【米国はこう見ている】前ヤクルトのバーネット、地元メディアに“日本愛”明かす 「大好きだった」
MLB公式サイトがレンジャーズの右腕を特集、「バーネットは日本の思い出を大切にする」
ヤクルトからMLBレンジャーズに移籍したトニー・バーネット投手が、地元メディアの取材に対して溢れんばかりの“日本愛”を明かしている。MLB公式サイトが「バーネットは日本の思い出を大切にする」とのタイトルで特集記事を掲載した。
バーネットは昨年、ヤクルト6年目のシーズンで守護神として獅子奮迅の活躍を見せた。59試合に登板し、3勝1敗41セーブ、防御率1.29の成績で14年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献。オフには、ヤクルトに恩返しをしたいとの思いからポスティングシステム(入札制度)でのメジャー移籍を目指したが、契約がまとまらずに自由契約となってレンジャーズと2年契約を結んだ。しかし、その“ヤクルト愛”は大きな話題となった。
来日前の2009年まではマイナーでのプレー経験しかなかった右腕は、自身初のメジャー契約をレンジャーズと結び、現在は春季キャンプに臨んでいる。特集では、「トニー・バーネットは2010年、東京ヤクルトスワローズで先発の6番手だった。彼の初の先発は横浜ベイ・ソックス戦だった」と球団名を間違えながら、日本でのキャリアを紹介している。
この日本デビュー戦について、バーネットは「強烈な経験だったよ」と振り返ったという。「スタンドは満員だし、観客は歌うし、管楽器は鳴るし、ドラムは初球から電気が消えるまで叩かれていた。僕は猛烈な衝撃を受けて『これはすごい』と思った。プレーオフのような雰囲気だったけど、まだシーズンの6試合目だった」。米国とは全く違う雰囲気で試合が行われる日本で、初めてマウンドに上がった6年前の記憶は、今も鮮明に残っているようだ。記事では、7回無失点で勝利投手となったことにも触れている。
「日本でプレーするのが大好きだった」
ただ、この年は1、2軍を往復する日々が続いた。異文化への適応の難しさを、右腕はこう語っている。
「僕の初年度は大変だった。悪戦苦闘だった。人によってはなじめない。故郷から遠く離れた場所での生活や野球のスタイルが好きじゃない場合は。言葉の壁の存在は事実だ。孤独を感じるし、野球選手としてそういった最善を尽くすのは大変だ」
シーズン終了後には1度は自由契約となったが、ヤクルトの補強の事情もあって再契約すると、2年目の開幕後からリリーバーとして活躍。そして、昨年は絶対的守護神として君臨するまでになった。
記事では、「バーネットとその妻ヒラリーは日本で過ごした日々の懐かしい思い出しか持っていない」と言及。バーネットは「日本でプレーするのが大好きだった」と話しているという。
奥さんも日本好き!? 「東京ならよかったのに」
「6年間、たくさんのものを見た。もっと観光もしたかったけれど、クールなものをたくさん見たよ。自分のお気に入りはカマクラのジャイアント・ブッダだけど、田舎のどこにいっても、想像のつかなかったもの、例えばブッダの像や古い建物などに出くわす」
「人々はとても協力的で、顧客サービスは素晴らしく、いつも快適にしてくれる。覚えているのは雑貨店に妻と娘と入った時のこと。娘が泣き続けていたら、突然、男性が現れて彼女に遊ぶための小さいおもちゃを渡したんだ」
日本での数々の思い出を振り返り、お気に入りに鎌倉の大仏(ジャイアント・ブッダ)を挙げている。さらに、特集では「バーネットはすでに寿司を恋しがっている」と指摘し、車で夕飯を食べる店を探していた際、奥さんが「東京ならよかったのに」とつぶやいたというエピソードも紹介。右腕は取材に対して「アリゾナでスシを食べられていない。僕はスノッブじゃないけど、日本で長く暮らして、それに近いものの一部になっていただなんて思いもしなかったよ。でも今思い返せば、素晴らしかった」と語っている。
「大好きな」日本で実績を残し、メジャーへの道を切り拓いたバーネット。MLB移籍を決断した胸中を「明らかに好機だった。自分の株が上がっていたし、大リーグで投げるチャンスだった。僕は32歳で若くはなれないし、MLBは一流のリーグだ。最高のタレントがいる。このレベルに辿り着きたいと思わない人がいたら、クレージーだよ」と隠すことなく明かしている。
ようやく掴んだ大きなチャンス。日本への“愛”を胸に持ち、最高峰の舞台に挑む。

