“水泳王国”オーストラリアでも…子どもの「泳ぐ力」低下に危機感

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 夏本番を迎えると、家族で海やプールで水に親しむ機会が増えてくる。ところが、ここ数年、子どもたちの「泳ぐ力」に深刻な影響が出始めているという。主な理由は、全国の小中学校に設置されているプール施設の老朽化にある。維持管理を担うはずの地方自治体が、資金難を理由にプールを閉鎖するケースが相次いでいるからだ。

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水泳の実技は「必修」科目

 文部科学省が定める学習指導要領には、体育の授業における水泳の実技は小学1年生から中学2年生まで「必修」とされている。そこで学び、身につけるのは、単なる泳ぎのスキルにとどまらず、水難事故から自身の身を守るための「着衣水泳」も含まれ、これは“重要な指導項目”と位置付けられている。

水泳王国”オーストラリアでも…子どもの「泳ぐ力」低下に危機感

 にもかかわらず、学校では水泳授業を取りやめる事例が散見される。教育現場で何が起きているのか、その対策とは何かを、水泳教育を専門とする鳴門教育大学の松井敦典特命教授が語った。

人間が生きていく上で不可欠な能力

「よく“日本は島国だから、そこに住む我々は泳ぐ力を身につけておくべきだ”と言われます。それはあながち間違いではありませんが、私は泳ぐ力というものは、どんな国や地域においても、人間が生きていく上で不可欠な能力だと考えています。例えば昨年、スイスでこんな災害が起きました。気候温暖化の影響で氷河が崩落し、発生した土石流が美しい谷間の村や、築600年を超える木造の家屋などを次々に飲み込んでしまいました。こうした水害だけでなく、世界中で海面上昇やスーパー台風など、近年の大規模な気候変動により、このような水害をもたらす危険性が高まっています。海がない国の住民であっても、泳ぐ能力を身につけておく必要があることは明らかです」

鳴門教育大学の松井敦典特命教授

動き出した超党派の「水泳議員連盟」

 7月16日、“政治の街”永田町で超党派の「水泳議員連盟」の設立総会が開催された。そこで配布されたスポーツ庁作成の資料には、全国1406の自治体(都道府県、政令指定都市、市区町村)を対象にした2025年度の「水泳授業の実施状況等について」と題する調査報告が載っている。対象とされた学校の数は、小学校が1万4669校、中学校が7306校だった(回答率は約80%)。資料によると、水泳の実技を実施していない小学校は65校で全体の0.4%、中学校は1668校に上った。これは全体の22.8%に相当する。

中学校の5校に1校が水泳授業を実施していない

「人間が泳ぐ力を身につけるには、子どもの運動能力や神経系の発達が期待できる7歳から12歳での水泳経験がとくに重要とされています。スポーツ庁が示したデータからは、いまのところ小学校はあまり心配する必要はないように見えますが、中学校は5校に1校という割合で水泳の授業が行われていないことが見て取れます。これは由々しき事態と言えます。ちなみに施設や環境面の課題には、小中学校ともに“暑さへの対応”が最多で、次いで“学校プールへの老朽化対策”が挙げられています。指導面では“安全面の対応”や“熱中症対策への対応”と、教職員の負担が増えていることを感じさせる回答が多かったようです」

水泳実技を取りやめた自治体も

 松井教授によれば、すでに来年度から水泳の実技授業を取りやめることを決めた自治体も出始めているという。

「茨城県の古河市は9つの中学校が座学による安全指導に切り替えるそうです。埼玉県の宮代町も町内全3か所の中学校で、滋賀県野洲市も中学校における実技を取りやめる予定だと聞いています」

スポーツ庁が明らかにしたデータの衝撃

 先の「水泳議連」の設立に先立ち、スポーツ庁は今年4月に2024年度「体育・スポーツ施設現況調査結果の概要」を発表していた。そこには、全国の小中学校に設置されているプールの数が記載されている(※編集部注/カッコ内は2021年度)。

小学校/中学校
屋内プール 308(278)/172(151)
屋外プール 1万5150(1万5648)/5922(5959)

