テクノロジーの急速な発達によって、 ガンダムの「ニュータイプ」のような 人間を超える「超人類」は実現可能な目標になった 【橘玲の日々刻々】
ピーター・スコット・モーガンの話を知ったときにはほんとうに驚いた。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたモーガンは、ほぼすべての身体機能を機械に移植し、「デジタル空間の私は年を取らないし、あらゆる言語を話せる。週7日間、これまでのキャリアで最もハードに働いているよ」と語っていた(「人生の半分「バーチャル生活」 人類の進化か退化か」日本経済新聞2021年5月25日)。
『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来』(東洋経済新報社)は、「サイボーグ」となったモーガンの自伝だが、それを読んでさらに驚いた。テクノロジーの話かと思ったら、愛の物語だったからだ。
20歳の夏、モーガンは運命的な出会いをした
ピーター・スコット・モーガンは1957年(あるいは58年)にイギリスのエスタブリッシュメントの家庭に生まれ、全寮制の名門パブリックスクール、イートン校でヘッドボーイ(監督生代表)とフェンシング部の主将の座を約束されていた。理系の大学を目指していたが、教師からは演劇(芸術)の道に進むことを勧められていたというから、文武両道を兼ね備えた、まさに理想のエリート予備軍だった。
だが15歳のある日、すべてがあとかたもなく崩れ去った。校長室に呼び出されたモーガンは、「汚らわしい所業」を理由に演劇部を退部させられ、ヘッドボーイとフェンシング部の主将に選出されることもないと告げられた。モーガンが同性愛者だという噂が流れていたのだ(1970年代前半の話だ)。
だがモーガンは、これを機会に「一から自分を再発明」しようと決意し、当時、エリートがまったく興味をもたなかったコンピュータを大学で学ぶことにした。そして、親友にこう宣言した。
「これからの僕は、不公平な現実に耐えることを拒否する。代わりに現実を変えてみせる。殴られて降伏させられるのも、選択肢を奪われて服従させられるのもごめんだ。弱みを強みに変えて、新たな選択肢を創造するんだ」
エスタブリッシュメントの大学であるオックスフォードやケンブリッジではなく、理工系のインペリアル・カレッジ・ロンドンに進学したモーガンは、20歳の夏、南西部のリゾート地にある同性愛者専用のホテルを予約した。それまで性体験のなかったモーガンは、ホテルに着いたとたんにはげしく後悔した。そこに宿泊していた客は年配の男性ばかりだったのだ。
モーガンは12歳のときから、架空の国サラニア王国を舞台とするファンタジー世界を創造してきた。地理や文化だけでなく、王国で使われる言語と文字(筆記体と記号)を発明し、14歳の夏休みは竪琴の設計と制作に費やした。この王国で、モーガンはラハイランという魔術師だった。ラハイランには、騎士アヴァロンという愛人がいた。
モーガンは、老人客しかいないと思っていたホテルで運命の出会いをする。赤みがかったゆたかな金髪を肩まで伸ばし、筋肉質でしなやかなその若者は、フランシスという名のホテルの副支配人だったが、モーガンが夢にまで見たアヴァロンのイメージそのものだった。
二人はたちまち恋におち、大学を休学してリゾート地で暮らすようになった。その後、モーガンはフランシスから勉学を続けるよう励まされ、ロンドンに戻って貧乏暮らしをしながら博士号を取得、コンサルティング会社のアーサー・D・リトルに就職する。モーガンはここで、あらゆる組織には「暗黙のルール」があり、改革を成功させるにはその分析が必須だと説いて大きな成功を収め、30代にしてアメリカ本社のシニアコンサルタントに抜擢された。
だが世界じゅうを講演して回る生活に疲れたモーガンは、40代で会社を辞めて個人で仕事を受けるようになり、独立して時間に余裕ができたことで地理や歴史、美術を勉強し、フランシスと世界を旅行して回った。
2005年にイギリスで「市民パートナーシップ法」が施行されると、モーガンとフランシスは法的に認められた同性愛者の最初のカップルになった。2014年の法改正で、二人は正式に結婚し夫婦になった。
「生涯の愛人」と順風満帆な人生を送っていたモーガンに最初の異変が起きたのはその頃だった。突然、右足が思うように動かなくなったのだ。大量の検査を受けてもその原因はわからなかったが、やがて進行性の神経変性疾患ALSであることが判明した。
身体を「サイボーグ化」し、AIが代わりに話す
物理学者のスティーヴン・ホーキングは学生時代にALSが発症したあと、50年以上にわたって研究活動を続けたが、これは病気の進行が遅かったからで、モーガンの場合は身体の機能を喪失し、最後は眼球しか動かすことができなくなり、22カ月以内に死亡する可能性が高かった。
だが15歳のあの日と同じように、モーガンは運命に屈服することを拒否した。
ALSは運動を司るニューロンが委縮していくが、脳の思考能力は維持されるし、心臓や肺など内臓機能が損傷するわけでもない。ただ、動かなくなるだけだ。だとすれば、失われた機能をテクノロジーで補うことで、はるかに長く生きられるのではないかとモーガンは考えた。
胃瘻によって胃に直接栄養を送り込み、排尿と排便のために膀胱と結腸にチューブをつなぐ。肺に空気を送り込む筋肉が機能しなくなったときのために、気管切開によって人工呼吸器を装着する。このように身体を「サイボーグ化」すれば、がんや心臓病、老衰などで死ぬことはあっても、ALSによって生命を奪われることはない。
だが、そんな状態で生きつづけることに意味があるのだろうか。これについてもモーガンは解決策を見つけ出していた。ヴァーチャル空間に自分のアバターをつくり、眼球の指示によって以前と同じ声でコミュニケーションするのだ。このアバターはいわばヴァージョンアップしたピーター・モーガンで、〈ピーター2.0〉と名づけられた。Peter Scott-Morganで検索すればその画像や動画を見ることができる(https://www.youtube.com/watch?v=6Su5qxl_MfM)。
脳梗塞などによって、意識と記憶が正常だが全身麻痺が起きるのが「閉じ込め症候群」だ。フランスのファッション雑誌『ELLE』の編集長だったジャン=ドミニク・ボービーは、かろうじて動かせる左目のまばたきによって意思疎通を行ない、20万回のまばたきによって回顧録を書き上げた。――この経緯は映画『潜水服は蝶の夢を見る』で広く知られることになった。
だがモーガンは、アイトラッキング(眼球の動きの追跡)でキーを指示するだけでなく、それをAI(人工知能)で支援することを考えた。スマホの予測変換のようなもので、モーガンが会話を始めようとすると、定型的な言葉をAIが代わりに話しはじめる。モーガンは重要な部分を指示するだけなので、自然な会話が可能になるのだ。〈ピーター2.0〉は、いわばAIと融合するのだ。
だが、話はこれでは終わらない。これを何年、何十年と続けていくと、AIは学習によって本物のピーターにどんどん近づいていき、しまいには外部からはAIとピーターの区別がつかなくなる。いわば〈ピーター3.0〉だ。
ヴァーチャル世界では、AIのピーターは魔術師ラハイランとして生きつづける。たとえ現実のピーターが死んでも、フランシスはログインすることで、いつでもラハイラン(のAI)に会うことができる。そして、フランシスもより高性能のコンピュータで自分のAIを学習させれば、騎士アヴァロンとなって、二人はサラニア王国で永遠の愛を生きるのだ。12歳の頃のモーガンが夢見たように……。
