「こんなに増えて、どうすりゃいいんだ」…食費月3万円で慎ましく生きる72歳、気づけば総資産「1億4,000万円超」に。隠れ富裕層が抱える“切実な悩み”【FPの解説】
「老後のお金が足りないかもしれない」。そう考えて節約を続けてきた結果、気づけば総資産は1億4,000万円を超えていました。しかし今度は、「自分亡き後、このお金をどう残せばいいのか」という新たな悩みが生まれます。72歳男性が直面している、資産形成の"その先"にある意外な老後の課題とは? ファイナンシャルプランナーの青山創星氏が詳しく解説します。
総資産1億4,000万円超、人も羨む潤沢な資産を抱えながら悩む72歳
「まさか、ここまで資産が増えるなんて思ってもいなかったんですよ」
横川正則さん(仮名、72歳、元会社員)は、毎月の厚生年金約16万円を受け取り、静かに暮らしています。1ヵ月の食費は3万円ほど。外食はほとんどせず、旅行にも行きません。一戸建ての部屋の中は実に簡素です。これだけ聞くと、「お金に余裕がある老後」とは感じられないでしょう。しかし、実際はその逆でした。
証券口座に7,000万円、銀行預金に2,000万円、さらに親から引き継いだ都内の自宅は地価高騰で5,000万円を超える価値となり、総資産は1億4,000万円を上回っています。仮に90歳まで生きるとして、あと18年。証券口座の運用益でさらに資産が増えることを考慮すれば、お金で困ることはまずないでしょう。
しかし、「介護が必要になったら?」「大きな病気をしたら?」 ――そんな不安があり、横川さんは、現役時代から財布の紐を緩めることができませんでした。そうやってお金を使わないことが習慣となり、資産は減るどころか、予想以上に増えていったのです。
証券口座の資産は、右肩上がりの相場に合わせて、ただ置いているだけでも増えていきました。また、東京の地価も、本人の意思とは関係なく上がり続けました。国土交通省の公示地価によれば、東京都の住宅地の平均地価は2015年から2026年にかけて約1.6倍に上昇(※1)。ただ「住む場所だった家」が、いつの間にか「売れば、5,000万円以上になる資産」に化けていたのです。
「余るぐらい資産ができたけれど、気づけば70代。お金を使って何かしようという気力自体が、薄れてきてしまってね……。増えていくばかりなんですよ。今度はこの資産をどうするのかという、別の悩みが出てきてしまったんです」
気づけば「老後資金が足りるだろうか」という悩みは、「使い切れない資産をどうするか」という、まったく別の悩みを生み出していました。
そして、その悩みをさらに深くしていたのが、「資産をこの人に残したい」と思える相手がいなかったことでした。
妻子無し、唯一の親族は疎遠の「甥っ子1人」だけ
横川さんには妻も子もいません。両親と兄もすでに他界しています。唯一の親族は、兄の息子、つまり甥が一人だけ。その甥は、すでに持ち家を所有しています。このまま何もしなければ甥が法定相続人となり、 法律に則ってこの甥が唯一の相続人(代襲相続人)となります。
甥が一人で相続する場合、税金の負担もそれなりになります。仮に1億4,000万円で計算すると、相続税の基礎控除(非課税枠)が3,600万円あるため(※2)、課税対象となるのは残りの1億400万円。これに対する本来の税額は約2,460万円ですが、子どもや親、配偶者以外の人が財産をもらう場合、税金が2割上乗せされる「2割加算」があるため(※3)、最終的な税額は約2,952万円になります。
とはいえ、受け取る資産額を考えれば、銀行預金や株の一部売却などで税金は十分支払えるでしょう。「甥が納税に困る」という可能性は低いと考えられます。
むしろ問題はといえば、その手続きの重さとタイムリミットかもしれません。相続税は、横川さんが亡くなったことを知った翌日から「10ヵ月以内」に、甥自身が税務署に申告して納税しなければなりません。甥にとっては「ある日、莫大な遺産を引き継ぐことになり、仕事の合間を縫って、短い期限内にさまざまな手続きをこなさなければならない」ということが負担になる可能性はあります。
もちろん相続というのは一筋縄ではいかないものです。しかし、最終的に甥が受け取る金額を考えれば、前向きに手続きをしてくれる可能性のほうが高そうです。
しかし、話はそう単純ではありません。その甥とは、もう何年も盆暮れの挨拶すらしていないほど“疎遠”なのです。
遺言書1通で、お金の行き先を変えられる…「新たな選択肢」
「突然降って湧いた大金は、時に人生を狂わせることもあるというでしょう? 疎遠の甥に全額は、迷いがあってね」
葬式や手続きなどで手間をかけるかもしれないので、ある程度の遺産を甥に残したいという気持ちは当然あります。しかし、ただ血が繋がっているというだけの理由で、全財産を彼に渡す。それでいいのだろうか?
