懐かしの制服で盛況の南青山・アンナミラーズ…団塊ジュニア世代が殺到する「ノスタルジア消費」の実態
外食産業ははやり廃りの激しい業界だが、80年代に一世を風靡したチェーンのなかには今も根強い人気を誇る長寿ブランドも少なくない。
アメリカンパイとアイコニックな制服で1970〜90年代にかけて人気を博し、「アンミラ」の愛称でお馴染みのカフェレストラン「アンナミラーズ」は、そんな時代を代表する店のひとつだ。コーヒーのおかわり無料サービスなどはアンミラから始まったとされ、外食産業に与えた影響は大きい。
日本に上陸して一時は閉店したが、今年2月から1号店と同じ南青山で再出店を果たした。それから4ヵ月、復活直後の熱気が落ちついた現在、どんな人たちが利用しているのか? その歴史を紐解きながらリアルな使い勝手を考えてみた。
変わらぬ味、変わった値段
平日の午後2時過ぎのアンナミラーズ南青山店、窓際の席でコーヒーのおかわりを受け取る客の多くは、明らかに40代以上だ。入店した際の客入りは半分ほどだったが、退店時にはカウンターも含めて8割ほどの席が埋まっている。客の過半数は女性で、テイクアウトする客の姿も少なくない印象だ。
今年2月、3年半ぶりに復活した南青山店は1階がベーカリー併設のテイクアウトコーナー(各種パイとチーズケーキ)、2階が約30席のイートインスペース。想像以上にコンパクトな内装だが、青山通りに面した窓が大きく、明るく落ち着いた雰囲気だ。
筆者がアンミラを利用したのは約10年ぶり2回目。ドラマ『ツイン・ピークス』の主人公の好物を味わうつもりで、初めて来たときと同じチェリーパイ(880円)とホットコーヒー(770円)を注文した。
有名な足つきマグカップで提供されたコーヒーは「おかわりサービス」付きだ。コーヒーが少なくなってくると、テーブルを巡っている女性スタッフが声をかけてくれる。練り生地のパイはサクサク食感で、生地から溢れ出した大粒のチェリーは、しっかりとした酸味が効いている。
名物なだけあって確かにおいしい。だが880円というチェリーパイや往年の看板メニュー「パストラミルーベン」(1870円)といった価格設定は、なかなかの贅沢品にも感じる。
最近はフルーツタルトなどの価格が急騰している背景があるようだが、なぜアンミラは団塊ジュニアをはじめとする、ある特定の年代に強く支持され、愛されているのか。その歴史的な文脈を紐解いていきたい。
肉まんメーカーと手作りパイの異色の出会い
「ペンシルバニア・ダッチ」と呼ばれるアメリカ東部に暮らしたドイツ系移民の素朴で伝統的な家庭料理をルーツとするアンナミラーズは、カリフォルニア州で69年に産声をあげた。不動の看板メニューはこの当時からアメリカンパイだった。屋号は創立者の祖母の名に由来する。
日本では井村屋製菓(現・井村屋グループ)がライセンスを取得し、1973年6月に東京・青山で1号店が開店した。肉まんや和菓子で知られていた(同社のロングセラー商品「あずきバー」発売も1973年)三重県・津市の質実な食品メーカーと、アメリカ発の手作りパイが売りのカフェレストラン。そのとりあわせは当時から大きな意外性があったに違いない。
「1970年代はファミレスやファストフードなど、現在も全国で親しまれている有名チェーンが1号店を次々と開店し、日本の外食産業は勃興期を迎えていました。井村屋創業者で初代社長の井村二郎氏も粗利益率の高さや将来性に着目。レストラン事業に乗り出そうと考えていた折、商社を通じて米国のドーナツ会社との提携話が持ち込まれたそうです。
しかし、すでにドーナツは他社で成功の兆しがあるとし、米国視察中の井村二郎氏が断ったところ、エージェントが西海岸でチェーン展開していたアンミラを紹介したと言われています」(外食ジャーナリスト)
パイづくりや接客など本場のサービス手法を学ぶため、井村屋製菓の常務だった正勝氏(井村二郎氏の長男)、1号店の店長となる浅田剛夫氏らが渡米。出店場所は青山一丁目駅近くのポーラビル地階に決定し、内装や食器に至るまで米国流が徹底された。
そして、アメリカという異国を色濃く感じられるアンミラは性別を問わず当時の情報感度の高いヤング層の心を掴む。1974年オープンの赤坂店はテレビ局が近く、芸能人も多く来店したそうだ。
「食品製造業は衛生基準が高く、井村屋による店舗運営はオペレーションも効率的で清潔でした。情報感度の高いエリアへの出店戦略も、日本人に馴染みのない商品を売り出す上で効果的に働いたのでしょう。また、4店舗目の自由が丘店を1977年に出店した頃には、1ヵ所で作った料理を各店舗に配送して提供するセントラルキッチン方式を採用し、日本の実情に合わせた店づくりも奏功しました」(前同)
