Photo: 千葉顕弥

いつか絶対に形にしたいと思い続けて25年。やっと叶えることができました。

「マチルダ 悪魔の遺伝子」監督 遠藤久美子

世界旅行に行きたい。お金持ちになりたい。有名になりたい─── 人にはそれぞれ人生を動かす動機がある。世界でも類を見ない長編AI映画を制作した遠藤久美子さんにとってのそれは、「過去に見たビジョンを形にしたい」だった。

ⒸMATILDA LINE PROJECT

彼女が25年の期間を経て制作した映画「マチルダ 悪魔の遺伝子」が劇場公開された。本作は、役者やカメラを一切使わず、映像、セリフ音声をAIだけで作った作品だ。AI生成動画といえば、昨今見かける機会は増えつつあるが、72分にも渡る長編作品を劇場公開させた例は世界的に見ても異例と言える。

鑑賞した筆者が最も驚いたのは、“AI映画なのに感動した”こと。本作の詳しいレポートは以下の記事に記したが、ただならぬ歴史の転換を感じ、この度本作の監督である遠藤さんに話を伺った。

すべてAIで作った映画『マチルダ 悪魔の遺伝子』がぶっ飛んでる。監督は本作が初の映画制作

ある日、映像が降ってきた

Photo: 千葉顕弥

“AI映画”と聞いて、眼を見張る作品が魔法のようにポッと出てくるものと思うかもしれない。しかし、実際は苦難の連続だ。

主人公の顔を作るのに、数千枚もイメージを生成したと思います。

本作の原点は、2000年ごろに遠藤さんの元に突如“降ってきた”という一瞬の映像だ。瞬きの瞬間に脳裏を駆け巡ったという。すぐにスケッチブックを取り出し、忘れないよう書き殴った。

「いつかこれを具現化したい」と思いながらも、映像化やイラスト化の技術を持たない彼女にとってそれは簡単なことではない。気づけば、25年の月日が経っていた。

AIとの出会い。パワポからのスタート

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主人公ナイン

転換点となったのはAIの登場だ。

これなら私でも作れるんじゃないか!? と思ったんです。

2021年ごろ、AIクリエイターと協力し、「Midjourney」でビジュアルの断片の画像化を開始。プロンプトを入力して出力される4枚の画像からイメージに近いものを選び、また選び、また選びと、数千枚にものぼる画像を生成してやっと納得できる主人公の顔が完成した。

一番最初にそれが形になったのは、驚くことにパワーポイントの資料だったという。生成されたイメージをスライドとして並べ、文字を重ねて作品にした。

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初期作品の資料。パワーポイントに音をつけてスライドショーにしたそう

さらにそれをベースに、音をつけてスライドショー化。本人の言うところの「音のある紙芝居」に仕上げ、25分間の映像が出来上がった。

とにかくあの時見たビジュアルをそのまま形にしたかったんです。物語が先にあってそれに合う絵を作っていくというよりも、自分の頭の中にあるビジュアルを現実のものにしていく作業でした。

気づけば始まっていた、ベルギーでの映画祭へのカウントダウン

しかし、遠藤さんの旅はここで終着しない。制作したミュージックビデオに友人である俳優/実業家のMEGUMI氏が興味を示し、彼女がファウンダーを務める2025年のカンヌ国際映画祭の『JAPAN NIGHT』で1分のトレーラーにして上映することが決まったのだ。

さらに事態は驚くべき展開を迎える。JAPAN NIGHTを訪れていたベルギーで行なわれている『レーザーリールフランダース映画祭』の創立者から上映オファーを受け、遠藤さんは「やります!」と即答。その時点で2025年5月16日、映画祭までが2025年10月23日というわずか5ヶ月の期間で、映画マチルダを完成させなければならなくなった。

逆算したら、その日から毎日1分ずつ作らないと間に合わないことがわかりました。AIで生成できるのが最大10秒のクリップなので、最低でも毎日10本は生成しなくてはなりません。しかしそれはうまくいった場合です。本編で採用可能なレベルの合計60秒を毎日完成させるには、10本を遥かに超える試行錯誤が待っています。寝ている暇はありません。友人を誘い、2人体制で制作に没頭しました。

AIは魔法ではなかった。ひたすら泥臭い制作の日々

Photo: 千葉顕弥

これまではAIクリエイターにビジュアル化を依頼して作品にしてきた遠藤さん。今回は時間がないと判断し自らAIツールを使って生成することを決意。急遽チームに友人であるタイチ・ナカガワさん(以降タイチ)も加わり分業体制を構築するが、その時点でタイチさん自身もAIツールを初めて触り始めたところだった。

左:タイチ・ナカガワさん

遠藤さんが、脚本と1フレーム目のイメージをMidjourneyで生成、それをタイチさんが「Kling AI」で映像に起こしていった。

途方もない作業でした。あの時見たビジュアルを手繰り寄せ、言語化し、プロンプトにしてAIに与えます。運良く数回で理想のイメージが生成されることもありますが、ほとんどは何回も何回もプロンプトを与え直して、理想に近づけていく作業です。

AIにゼロからイメージ作成をお願いするのであれば、はるかに楽だったと思います。でもそれなら私じゃなくてもいいですよね。私の場合は、自分の見たビジュアルをそのままの形で映像化したかったので、それをAIに理解してもらい、具現化させるのが大変でした。

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たとえばこのシーン。もちろん初めからこれがそのまま生成されるわけもなく、まずはビルを作り、背景を作り、キャラクターを作り、バイクを作りと、要素ごとに切り分けて生成しながら、最終的にそれらを一つにまとめていく。

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私が目指したのは、曲線的で半透明で、これまでの人類文明の延長にある建物が立ち並ぶ街でした。「街を作って」ではAIには伝わりません。AIが学習しているのはすでにある直線的な建物です。とことん細かく伝える必要がありました。

