フランス哲学者「24時間テレビ、本当の問題は日本の番組視聴者だ」やす子マラソンも佐村河内守も…日本人の「メンタリティ」に大きな理由あり

写真拡大

 8月31日と9月1日の二日間にわたり、毎年恒例の番組、「24時間テレビ」が放映された。人気お笑い芸人・やす子のマラソンコースが台風10号接近の影響を受け、日産スタジアムを周回するコースに変更されるなど、波乱含みの内容がネットでの賛否を呼んだ。

 番組サイドへの批判も多かった世論に対して、フランス哲学者の福田肇氏は「なんとしても『感動したい』という日本人視聴者のメンタリティこそ問題だ」と指摘するーー。

懐かしい…佐村河内守にネット民「感動を返せ」

 もう10年以上前になる。NHKスペシャル『魂の旋律 ~音を失った作曲家~』と題するドキュメンタリー番組が放送された。番組は、「全聾(ぜんろう)」の作曲家、佐村河内守をとりあげ、「日本のベートーベン」として紹介、大曲『交響曲第1番”HIROSHIMA”』や、東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「ピアノのためのレクイエム」の制作過程、聴力を失ったことの苦悩を報道する。番組は大きな反響を呼び、『交響曲第1番”HIROSHIMA”』は、クラシック音楽でありながら、オリコン週間チャート2位という異例の売り上げを見せた。

 ところが、作曲家新垣隆が、実は自分が佐村河内のほぼすべての曲のゴーストライターだったことを突然告発する。記者会見で、新垣は、佐村河内はコミュニケーションに支障をきたすほどの聴覚障害をもってはいないこと、そもそも楽譜を書けないことを暴露した。この「ゴーストライター問題」が大騒動を引き起こしたのはいうまでもない。

 視聴者、ネット民の反応の多くは、「感動を返せ」であった。つまり、「全聾の音楽家が、そのハンデキャップにも負けず、苦悩のなかから人々の魂を心酔させる音楽を創造する」という物語に覚えた大きな感激を佐村河内が裏切ったことに対する非難である。彼らが感涙を流したのは「佐村河内守」名義の楽曲ではさらさらなく、それらをとりまく「障がい者の不屈の物語」だった。楽譜を書けず作曲もせず障がい者であることすらあやしい佐村河内は、たとえそれが「主人公」であったとしても、彼らが希求する「物語」にとっては〝ノイズ〟となったのである。

「感動ポルノ」という概念

 「感動ポルノ」(inspiration porno)という用語がある。2012年、障がい者人権活動家であるステラ・ヤングがウェブマガジン”Ramp Up”に掲載した記事ではじめて用いた概念だ。「感動ポルノ」とは、「障がい者が健常者に感動を与えるためのモノとして扱われ、障がい者を健常者のための消費の対象にしている」という状況を意味する。2016年8月28日、NHK・Eテレのバラエティー番組『バリ・バラ』の生放送「検証!『障害者×感動』の方程式」で紹介され、日本でも一般に広まった。

 ハンディキャップを克服して「前向き」に活動する障がい者の姿は、「障がい者だってこれだけがんばって生きているんだから、私のような健常者はもっとしっかりしなければ」という、鼓舞や自己肯定感、ときには優越感を健常者にあたえる。ステラ・ヤングは、障がい者がこうした健常者のニーズによって切り取られ、感動を呼び起こす〝素材〟とみなされることを告発するのである。

最初は一回限りの予定だった『24時間テレビ』…タモリと赤塚不二夫のSMショーは衝撃だった

 日本テレビの『24時間テレビ/愛は地球を救う』という番組は、1978年に「スタート」した。もっとも、「スタート」という言い方は適切ではない。なぜなら、当初は、日本テレビ開局25周年記念の、あくまで一回きりの特別番組枠として放送されたからだ。ところが、エンディングに集まった観客の熱狂に応えるかたちで、感謝の意向を伝えるために登壇した当時の日テレ社長が、翌年も同番組を開催することを宣言してしまった。これがシリーズ化のきっかけとなった。

 最初期の『24時間テレビ』は、アフリカの貧困や飢餓、寝たきり老人などのシリアスな社会問題を報道しつつ、他方でアニメや過激なコントを流すという、硬軟取り混ぜたカオス的な番組だった。とくに、1981年の同番組の深夜枠で、タモリと赤塚不二夫がSMショーを演じ、タモリが裸の赤塚不二夫の背中を鞭打ってローソクを垂らすという、今ではコンプライアンス上絶対不可能であろうパフォーマンスを演じたのは、リアルタイムでそれを視聴していた私にとっても衝撃的だった。

そして「感動ポルノ」の素材として消費され続ける24時間マラソンが始まった

 ところが、回を重ねるごとに、番組はマンネリ化していき、同時に視聴率も低迷する。こうして、1992年、「原点回帰」の理念のもと、番組のリニューアル化がおこなわれることになった。チャリティー・パーソナリティにダウンタウンが起用されるとともに、24時間で一本番組であることを意識し、エンターテイメント性をより明確に打ち出した番組編成がなされるようになる。「24時間マラソン」が開始したのもこの年である。その後、「障がい者が挑戦する」企画の比重が増し、番組はいわゆる「感動ポルノ」色を強めていく。

