「あと1、2分遅かったら死んでいた」とAさんは振り返る

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 7月28日に発生し、最大震度7を観測した「令和8年熊本地震」。生存率が急激に低下するとされる「発生から72時間」が経過したが、被災地では今も夜を徹しての懸命な捜索活動が続いている。

【写真を見る】地震のわずか数10分後の皿や調味料が散乱した店内。Aさんは埃で真っ白に……

 熊本県災害対策本部の31日午前の発表によると、死者は災害との関連を調査中の1人を含めて計35人、死者を含む人的被害は126人に上った。煙突が折れた日本製紙八代工場(八代市)では計9人が死亡。そして、地震直後に爆発事故が起きた「イオンモール熊本」(嘉島町)でも、これまでに7人の死亡が確認された。

 多くの尊い命が失われたイオンモール熊本の現場で、"九死に一生"を得たテナント従業員がいる。NEWSポストセブン取材班は地震発生時の恐怖と、なぜあえて再び危険なモール内へ足を踏み入れたのか、生死を分けたその経緯を聞いた。

「ガス臭くない?」地震直後の混乱と"再突入"

「最初はゆっくり揺れて、よくある地震かなと思っていたら、急にめっちゃ揺れ出したんです。近くの台に掴まってなんとか耐えましたが、立っているのがやっとの激しい揺れが1分ぐらい続きました」

 1階の飲食店エリアでアルバイトをしていた20代のAさんは、地震発生時の激しさをこう振り返る。直後、Aさんは店内にいた客をモールの外へ避難させ、自身も一旦、外へ脱出。しかし揺れがおさまった約30分後、火災などの2次被害を防ぐため、社員と2人で再びモール内へ"再突入"した。

「火事になったらいけないので、フライヤーの電源を落とし、ガスの元栓を閉めに戻りました。最初に出た時は漏水はなかったんですが、戻ってみると他の店舗の天井から水漏れしていて。うちの店も皿や調味料が全部床に落ちていました」

「あと1、2分遅かったら…」外に出た瞬間の大爆発

 一度モールを出たAさんらだったが、その後に店長と合流し、被害状況の確認とレジ金を回収して金庫に入れるため、今度は店長とともに再度モール内へ入った。この時、Aさんたちはすでに異臭に気づいていたという。

「ブレーカーを落としに行った時、なんだかもう臭くて……。社員さんが『下水の臭いじゃないか』と言っていたんですが、店長が『ガス臭くない?』と言い出したんです。ただ、他の店舗の従業員も駐車場と建物内を出入りしていたので、自分たちも大丈夫だろうと思っていました」

 施設内の状況はさらに悪化していた。

「天井が剥がれているのを見て驚きました。店に15〜20分ほどいたところ、警備員さんから『ここは施錠するから出てください』と指示されたんです。飲食店エリア至近の出口から出ようとしたらすでに施錠されていて、少し離れた従業員用の出口から外へ出ました」

 遠回りをしてようやく外へ出た、まさにその直後だった。

「店長と2人で歩き出そうとした瞬間、爆発したんです。『ドン』というより、爆撃音みたいなすっごい音でした。周りが砂埃と煙で真っ白になって、何も見えない感じになって……。出るのがあと1、2分遅かったら、死んでいたかもしれません」

 間一髪で脱したAさん。直後から白い粉塵で視界を奪われ、息をするのも苦しかったという。

「強風に煽られる感じがありました。また地震が来たのかと思ったら、目の前が真っ白で。目が痛いのを無理して開けると、電線が木に引っかかっているのが見えました。顔も服も真っ白になり、頭には小石やガレキが乗っていました」

 少し離れたところにいた店長から「もう一回爆発するかもしれないから逃げよう」と促され、2人はガレキを避けて小走りで近くのコンビニへ避難した。

失われた思い出の場所「寂しい」

 高校生の時から4年以上、このイオンモールで働き続けてきたAさん。Aさんにとってイオンは単なる職場ではなく、休日には友人と遊びに行く大切な思い出の場所でもあった。それが一瞬にして崩壊してしまった現実に、今もショックを隠しきれない。

「寂しいですね。信じられないです。いつか戻れるだろうと思っていたんですけど、戻れそうにないですよね……。こんな経験、するもんじゃないなと思います」

 7月31日には九州新幹線の運転再開や停電の解消など、少しずつ復旧の兆しも見え始めている。なぜこれほど被害が拡大してしまったのか。遺族や被災者たちの無念を晴らすためにも、徹底した原因究明が待たれる。