【小泉 道子】世帯年収1700万円「エリートパワーカップル」の妻が離婚協議で号泣…明かされた「つらい記憶」

写真拡大 (全4枚)

「パワーカップル」の離婚

筆者は「家族のためのADRセンター」という民間の調停センターを運営している。取り扱う分野は親族間のトラブル全般であるが、圧倒的に多いのが夫婦の離婚問題である。ADRは、「夫婦だけでは話し合いができない。でも、弁護士に依頼して裁判所で争いたいわけではない」という夫婦の利用が多いため、裁判所を利用する夫婦に比べると紛争性が低い。また、同席で話し合うことも多く、その夫婦の夫婦らしさというか、人間味のあるやり取りになることも多い。そこで「ADR離婚の現場から」シリーズと名付け、離婚協議のリアルをお伝えする。

今回のコラムでは、「パワーカップル」の離婚をテーマとする。単に共働きというだけではなく、双方ともに収入が高い夫婦をパワーカップルと呼ぶが、そんな夫婦に子どもができるとどうだろうか。お互いにキャリアもある、収入も十分、そして子どももいる。絵に描いたような幸せで完璧な家庭のように思えるかもしれないが、案外リスクが高い。キャリアがあるからこそ、収入が高いからこそ、離婚に至りやすい側面もある。以下では、パワーカップルの離婚協議を紹介する(「あるある」を詰め込んだ架空の事例である)。

監修:九州大学法科大学院教授・入江秀晃

〈夫婦不和の経過〉

妻が抱いた「もやもや」

ハヤトと明日香は同じ証券会社で働く同僚であった。激務の毎日であったが、互いに励ましあう中で交際に発展し、1年で結婚に至った。結婚後も忙しさは変わらなかったが、休日は外食を楽しんだり、時には旅行に出かけたりした。子どもも比較的早く授かることができ、順風満帆に思えた。

しかし、妻が長女を出産した後、大きく関係が崩れ始めた。妻は、夫にも育児休暇を取得してほしいと求めたが、「キャリアをストップさせたくない」という理由で断られた。そのときから、妻の胸の中に「もやもや」が育ち始めた。

そして、妻の仕事復帰後、明確に夫婦仲が悪化し始めた。妻は、時短勤務を余儀なくされ、収入は半減した。それを理由に家事育児の大半を自分がしなくてはいけないことに不満があった。娘は可愛いが、夫に置いて行かれるようで焦りもあった。コロナ禍になり、在宅勤務が増えた夫は積極的に家事育児をするようになったが、夫との生活が苦痛であった妻には逆効果であった。

妻は、もう一緒にはいられないと離婚を決意し、娘を連れて家を出たいと夫に告げた。しかし、夫は「離婚はいいが、娘は置いていけ」と断固反対したことから、妻はADRを申し立てた。夫としても、妻が娘を連れて別居を強行する恐れがあったことから、ADRに応じることにした。

<調停の経過・1>

娘と離れたくない夫

調停はオンラインの同席で行われた。冒頭で調停人が「何について話し合いたいか」と尋ねたところ、妻は以下のように話した。

「私も夫も離婚については合意していますが、どちらが娘を引き取るかでもめています」

一方、夫は、離婚はやむなく応じてもいいが、娘と離れるのであれば離婚も別居も望まないと話した。

この回答を聞いた妻は、いい加減にしてくれと言わんばかり首を振り、「調停人さん、夫はずっとこの調子なんです。どうすればいいですか?」と強めの口調で話した。調停人は、第三者が入ったからといって、二人で何度話し合ってもダメだった難題がすぐに解決できるとは思えないことを伝え、二人の離婚意思を確認するところから始めた。

固い妻の意思

「まず、離婚についてですが、明日香さんは離婚を希望されていると思うのですが、ハヤトさんはどちらかというと消極的なのでしょうか」

これに対し、夫は、妻とうまくいっていない感覚はありつつも、何とかやっていけるし、また、子どもの成長に伴い夫婦関係の改善も期待できるのではと話した。

しかし、妻の意思は固い。

「夫が『何とかやっていけるレベル』だと感じているのは当たり前だと思います。ストレスや負荷が多いのは私の方なので。私の違和感は夫が育休取得を拒否したときから始まっています。私が仕事に復帰した後も、夫は、できることは手伝うと言いましたが、私には『できないことは無理してやらない』としか聞こえませんでした。家事育児の絶対量は決まっていて、私にはやらないという選択肢はないのですから」

