大槻ケンヂさん(提供写真)

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【その日その瞬間】

<その日その瞬間>ダイアモンド☆ユカイが語る ミス・サイゴンへの意気込み

 筋肉少女帯 大槻ケンヂ(ミュージシャン/60歳)

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 還暦になったロックミュージシャン、「筋肉少女帯」の大槻ケンヂさん。ターニングポイントは夏の高校野球のハプニングと、武道館より街のライブハウスでやったステージだったという。

 16歳でライブハウスデビューしましたが、実はその直前に、ドラマーの通う高校が夏の県大会の決勝まで勝ち上がり、あと1試合勝てば甲子園に出場することになったんです。すると、ドラマーは野球部でもないのに「俺はライブなんかより、甲子園へ応援しに行く」と言い出して。僕は「ええっ?」と驚いたけど、言い出したら聞かないヤツだからどうにもできなくて。

■ドラマーの高校が夏の甲子園に出ていたらデビューが遅れていた

 結局は決勝で勝てず、「負けたからライブに出るよ」と言い、筋肉少女帯はめでたくライブデビューできました(笑)。ドラマーの高校が甲子園に出てたら、ヤツは絶対来なかったから、デビューはもっと遅れていたし、その後のインディーズブームに乗り遅れたかもしれないので、これは案外最初のターニングポイントです。

 ライブハウスでやり続けて、大きな分岐点はやはりインディーズブームです。19歳で、今はない池袋の豊島公会堂で有頂天、ばちかぶりとのライブをやりました。筋肉少女帯の演奏の時にはお客さんが総立ちで、すごく盛り上がってステージに詰めかけてきた。今までライブしてきてそんな光景を見たことがなかったですね。

「今、インディーズのブームが来て、何かが変わったんだ!」とステージ上でわかった瞬間でした。「これがロックの盛り上がり方なんだ、その波が自分にも来たんだ」と。その光景は今でも鮮明に覚えています。

 人気が出たと実感したのは汐留PITでやった時。CDが出て人気が出かけた時だからって当時の事務所が2000人は入るPITを押さえちゃったんです。それで「そんなでかいハコをとったってガラガラになるに決まってるじゃないか」と僕は怒った。そしたら事務所の人が「いやいや大槻。大丈夫だから」と言い、なんとチケットは発売日に即完売。あの時は驚いたなあ。

 そこまで人気が出るきっかけのひとつは僕がラジオをやったこと。元々はニッポン放送にある銀河スタジオでライブイベントがあり、筋少の時に僕が客席に下りて大騒ぎした。若かったから、メチャクチャ暴れて。

 そしたら後日ニッポン放送から電話が来たと事務所に言われ、「怒られたんだろうなぁ」と思っていたら、「面白かったから『オールナイトニッポン』をやってほしいと言われた」と。

 そして深夜のラジオをやっていた頃にバンドブームも来たからタイミングもよかったですね。

■武道館より渋谷の「屋根裏」が思い出深い

 2000人のお客さんを目の当たりにしたライブから、渋谷公会堂2デイズを経て、1万人の武道館ライブまではあれよあれよといきました。

 ただ、僕は武道館よりもデビューした16歳の時、(渋谷の)センター街にあったライブハウス、有名な「屋根裏]の方が思い出深い。僕は屋根裏でライブをするのが夢でしたから。有頂天とツーマンライブだったんじゃないかな。そのライブはウケた。

 憧れの屋根裏で盛り上がってうれしくて、そのライブが一番忘れられない日です。大きなライブはもちろんターニングポイントでしょうけど、武道館よりも屋根裏ライブがその後の自分を大きく変えたと思います。大きな自信にもなったから。

 そもそも僕は自分を何かの形で表現したいと思っていて、手段は何でもよかった。それがたまたまロックだったんですね。当時はロックバンドが自分を表現するのに手っ取り早かったんじゃないかな。ロックで世に出たけど、僕は何でもやってみたかった。DJにしろ作家業にしろ何でもかんでも。「人生社会科見学主義」なので、いろんなことをやってみました。

 そして、結局、自分にとって一番いいのはステージでパフォーマンスをすることだとわかりました。充実感が強いんですよ。小説やエッセーを書くことは向いてないこともないんですけど、キツイとわかった。机に向かってコツコツと書く満足感よりも、瞬間瞬間で喝采を浴びる、コール&レスポンスができるステージの方をやりたい。60代もライブをやり続けたいです。

■今年還暦。サポートガードをつけてライブを続ける

 ドラマーがちゃんと来てくれてライブデビューできた日から屋根裏、PIT、渋谷公会堂、武道館といろんなターニングポイントがあった。その頃から40年ほどの時を経て、(取材当日は)渋公(渋谷公会堂)だったLINE CUBE SHIBUYAでライブをやりましたから。今日のライブの瞬間まで全部がつながっているのが面白い。

 最近は、体にサポートガードをしてライブをやっています。もちろん日にもよりますが、引っ越し屋さんがやるようなパワードスーツ的なものもしたり、脚には病院で作ってもらったカッチリしたガードをしたり。ハードロックはそのくらいやらないと60歳を過ぎると危険なんです。あんまりファンには言ってないことですが(笑)。

 そこまでしても僕はライブをやっていたいということなんですね。

 体力づくりにパーソナルトレーニングをやっていますが、パートレでこてんこてんに疲れちゃって6月は1回しか行ってないですね。ロッカーはポール・マッカートニーとか長くやられている方が世界中にたくさんいるので、まだまだ頑張らなきゃいけない。60代もロックし続けますので、よろしくです。

(聞き手=松野大介)

▽大槻ケンヂ(おおつき・けんぢ) 1966年2月、東京都中野区出身。82年にロックバンド「筋肉少女帯」を結成。脱退後、99年から新バンド「特撮」で活動。2006年、バンドに復帰。今秋、筋肉少女帯ツアー2026「奇談師」が開催。