――そう頭を悩ませていたときに、相続セミナーで出会ったファイナンシャルプランナーの永瀬さん(仮名)に、横川さんは思い切って悩みを打ち明けました。そこで聞いたのが、「遺贈寄付」という選択肢でした。
「甥御さんに残すのも一つの選択ですし、お世話になった人や団体、社会に役立てるという考え方もあります。その意思を形にする方法として『遺言書』があるんですよ」
子や親などには「遺留分」という、最低限受け取れる権利があります。しかし兄弟姉妹・甥・姪には、この遺留分がありません(民法第1042条)。つまり遺言書さえ書いておけば、例えば甥への相続をゼロにして、別の人や団体に全財産を渡すこともできるのです。
公正証書遺言の作成にかかる公証人への手数料は、今回のような財産規模で6万円台です。司法書士や行政書士への依頼費用を合わせても、数十万円程度が目安です。
「たとえば一部を甥に残して手続きの負担を減らしつつ、残りのまとまった財産をご自身が関心のある自然保護NPOや、母校の大学の奨学金制度、あるいは医療研究機関などに寄付する形も取れます」
永瀬さんのこの提案が、横川さんの心にすとんと落ちました。
「現役時代にコツコツ築いた資産に、相場や地価の上昇が重なって、気づけば自分でも想像していなかった額になっていました。自分の手で『次の世代や社会のために役立てる』と決められるなら、これまでの生活にも、これからの人生にも、新しい意味が生まれるかもしれません」
横川さんはいま、遺言書の作成に向けて動き始めているそうです。
最後に誰へ、どのような思いで残すのか
「お金をうまく使えず、資産が増えてしまった。その結果、使い切ることができそうもない」……横川さんのような悩みを抱えている人は少なくありません。
退職後は本来、現役時代に蓄えた資産を少しずつ取り崩して生活することが想定されています。しかし「いつまで生きるか分からない」「医療費や介護費がかかるかもしれない」「お金が底をついたら困る」という不安から、使ってもよいお金まで使えなくなってしまう……。
経済学では、この現象を「退職後の資産取り崩しパズル」(資産取り崩しの難題、または退職後も貯蓄が続く難題)と呼びます(※4)。
もし「使いたいけれど怖い」と感じるなら、手元の資金を「①生活費として計画的に使うお金」「②医療・介護などに備えるお金」「③人生を楽しむために使ってよいお金」の3つに分類して『見える化』してみることをおすすめします。
「これだけあれば介護が必要になっても大丈夫」「老人ホームに入っても足りる」などの防衛ラインがはっきりすれば、残ったお金は「計画の範囲内だから安心して使えるお金」へと変わり、日々の暮らしに潤いを与えるゆとりが生まれます。
それでも資産が余ったら? 自分が旅立った後の資産のゆくえについても、正解は一つではありません。ですが、「多額の財産を疎遠な身内に全額引き継ぐのは、気が進まない」。そう思う人にとって、遺言書と遺贈寄付は現実的な選択肢になります。実際、日本承継寄付協会の集計によれば、遺贈寄付の実行件数は2013年の369件から2022年には1,040件と、約3倍に増えています(※5)。
資産をぴったり使い切って人生を終えることは、実際にはほとんど不可能です。だからこそ、資産を「どう増やすか」だけでなく、「最後に誰へ、どのような思いで残すのか」もまた、老後には避けては通れないテーマになります。
何もしないまま、自分の意思とは関係のない形で財産が引き継がれることを避けたいのであれば、一度立ち止まって考えてみる価値はあるでしょう。迷いや悩みがあるなら、ファイナンシャルプランナーや司法書士などの専門家に相談することから始めてみてはいかがでしょうか。
(※1)一般財団法人土地情報センター「地価公示 都道府県市区町村別・用途別 平均価格」より算出。東京都の住宅地平均地価は2015年(350,300円/㎡)から2026年(565,100円/㎡)で約1.6倍に上昇。
(※2)国税庁「No.4152 相続税の計算」基礎控除額の計算式(3,000万円+600万円×法定相続人数)および国税庁「No.4155 相続税の税率」税率速算表より。
(※3)国税庁「No.4157 相続税額の2割加算」より。なお、子が先に死亡して孫が代襲相続人となった場合は例外的に対象外となる。
(※4)退職高齢者が資産を予想より取り崩さない傾向は "Wealth Decumulation (or Retirement Saving) Puzzle"(資産取り崩しの難題、または退職後も貯蓄が続く難題)と呼ばれる。Niimi and Horioka(2019)は日本の高齢者を分析し、予防的貯蓄動機と遺産動機がその主要因であることを示した。Horioka and Ventura(2022)は欧州多数国のデータを用いて同難題が欧州においても成立することを示唆した。
・Niimi, Y. and Horioka, C.Y., Journal of the Japanese and International Economies, Vol.51, 2019, pp.52-63. https://doi.org/10.1016/j.jjie.2018.10.002
・Horioka, C.Y. and Ventura, L., NBER Working Paper No. 30470, 2022. https://www.rieb.kobe-u.ac.jp/academic/ra/dp/English/DP2022-34.pdf
(※5)一般社団法人日本承継寄付協会「遺贈寄付白書」(2024年9月発行・同年10月更新)より。
青山創星
ファイナンシャル・プランナー