日本上陸時、すでに米国には7店舗が存在していたアンミラは、1980年代半ばには本国の倍近い店舗数を日本国内で展開。井村屋の高収益部門へと成長を遂げた。
直輸入の制服で培われていったブランド力
アンミラをアンミラたらしめているのは、言うまでもなく、白いブラウスにカラフルなエプロンとミニスカートを組み合わせた女性スタッフの制服だ。2022年、井村屋グループ会長だった浅田氏は週刊誌で、制服は日本人の体形に合わせてブラウスを立ち襟にアレンジした以外、本国と同じデザインにしていると証言している。
その起源はディアンドルと呼ばれる、ドイツ南部をはじめアルプス周辺地域の農家の女性が着用した民族衣装だ。胴衣(ボディス)の襟ぐりの深さと、バストの膨らみやウエストのくびれを強調するつくりは、歴とした伝統的仕様である。1999年にはピンクとオレンジに加え、ワインレッドの制服が高輪店で登場した。
小物などのマイナーチェンジはあったが、開業以来ほぼ一貫したデザインが採用され続けてきたこの制服は、リクルーティングとブランディングの両面で絶大な威力を発揮してきた。
田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(1980年)にも登場したが、当時すでにアンミラの知名度は全国区だった。ドラマ『理想の結婚』(1997年)では、主演の常盤貴子がアンミラモチーフの衣装を着用して話題になった。壇蜜は有名な話だが、若き日のバイト経験を語る著名人も少なくない。
アンミラは働く人にとっても思い出深いブランドであり、「団塊ジュニア」「東京出身」といった属性を持つ女性にとって、そのバイト経験は現在も郷愁混じりに語られる自慢のタネになることもある。
「アンミラはスタッフ同士、ハート型のネームタグに書かれた下の名前でお互い呼び合うんですよね。もともとアンミラで働く20歳前後の女子学生は、健康的で溌剌とした雰囲気の子が多かったそうすが、私が働いていた頃は、アキバ系の空気感がすでにわりと強かった印象です」(2000年代に某店舗でバイトしていた女性編集者)
2000年代前半、隆盛期を迎えていたメイド喫茶では、アンミラを範としたと思われる制服を採用する店も続出した。「萌え」が流行語になる30年も前から、限りなく「萌え」に近い感情をかき立ててきたコスチュームとして、界隈で特別な地位を占めていく。
その保守本流は「馬車道」のハイカラ女学生スタイルでも「フーターズ」のチアリーダースタイルでもない。「ヘックスサイン」と呼ばれるペンシルバニア・ダッチ特有の装飾やシャンデリアと一緒に直輸入された、アンミラのディアンドルスタイルだったのだ。
情緒的な付加価値
2000年代にファミレス業界で低価格チェーンが台頭すると、アンミラは価格の割高感が強まり、店舗数は徐々に減少。約50年の歴史で計26店舗が展開されたが、2012年には国内1店舗体制となった。
唯一残っていた高輪店は2013年の改装でパイの店内調理にシフト。店内で毎日焼き上げる約30種類のパイは1日500ピース近く売れるなど、好調を維持した。しかし、品川駅周辺の再開発に伴い、2022年8月に閉店。オンラインショップやポップアップでの販売が行われていたが、カフェレストラン業態の店舗復活がファンの間で待望されていた。
そうして復活した南青山店の希少価値は高い。省人化とセルフサービスが当たり前の時代に、逆行するようなテーブルサービス。店内では、かつてアンミラで働いていた世代らしき女性スタッフの姿も散見された。再オープンにあたっては、高輪店で2027年間勤めたホールスタッフが若い新人スタッフの指導にあたったとも聞く。
かつてのアンミラや現在の大手ファミレスチェーンなどと比べるとメニュー数は少ない。コンセプトを洗練させて余計なものを削ぎ落としたとも映るし、50年前より来店者の食が細くなったようにも見受けられる。
いずれにしても平日の昼間に青山を散策しているような団塊ジュニア世代にとって、アンミラは格好のノスタルジー消費の舞台だ。そもそものネーミングやルーツを踏まえると、アンミラの本質は米国での創業時から懐古的な体験や記憶を刺激するスタイルにあったのかとも思えてくる。
アンミラの全盛期を知らない世代にとっても、アメリカンパイを頬張り、おかわりコーヒーを待つ時間と空間は、巷のコーヒーチェーンでは体験できない新鮮な贅沢かもしれない。
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