「紙よりずっとラク!」「提出課題もオンラインだし!」と思い、嬉々としてその恩恵に浴していた。
生徒がときどき、「『愛』って漢字で書いて」などと言ってくる。ボードにその字を書くと、スマホでカシャっと撮っていく。授業中に板書した内容も、カシャっと撮るのみで、ノートに書き写すことはない。
その光景を見るたびに「時代は変わったんだなー」と、ひしひしと感じていた。
当時、学校側が用意した紙媒体の教科書は、「忙しいビジネスマンが日本ですぐに使えるフレーズ集」のようなもので、体系的に語学が学べるような内容のものではなかった。授業では使いにくかったので、每時間の授業のたびに自分で教材を書き、用意していた。
便利さの裏で膨れ上がる違和感
デジタル機器の導入により、この教材作成が劇的に効率化した。
教室での、出欠や遅刻の確認、提出課題や成績の管理もそうだ。授業では生徒に日本のニュースやテレビ番組を見せて解説したり、ドラマを見せてセリフを聞き取らせて会話練習をしたり、コマーシャルの音声だけを聞かせて何の商品なのかを当てさせたりした。デジタル化のおかげで「『今』の日本」を直接、教室に持ち込むことができた。
当時の私にとって、授業へのデジタル導入は画期的だった。まさに「教育の新時代」が来たと感じた。「未来の学校」が現実のものとなったように思えたのである。
ところが、その便利さの裏側で、次第に違和感を感じるようになった。
授業中にこっそりゲームをしたり、SNSを見たりする生徒が出てきた。授業に全く関係のない画面を見ている生徒もいた。日本語の課題を、翻訳アプリでチャチャッと済ませる生徒も現れた。
先生がパワーポイントやスライドなどを使うことには意味がある。しかし、生徒たちが授業中にわざわざパソコンやスマホを使う必要があるのだろうか?
次第に私は、生徒たちが授業に集中できていないように感じ始めた。こちらが授業で話している内容を聞こうともせず、どこか別の世界に意識が飛んでいるのである。集中して読んだり、考えたりする力が、弱まっているようだった。
アプリを見ただけで「勉強した」
1年以上日本語を履修した生徒でも、ひらがながちゃんと書けない生徒もいた。もちろん、そういう生徒は以前からもいただろう。しかし違和感はさらに大きくなっていった。
「あなた、今日ひらがなのテストやるよって言ったでしょ? 勉強してきたの?」
「したよ!朝、バスの中で『ひらがなアプリ』見てきたもん!」
登校中のバスの中で『ひらがなアプリ』を見ただけでは、まともに書けるようにはならないだろう。生徒たちは必要な努力をせず、流れる画面をチャラチャラと目にしただけで「勉強した」と言い張っているのだ。
それは単なる「操作」であって「勉強」とか「学習」ではないだろう。文字が書かれた教科書を読み、手で書いて覚え、そうして勉強しなければ、知識は定着しないのではないのか。
私はスウェーデン第2の都市、ヨーテボリにある2つの高校で教えたが、どちらの学校にも図書室はなかった。学校が本よりもノートパソコンなどのデバイスの使用に重きを置いていることは明らかだった。
ちなみにその2校の名前は、「IT高校(IT-Gymnasiet)」「サイバー高校(Cybergymnasiet)」である。スウェーデンは国をあげて「全国徹底デジタル化」路線を爆進していたのだ。
そしてこの時期、スウェーデンの子どもの学力が、読解力・数学・理科などの国際比較テストでどんどん悪化していったのを覚えている。
最高点だった学力の国別スコアが…
2000年ごろは、読解力などは欧州でも最高点だったが、2012年にはPISA(国際学習到達度調査)のスコアがOECD平均を大きく下回った。ほかの先生も、「生徒の学力が年々、明らかに落ちている」と嘆いていた。
この頃、新聞に「所定の学力に達しないまま卒業する中学生が増えている」という記事が載っていたほか、「卒業生の3割は、読み書きに難がある」とも言われていた。