 このデータからは小中学校ともに屋内プールの数は増えているものの、屋外プールはそれ以上に減っていることが分かる。3年の間に小学校は498校、中学校でも37校が備え付けの屋外プールを失っているのである。

失われる授業と子どもたちの泳力

「回数や内容に濃淡はあれど、数百の小学校、数十の中学校で水泳授業の機会が失われていることを示しています。プールがない小中学校は、近隣の学校や公営のプール、場合によっては民間施設を借りて授業を行っています。しかし、それでは限界があります。例えば、2023年度の埼玉県教育委員会による小学校児童『運動技能に関する調査結果』は衝撃的でした。2023年度の小学5年生と6年生のクロールや平泳ぎの技能が、2019年度からのわずか4年間で急激に低下したことが分かりました」

【クロールで25メートル以上泳げる児童の割合】
5年生男子/6年生男子
66.6%→47.1%/76.8%→54.3%
5年生女子/6年生女子
59.2%→41.2%/72.1%→46.2%

【平泳ぎで25メートル以上泳げる児童の割合】
5年生男子/6年生男子
50.6%→34.6%/59.5%→41.1%
5年生女子/6年生女子
43.4%→30.4%/55.1%→34.6%

 では、泳げない児童はどれだけ増えたか。こちらは6年生のみが対象だ。

【クロールで5メートル以上泳げない児童の割合】
6年生男子/6年生女子
3.3%→11.1%/3.6%→14.3%

【平泳ぎで5メートル以上泳げない児童の割合】
6年生男子/6年生女子
17.2%→31.3%/19.4%→38.1%

コロナ禍による見過ごせない大幅な授業の削減

 泳げる児童が激減すると同時に、わずか5メートルも泳げない児童が2倍から4倍に増えたことが分かる。

「ここまで子どもたちの泳ぐ力が低下した最大の理由は、2019年に始まったコロナ禍の影響です。2020年から2022年にかけての時期は、全国的に体育の授業が大幅に削減されました。学校に使用可能なプールはあっても、子どもたちが実際に泳ぐ機会が失われたのです。数年間に及ぶ水泳指導の空白期間が、こうした衝撃的な数字となって出てきました。もしかしたら、この状況が全国で起きている可能性は捨て切れません」

把握が難しい泳ぐ力の実態

 こうしたデータの公表は自治体の判断に依拠しているという。

「ですから、そもそも調査していないところもあれば、実施しても結果を公表しないところもあると見られます。そのため、全国でどのくらい泳げない児童や生徒がいるのかを把握するのは難しい。自治体によっては、プールの維持管理が滞ったことで授業の機会が減り、それによって子どもたちの泳ぐ力が下がったという指摘や批判を嫌って、あえて公開しないところもあるようです。本来、子どもの能力に格差がついてはいけないのですが」

 幸いなことに、コロナ禍が終息した後の2025年度には、クロール、平泳ぎとも25メートル以上泳ぐことができる児童の割合は、いずれも数%ながら回復している。

オーストラリアの危機感

 子どもたちの泳ぐ力の低下に危機感を募らせているのは日本だけではない。そのひとつが南半球に位置するオーストラリアだ。

「オーストラリアは、オリンピックで5つの金メダルを手にしたイアン・ソープの母国として知られる“水泳王国”です。2025年にオーストラリアのライフセービング協会が行った調査によれば、小学6年生の46%が“救命スキル”を身につけていないことが分かりました。救命スキルとは“50メートルを泳ぎ切る”或いは“2分間水に浮く”という課題をこなす力です。また、高校1年生の39%がこの救命スキルの基準を満たせていないことも明らかにされました」

 理由は明白だったという。

「小学校で必修科目だった水泳が選択科目とされ、子どもたちが水に親しむ機会が減ったためです。水泳を学ぶ子どもが減ったせいで、各学校における水泳大会も開催されなくなり、全国的に水泳のスキルが低下してしまった。7歳から12歳くらいまでの時期における水泳経験が大切なことは先にも触れましたが、彼らはちょうどその世代でコロナ禍に見舞われてしまいました。報告書には“10歳から14歳になった彼らの泳力が懸念される”との指摘もありました。日本も決して他人ごとではありません」