ただキャラクターに振り向いて欲しいだけなのに、いつまで経っても理想のものが出てこないなんてことはよくあります。予算がないのでAIを使いましたが、お金があったら、人間の役者やクリエイターにお願いする方がはるかにスムーズにできたと思います。

彼女を25年間突き動かしてきた信念

そして完成した作品は、無事ベルギーの映画祭での上映を終え、日本での劇場公開を開始した。

25年間ずっと心の中にあった作品なので、一旦箱の外に出せたことにはまずとても満足しています。

しかし、まだ描きたいもののほんの一部しか描けていませんし、もっと多くの人に届く形に作り替えなくてはならないと思っています。これから本当に理想のものにしていく、そんなスタートラインにやっと立つことができた感覚です。

改めて、遠藤さんをここまで動かしたものはなんだったのか。

Photo: 千葉顕弥

ビジュアルを受け取った瞬間、「どうしてもこれを世界に発表しなくてはいけない」と感じたんです。義務感や、使命感のような感じです。

まさに遠藤さんを動かしたのは信念だった。どうしても作らなければならないという信念と覚悟。

インタビューを通し、私は、常に真っ直ぐに語る遠藤さんの姿と、映画マチルダの物語を重ねずにはいられなかった。

実は、彼女自身にも流れていた“悪魔の遺伝子”

「マチルダ 悪魔の遺伝子」は、“AI映画”ということばかりがフューチャーされるが、作品内で描かれているテーマを読み解くことで、真の面白さが見えてくる。

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映画マチルダの主題は、人間が持つ“暴力性”だ。(本作の中では、人間の暴力性に関与する遺伝子が「悪魔の遺伝子」と呼ばれている)。「人類の暴力はどこから来たのか」「それを終わらせることは可能なのか」を、「暴力性を根絶したい」と願う思想と、「暴力性も人間の一部だ」と捉えて保持しようとする思想の対立の物語を通し、深く掘り下げようと試みられる。

では、暴力はなぜ生まれるのか。私はその根源的な理由にこそ、“信念”が関係していると考えている。

人が暴力をなくせないのは、暴力が解決手段だからだ。そして何を解決しようとするかというと、信念と信念がぶつかることで生まれるコンフリクトだ。

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争いがなくならない理由を説明すればわかりやすい。Aさんは〇〇が欲しいと考えている。そしてそれを得れば、自分は豊かになれるという信念を持っている。しかしその〇〇は、Bさんが所持していて、しかも世界に1つしかなく、Bさんにとってもかけがえのない宝物だとする。そうした時に、両者の間には緊張関係が生まれる。両者は互いに信念を持つが、その信念同士は対立している。

ここで取りうるアクションは、協議や諦め、忘却など複数あるが、その一つの方法が暴力による奪取である。暴力行為を単体で見れば簡単に否定することはできる。しかしその根源を紐解いた時に、私たちはAさんのことを否定できるだろか。私たち誰だって、欲しいものはある(今はなくても状況によって表出する可能性はある)。そのことを思い出せば、Aさんと我々も地続きで、暴力を否定することは、私たちが信念を持つことを否定し、結果として私たちそのものを否定することに繋がるのではないだろうか。

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これは善悪の問題ではない。人は信念のために生きる動物であり、結果としての暴力が存在するだけだ。この作品を鑑賞し、あなたはどんなことを思うだろう。私は、このような非常に不確かなバランスの上に生きている人間という存在に、徹底的に切り込もうとする作品がマチルダなのではないかと読んだ。

そして私が注目したのが、実は遠藤さん自身が強烈な信念によってこの作品を作りあげた張本人であるということだ。本作は、作品内と、現実における遠藤さんの取り組みという二重構造で、この人間の本性を抉り出そうとする作品だと感じている。本作の言葉を借りれば、遠藤さん自身にも流れる“悪魔の遺伝子”が、結果としてこの映画を生み出したという構造が、私のこの映画への関心を惹きつけてならないのだ。

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AIに奪われると嘆くこの世界で、私たちはどう生きるか

昨今、巷では「AIに仕事を奪われる」といった言説が広まっている。その裏には人々の焦燥があり、そこにはこれまで自分が信じてきた信念が奪われるのではないかという恐怖がある。

しかし、AIの進化を止めることはできない。もう誰も徒歩で東京から大阪まで行こうとせず、スマートフォンが手放せなくなったのと同じように。常に新しいものが生まれると既存のものに対するコンフリクトが生まれる。その緊張関係の中でいつの世も世界は進んでいく。

では、そんな世で、私たちはいかにして生きていけばいいのだろう。

遠藤さんはこう語る。

結局、“コンペティターが増える”、だけなのではないでしょうか。残酷な言い方になってしまいますが、厳選されたいいものは残るので、AIに取って代わられてしまうような存在なら、取って代わられない存在になるしかないんだと思います。

私が作った「マチルダ 悪魔の遺伝子」程度の作品なら、AIに頼んだ方がよっぽどいいものになるのであれば、私だっていらなくなるんです。でも残りたかったら、それ以上のものを作るしかない。いずれにせよいいものが残るという、とてもシンプルな話だと思います。

遠藤さんが示したのは、技術の時代においても人生を切り開くのは信念であるという、極めてシンプルで、しかし重たい事実だった。

Photo: 千葉顕弥

善も悪もない。ただ対立するコンフリクトがあるだけの世の中で、あなたはどんな信念を持って生きていくだろう。

AIで映画を作るという破壊的なイノベーションを、一人の信念で成し遂げてしまった遠藤さんという存在そのものに、この世界の深淵が覗ける気がしてならないのだ。

Source: マチルダ 悪魔の遺伝子公式サイト, YouTube