『ウィッシュ』©2025 Disney

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 ディズニーのアニメ映画『ウィッシュ』が、12月12日に『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で地上波初放送される。同作はディズニー100周年記念映画として制作された作品で、公開当時“新しいヒロイン描写”によって大きな話題を呼んだ。

参考:マレフィセントからマグニフィコ王まで “複雑化”するディズニーヴィランズの変遷

 作中で一体どんなふうにヒロインが描かれていたのか、過去のディズニーヒロインたちと比較しながら詳しく紹介していきたい。

 物語の舞台として設定されているのは、どんな願いでも叶うという魔法の王国ロサス。国民は一定の年齢になるとマグニフィコ王に自分の願いを差し出し、魔法の力によってそれを叶えてもらう。ただし全員の願いが叶うわけではなく、マグニフィコ王は「ロサスのためになると確信した願い」だけをひそかに選別していた。

 ヒロインのアーシャは100才になった祖父の願いを叶えてもらうことを夢見る少女だったが、ある日マグニフィコ王の秘密を知ることに。そこで国民のみんなに願いを返すべきだと訴えるも、マグニフィコ王は一切聞く耳をもたない。しかしそんなアーシャのもとに、“願い星”のスターが舞い降りてくる……。

 作中ではアーシャとマグニフィコ王の対立を軸として物語が進んでいくが、そこでテーマとなっているのは「自分の願いと向き合うことの大切さ」だ。

 マグニフィコ王に願いを預けた人々は、自分が何を願っているのかを忘れて、いつか魔法の力でそれを実現してもらうことを期待しながら生きていくしかない。つまりそこでは「自分の力で願いを叶える」という自由が奪われている。

 しかしマグニフィコ王はそうした生き方の方が、叶わない願いを抱えたまま生きるよりも幸せだと主張する。それに対してアーシャはたとえ実現しないかもしれない願いであっても、誰かの手に委ねるべきではないと考えるのだった。

 なお公開当時、SNS上では「アーシャこそ真の悪役なのでは?」という解釈も盛り上がっていた。それはマグニフィコ王が一見ヴィランのように見えないことが原因だろう。少なくともロサスの人々の衣食住に関しては何不自由なく保障していたようなので、彼を“悪”とすることに違和感を抱く人がいたことも理解はできる。

 とはいえマグニフィコ王がヴィランである決定的な理由は、“嘘”を吐いていたことにある。どんな願いでも叶うといいつつ、安全な願いと危険な願いを勝手に選別していたことを、ロサスの人々に一切知らせていなかった。さらに人々が知らないうちに、自分の考える理想的な国のあり方を押し付けてもいた。その根底にあるのは人々の幸せを思いやる心ではなく、肥大した自己愛だ。

 よく誤解されているものの、ここにあるのは「自由を手に入れて生きる」か「不自由でいいから楽して生きる」かの選択ではない。むしろこの選択肢があることすら知らせず、一方的に自分の“正しさ”を押し付けていたのがマグニフィコ王のやっていたことだ。

 それに対してアーシャは、どういう生き方を選ぶべきかを強制してはいない。ただ仲間たちと協力して、ありのままの真実を暴いただけだ。その結果として、ロサスの人々は自分からマグニフィコ王ではなくアーシャに付くことを決断し、「自分の生き方は自分で決める」という自由を選び取った。

 マグニフィコ王が暴君として描かれていないのはストーリーとしてやや分かりにくいが、だからこそ人々が自分の意志でアーシャを応援していることが分かるため、クライマックスの展開が感動的に映るのではないだろうか。

■アーシャは歴代のディズニーヒロインと比べて何が新しい? 『ウィッシュ』は、ディズニーヒロインの新しいあり方を提示したことで有名。とはいえ、間違いなく歴代ヒロインの系譜に位置づけられるキャラクターでもある。

 その歴史を簡単に振り返っておくと、最初期のディズニープリンセスは白雪姫やシンデレラのように、受け身な姿勢で王子様に見初められる対象だった。その後『リトル・マーメイド』のアリエルあたりから能動的なヒロインが登場するようになるが、ラブロマンスの要素が強く、魅力的な男性とセットで描かれることが多かった。

 2018年の『シュガー・ラッシュ:オンライン』には、こうした歴史をユーモラスに風刺した場面があったことが印象的だ。主人公・ヴァネロペが歴代ディズニープリンセスたちのいる部屋に飛び込んでしまい、「私もプリンセスなんだよ」と主張するのだが、そこで「男の人がいないと何にもできない女の子だとみんなに思われてる?」という質問を投げかけられる。そしてヴァネロペが「そう! それってムカつくよね」と答えると、「本物のプリンセス!」と満場一致で認められるのだった。

神田沙也加、津田英佑 - とびら開けて(From『アナと雪の女王』) その一方、時代の変化に応じてヒロイン像も大きく変わっていくことに。2013年製作の『アナと雪の女王』ではハンサムな王子様の正体が実はヴィランだったという展開が描かれた上、物語の中心が男女の恋ではなくアナとエルサの姉妹愛に置かれていた。

 さらに2016年製作の『モアナと伝説の海』は、ラブロマンスが一切出てこないという画期的な物語。ヒロインのモアナは自らの意志で生まれ故郷から離れ、大冒険を繰り広げる。「海に選ばれた少女」ではあるものの、エルサほど特殊な力を持っていないということも、大きな特徴だろう。

 そして『ウィッシュ』のアーシャは、恋愛をしないという点でも、能動的に冒険を繰り広げるという点でも、特殊な力を持っていないという点でも、こうした流れを受け継いでいる。

 その上でアーシャが新しかったのは、自分の力でヴィランを倒したわけではない点だろう。ロサスの人々に向かって語りかけ、マグニフィコ王に立ち向かうきっかけを与えたのが重要なところで、いわば“みんなと一緒に戦う”ヒロイン像を示しているように見える。さらにいえば、それは観る者に夢と希望を与えるディズニー作品を体現したようなあり方とも言えるのではないだろうか。

 『ウィッシュ』は野心的な作品ではあるが、その時代に生きる人を勇気づける物語という意味では、どこまでもまっとうな“ディズニーらしさ”がある。今回の放送であらためてアーシャの活躍に注目してみてほしい。(文=キットゥン希美)