夫婦で異なっていた辛さの程度

夫もこんな妻の不満を感じ取っており、タスク管理表などを作っては、妻と分担割合について話し合ったという。しかし、表通りにできないこともあり、かえって争いの種になったりもした。そして、家事育児の分担については、夫にも不満があった。

「妻は気が強いところがあり、私が家事や育児をしても、やり方が悪い、やるのが遅いと文句ばかりでした。それに、コロナ禍になってからは、在宅勤務も増えたので、今となってはかなりの育児家事を分担できていると思います。いつまでも昔の文句を言うのではなく、現状を見てほしいです」

しかし、妻は、時すでに遅しだと言い、夫と自分では「辛さ」の程度が違っていること、今改善されているからといって、辛かった過去を消せないことを強い口調で主張した。

子どもを取られるくらいなら別居も離婚もしない

妻の意思が固いことを理解した夫は、別居や離婚は応じるつもりでいると述べたが、やはり子どもは渡したくないし、子どもを取られるくらいなら別居も離婚もしないと続けた。

妻は絶望したように天を仰ぎ、「結局、結論はそれなんですよね。私がいくら辛い気持ちを話しても、夫がそれを理解することはないということですね。これで振り出しに戻りました。調停人さん、いったいどうすればいいんですか」とすがるような視線で調停人を見た。

調停人は、少し角度を変えて話すことを提案し、娘を渡せないと主張する夫に対し、娘とどのようにかかわりたいかを聞いた。夫は、「どんなかかわりって…」と戸惑いながらも、「これまで通り、朝起きたら横に娘がいて、保育園に行く準備を手伝って、帰ってきたら一緒に夕飯食べて風呂に入って、それで寝かしつけして、みたいな親として当たり前のことがしたいだけです」と話した。

妻が激怒した理由

それを聞いた妻は表情を変え、「その『当たり前』をしてこなかったのは誰なの!」と半ば叫ぶように怒鳴った。夫も妻の感情の高ぶりに呼応するように「今はずいぶんやってるじゃないか!なぜ認めてくれないんだ!」と声を荒げた。

二人の話がヒートアップしてきたので、ここで調停人が割って入った。

「ハヤトさんは、『今は改善している』、明日香さんは、『もう遅い。過去のことは消せない』と仰る。先ほどから、この違いがおふたりにとって大きいように感じます」

そうすると、妻がこれまでにない暗い表情になり、下を向いたまま語り始めた。

「私は、夫には絶対分からないだろう感情をたくさん味わいました。特に、職場復帰した後は、育児との両立が大変でした。ある日、昇進にかかわるような大切な会議があるのに、娘が熱を出しました。夫に相談しましたが、『俺、無理』の一言を残して出ていきました。途方に暮れた私は、熱があるのを隠して、娘を保育園に預けました。すぐに呼び出しの電話があるのは分かっていましたが、預けることさえできれば、会議に出れると思ったんです。ひどい親ですよね。子どもの健康よりキャリアを優先したんです。

案の定、保育園から電話があり、かなり遅れてお迎えに行きました。受け取った娘の体はびっくりするほど熱く、ぐったりしているように見えました。パソコンと持ち帰り資料でパンパンになったカバンを肩にかけ、娘を抱き上げて病院に向かう道すがら、会社からの電話もひっきりなしにかかってきて、娘には申し訳ないし、会社にも申し訳ないし、歩きながら涙が止まりませんでした」

妻はこう言うと涙を流し、うつむいた。そして最後に、絞り出すような声で、「こんなことがたくさんあったんです。今手伝ってくれるからって、忘れられると思いますか?」と加えた。

夫も何も言えず、沈黙の時間が流れた。

そして最後に妻は、決意したような強い表情で夫を見つめ、「もし、あなたが同意してくれなかったとしても、私は来月中には娘を連れて家を出ます。その後のことは家庭裁判所で決着をつけましょう」と言った。

夫の反応と、夫婦が取った選択は後編記事で【子育てで溝が深まり…離婚を切り出された世帯年収1700万円「エリートパワーカップル」の夫の「言い分」】で紹介する。

子育てで溝が深まり…離婚を切り出された世帯年収1700万円「エリートパワーカップル」の夫の「言い分」