同時に指摘されていたのは、「地域による大きな学力格差」だ。「所定の学力に達しないまま卒業する中学生」は、移民が多い地域に集中していた。そして、移民が多く住むようになった地域から、元から居住していたスウェーデン人がどんどん流出していった。
実はデジタル教材が、この「学力の二極化」に寄与したという指摘もある。
デジタルデバイスは、自律的に学べる生徒には有効だが、学習習慣が身についていない生徒や、家庭環境に課題がある生徒にとっては、単なる「遊び道具」や「放置」に近い状態になりやすく、結果として学力の二極化を招いたという。
生徒の学力低下の要因が、「過度なデジタル化による弊害」なのかどうか、私には断言できない。「デジタル教育そのものがすべての原因」という単純な話ではないだろう。
だが、多くの研究が、過度なスクリーン依存と教育のデジタル化が、単なる学力低下にとどまらず、若者の睡眠不足、不安、うつ病、孤立感の増加と密接に関連していることを指摘している。そして、この「行き過ぎたデジタル教育」の弊害が、子どもたちの脳と心の健康に影響を与えたのが、「デジタル教育先進国」として知られたスウェーデンだったのではないだろうか。
「Z世代は上の世代よりもIQが劣る現代史上最初の世代」との証言も
この現象はスウェーデンだけの問題ではない。米国上院での公聴会(C-SPAN)においても、デジタルデバイスが健康に数々の弊害をもたらすという多くの証言が挙げられている。
その中で私が一番驚かされたのは「Z世代は、注意、記憶、読み書き、計算、実行機能、一般的なIQといったほぼすべての認知指標において、上の世代よりも劣る現代史上最初の世代である」という認知神経科学者のジャレド・ホーバス博士の証言だ。
(Lawmakers Hold Hearing on the Impact of Screen Time on Kids)
「デジタル先進国」だったスウェーデンは過度なデジタル教育の弊害を認め、現在「脱デジタル・アナログ回帰」に向かいつつある。
これまでの方針を劇的に転換したのだ。
アナログへの回帰とは、すなわち教育現場で「紙とペン」を使って勉強することであり、いわば「教育の原点へ戻ろうとしている状態」である。
これに向けて、スウェーデン政府は予算を組み替え、紙の教科書を学校に復活させる予算を計上した。
2026年1月には、政府は全国の小学校で、学校内でのスマートフォン使用を全面的に禁止する方針を打ち出した。授業中だけでなく休み時間や学童保育も対象とする強い規制だ。小学校低学年は紙・手書き中心、高学年以降はデジタルを併用していくという。つまり発達段階に応じた使い分けをしていくということだ。
スウェーデンの「先行失敗事例」を日本は学びにできるか
スウェーデンが残した教訓は「デジタルはあくまで補完的なツールであり、教育の基盤はアナログ」ということではないだろうか。「テクノロジーの排除」とか、「デジタルかアナログか」という単純な二項対立ではなく、「デジタルとアナログの適切なバランス」を再構築していこうということだ。
高校2年の私の次女に授業の様子を聞いてみると、「先生方や学校は『パソコンをなるべく使わないように』と言うが、クラスのほとんどは今まで通り使っている」と言っていた。一度、デジタル化したためか、「紙とペンへの回帰」が浸透するのには時間がかかるようだ。それでも、次女と親友の2人は「手で書いた方がラクだし覚えやすい」と、パソコンとペン、ノートを併用しているらしい。
スウェーデンの経験から得られる教訓は、「デジタルを導入すれば学力が上がる、とは限らない」「無制限の使用は副作用を生む」「読む・書く・考える力は、デジタル一辺倒では育たない」ということだ。
スウェーデンの現状は、未来の社会が直面する問題を先取りした「実験場」の結末だろう。GIGAスクール構想によってデジタル化を進める日本にとっても、「先行失敗事例」として学べる点は少なくないのではないか。
筆者:松沢 みゆき