OECDによる警鐘

 国際機関の経済協力開発機構(OECD)は、定期的に各国におけるスキル開発や教育・訓練に関する国際比較報告書「OECDスキル・アウトルック(OECD Skills Outlook)」を公表している。2023年度版では〈新たな環境条件に適応するためには、自然界への理解と、泳ぐ、自転車に乗るといった身体技能の重要性が高まる〉と警鐘を鳴らしている。

「意外かもしれませんが、OECD加盟国の15歳以上で“自力で泳ぐことができる”と回答した割合は、北欧のスウェーデンやノルウェー、フィンランドが9割以上に達しています。また、アメリカやイギリス、ドイツ、フランス、スペインなども8割を超えています。先進国が軒並み高い水準を示す中、日本は62.5%と139か国中の41番目。OECD平均の74.8%を大きく下回っているのです。報告書は同時に“海面上昇や台風、大雨、津波などによる水害への対策として泳ぐ力が大切”と指摘しています。泳ぐ力を身につけることは、災害時はもちろんですが、水遊びの際にも自分や周囲の命を守るために必要不可欠な力ですから」

自治体の厳しい財政事情

 改めて、松井教授が日本で水泳の授業が軽視される傾向にある理由について指摘する。

「全国の自治体は財政的に苦しいところが多いので、本来はプールの維持管理に費やされるべき施設整備費などが、ほかの教育環境整備の費用に回されるケースが増えていることも影響しています。タブレット端末の導入、それに伴う校内通信ネットワークの整備のほか、猛暑に対応したエアコン設備の拡充と、それに伴う電気代もバカになりません。プールだけでなく、校舎の外壁補修やトイレの洋式化、バリアフリー、地域によってはエレベーターの設置もあります。避難所となる体育館の整備や非常用電源の確保といった地域の災害対策も必要です。夏季しか使用しないプールへの支出の優先順位が下がっていることも、水泳教育を軽視する学校が出始めた要因でしょう。台所事情が苦しいことは理解しますが、ここはぜひ、文科省がしっかりと指導力を発揮して、全国の小中学校に水泳も人間にとって必要かつ大切な基礎教育であると伝えて欲しい」

泳ぐ力は水の中に入ってこそ

 さらに水泳授業の意義を次のように指摘する。

「水中における自分の身体の動かし方は、実際に水の中に入ってみないと理解できません。水の冷たさや身体が感じる水の抵抗、身体の動かしにくさ、水中での息苦しさなどは、幼少期に実感として学ぶからこそ、その記憶が大人になってからもずっと残り続ける。教科書を開いて先生の解説を聞いたところで、それは単なる知識に過ぎません。水泳は実際に身体を動かす体験に裏打ちされてこそ、初めて子どもたちの能力として身につくのです」

自覚させたい自分の「泳ぐ力」

 夏場はとくに、学校が夏休みに入ると、家族で海や川などに涼を求めて出かける機会が増えてくる。

「子どもでも大人でも、泳ぐ能力には個人差があって当たり前です。うまい子は少し教えただけで、それをやってのけますし、そうでない子もいます。国語や算数でも同じことが言えますが、大切なのは、子どもたちに自分はどれくらい泳げるのか、あるいはどれくらいしか泳げないのか、ということをしっかり自覚させること。例えば、家族や友人たちと川に遊びに出かけた際、泳ぎの得意な子は水を恐れず、ある程度の水深がある場所でも楽しく泳げるでしょう。ところが、泳ぎに自信がない子、泳ぎが得意ではないことを分かっている子は、深い場所に危険を感じて、浅いところでしか遊びません。自分の泳ぐ力がどのくらいなのかを理解していれば、友人につられて水深がある場所に行くことを踏みとどまれる。“危険を感じてためらう”ことが命を守るためには極めて重要な感覚なのです」

 水泳は命を守るための大切なスキルだ。それこそが、子どもたちが泳ぐ力を身につけるべき最大の理由であることを忘れてはいけない。

デイリー新潮編集部