 爾後、障がい者のみならず、被災者も、難病患者も、24時間マラソンの完走をめざす芸人も、みな「感動ポルノ」の〝素材〟として消費されることを余儀なくされるようになる。加えて、アイドルグループらが、追い討ちをかけるように熱狂を焚きつけ、感動の狂想曲が編まれていく構成が定着する。

「感動ポルノ」そのものよりも、なんでも感情や印象でしか物事を判断できない、日本人のメンタリティこそが問題

 しかし、私は、『24時間テレビ』の「感動ポルノ」を批判しているのではない。私が論じたいのは、むしろ、こうした番組を必然的に産み落としてしまう、〝感動を誘う情緒的なエピソード〟を何かにつけて求めたがる視聴者のメンタリティ---より一般的にいえば、日本人の、感情や印象の水準でしかものごとを見たがらないメンタリティ---そのものである。

 2011年、東日本大震災勃発からしばらくの間、原発事故のシビアな現状や客観的データは隠蔽され、代わりに公益社団法人「ACジャパン」による金子みすゞの詩「こだまでしょうか」が延々と流されたあの茶番劇、「泣ける映画」が興行成績をあげそれがそのまま集客のための広告コピーにもなる、芸術的完成度とは無縁な、スクリーンをめぐる趨勢、たかだか野球少年たちの全国大会にすぎないものが、「血と汗と涙の甲子園」として仰々しく脚色され、「青春ドラマ」の名のもとに消費される構図等々。『24時間テレビ』の「感動ポルノ」は、日本人の、感情や印象の水準でしかものごとを見たがらないメンタリティが求める〝感動を誘う情緒的なエピソード〟の幾多の派生形の一つにすぎない。

なぜ上田晋也はネット上で酷評されたのか

 第一に、ここでは、その〝清麗な〟エピソードの類型になじまない夾雑物は〝ノイズ〟として徹底的に排除される。佐村河内守が「感動を返せ」の旗のもとに一斉攻撃の憂き目をみた(音楽そのものが美しければだれが作曲したのでもよいではないか!)のとまったく同じように、2024年度『24時間テレビ』の総合司会・上田晋也は「チャリティ番組にあのツッコミはそぐわない」としてネット上で酷評され、同番組の寄付金の着服を行なったのが日テレ社員ではなく系列局の日本海テレビの社員であったにもかかわらず、日テレや『24時間テレビ』は大バッシングを被り、出演者が〝ノーギャラ〟でなければ視聴者はなっとくしない。

 また同様に、福島県の農産物や海産物の残留放射線量に対する一抹の懸念は、復興に向けて奮闘する被災者を傷つける「風評被害」を惹起しかねない態度として顰蹙を買い、甲子園出場校の職員やその町の住民で応援や寄付に協力的でない者は〝非国民〟扱いされる。これらはすべて同根である。

被災者は明るく復興を目指す人でなければいけないし、高校球児は坊主頭の純朴少年でなければならない

 第二に、〝感動を誘う情緒的なエピソード〟を成立させるために、事象の多様な局面のうち都合のよい部分だけが切り取られて消費される。

 障がい者は、あくまでもその克服に向けて努力を重ねる人でなければならない(障がいをかかえつつ淡々と生きる人、障がいを悲観して命を断った人には目が向けられない)。障がいの程度や種類は、健常者の嫌悪感を惹き起こさない程度にとどめておくのでなければならない(したがって、ドキュメンタリー映画監督原和男の『さようならCP』(1972年)が焦点を当てる、車椅子を「差別的」であるとして、〝這う〟ことを決意する脳性麻痺患者のような障がい者を決して登場させてはならない)。

 被災地の人々は〝災難にもめげず温かく助け合い復興を目指す前向きな人々〟でなければならない(だから、被災者同士のいさかいや、絶望して自死した被災者や、災害関連死のエピソードは望まれない)。高校球児たちは、あくまでも坊主頭の純朴な少年でなければならず、難病をかかえる美少女は大恋愛をして安らかに息を引き取らなければならないのである。

約80年前の「神国日本」メンタリティから変わらない日本人

 繰り返すが、私は『24時間テレビ』の「感動ポルノ」や「不祥事」を批判しない。むしろ、広義の「感動ポルノ」を希求し、それを希求するがゆえにこそささいな問題を致命的な「不祥事」として喧伝する、美談の要素のみの通過を許す〝フィルタリング〟と、それが基づくメンタリティのほうを、私はむしろ憂慮する。

 80年前、「進め一億日の玉だ」「ぜいたくは敵だ」「神国日本」の精神論にしがみつき、客観的なデータや正確な数値は参照されず、無謀な戦争を続けたあげく膨大な戦死者を出してしまった日本人のメンタリティは、いまださほど変わっていないのかもしれない。