オイルショックの時代に日本車は世界で評価されはじめた

 ずいぶん前から、海外では「日本車は壊れない」と言われてきた。逆の言い方をすれば、日本車以外のクルマはよく壊れる、というイメージを持っている外国人が多い、ということだ。

 もちろん日本車でも、メインテナンスをしっかりしなければ、壊れる。だが「壊れない」と、神話のように語られるほど日本車の評判が高い国が多い。

 ここまで来るには、先人たちの血のにじむような苦労があった。

 まず、アメリカでは、60年代までの日本車はアメリカ人にとってショッピングリストに載ることは極めて少なかった。一度乗ってみよう、とも思われないほど、日本車の知名度は低かった。

 状況が大きく変わったのは、70年代だ。排気ガス規制とオイルショックによって、それまでの大排気量エンジン主体だったアメ車の商品性が小型車重視へと大きく転換した。

 そうしたなか、ホンダの排気ガス対応システムCVCC搭載の「シビック」や、小型スポーツカーの「フェアレディZ」が人気を博した。

日本のSUVが東南アジアでは高級車扱いされることも

 こうした70年代の市場変化のなか、日本車はリーズナブルな価格で、低燃費、壊れないので長い年月乗れて、しかもリセールバリュー(下取り価格)が高い、という商品イメージが定着。そのイメージは 現在(2020年)まで引き継がれている。

 日本車の海外での評価は、まず最初にアメリカで高まり、その影響が欧州へと伝播した。ただ、欧州市場では、ジャーマン3(ダイムラー、BMW、VWグループ)を主体とした、自動車ブランドのヒエラルキー(社会的な序列イメージ)が強くあり、アメリカに比べて日本車の認知度と評価が高まるには時間がかかった印象がある。

 一方、日本車が数多く走っている国や地域といえば、東南アジアだ。なかでも、トヨタ「フォーチュナー」を筆頭とする新興国向けSUVは、高級車として認識されている国が多い。

 また、マレーシアでは、ダイハツと現地資本との合弁企業プロドゥアは国民車として認知されているなど、日本車は東南アジアで圧倒的な存在感と信頼がある。

 インドでは、市場の半分近くを占めるスズキが国民車的な立場にある。長年、現地資本との協業でマルチ・スズキとして販売してきたので、インド人のなかにはスズキではなく、マルチというインド車だと思っている人も少なくない。

 日本車以外の東洋系のクルマとしては、韓国ヒュンダイ・キアが90年代後半から欧米や新興国で一気に売り上げを伸ばしてきた。また、中国では日本メーカーとの合弁を基盤として、中国地場メーカーの技術力を上げてきた。

 そうした状況でも、日本車は、高いクオリティと最新技術に裏打ちされた「壊れないクルマ」として世界各地で支持を得ている。