阿部慎之助監督「逮捕」を“大ごと”にした犯人はだれか? 弁護士が斬る「児相」「警察」そして「マスコミ」の問題
「家庭の喧嘩が逮捕に!?」「生成AIが奪った仕事:野球監督」などと、阿部慎之助氏の逮捕から始まった出来事は、世間およびインターネット上を騒がした。
「そもそも、有名人だから逮捕されたのではないか」「児相の対応は適切だったのか」「AIに相談するという今時の世代の行為はどうなのか」「マスメディアの報道に問題はなかったか」など、様々な論点にも波及している。
本件について、AIに尋ねても正確な答えは返ってこないだろう。現状では、正確な答えは返ってこないのである。こういう時には、結局のところ、AIが学習する対象である、「詳しい人」のコメントが役に立つ。
私も、弁護士として一応は実際にこのような場面に複数回立ち会ったことがある人間なので、詳しい方だと思う。そこで本記事では、私の知っていることや感じていることが参考になればという思いから、児相や警察の問題、そして報道の問題についてコメントを行おう。(弁護士:杉山大介)
「家庭の問題」でも逮捕はままある刑事弁護に関わるものとして、まず真っ先に訂正しておきたいと思ったのが、「家庭の問題に警察は普段介入しない」「逮捕なんて異常だ」という言説である。
「家庭内で暴力が関係するやり取りがあった」と通報があり、現場に警察が駆け付けた場合には、逮捕が行われることは度々ある。目的は、当事者を引き離すためだ。
何せ、加害者と被害者とが同じ屋根の下にいるのである。接触可能性は常に発生する。そして、刑事訴訟法上、逮捕が行われる目的のひとつは「罪証隠滅の可能性を防ぐため」だが、その可能性の中には「証人への口封じ」なども含まれる。つまり、加害者と被害者の接触可能性は、逮捕をすべき理由としてはど真ん中の要素だ。
その、ど真ん中の要素がめちゃくちゃ満たされるのであるから、家庭内でもめた場合、刑事訴訟法上も、逮捕は認められる方が通常である。
しかも、当事者が求めていない場合にも、逮捕されることは多い。実際、私がこれまで経験してきた中でも、警察に通報したDVなどの被害者であるところの人から相談を受け、「夫や妻を助けてもらいたい」とお願いされたことが何度もある。「その場の勢いで通報してしまったが、落ち着かせてほしかっただけで逮捕まで求めていたわけではない」というのだ。
こういう場合、弁護士としては、一応は刑事事件上の被害者からお金をもらって、加害者の弁護をすると利益が一致しなくなるリスクがあるため、逮捕されてしまった人の家族(父母、きょうだいなど)に依頼してもらい、ただ釈放に向けた活動では、通報した人にも協力してもらって内容を整理することにしている。
内容の整理というのも、要するに「もめた当事者同士が接触しないよう、一時的に別居状態を確保した生活プランを提示する」といった形である。こうやって、当面もめない状態を作れば、釈放が得られるというのが普段の実感だ。
「困ったらおまわりさん」という発想は多くの一般人の中に今でもあるのだろうが、警察は誰か個人のために仕事をしてあげる立場ではなく、治安を守るのが仕事である。とにかくまた犯罪が起きてしまいそうな危険を目の前で見つけたら、当事者の希望に反してでも、逮捕によって強制隔離したりするのも仕事だ。警察を「国営セコム」のように気軽に呼ぶ感覚には、注意が必要である。
児童相談所の対応は適切だったのか本件では、阿部氏の長女が直接警察に連絡したわけではない。長女は児童相談所、いわゆる「児相」に連絡をして、それから児相が警察に通報したという順序である。
児相の対応は、結論として言えば、拙速であったということになる。ただ、それを非難できるかには留保を要する。
まず、私たちは、阿部氏の長女がChatGPTの助言を受けたうえで、具体的にどのように児相に伝えたのかについてまでは、正確に把握していない。また、児相が児童福祉法などに基づき取り扱う「児童」とは18歳未満を指し、18歳の阿部氏の長女は当てはまらない。
原則として自分たちのテリトリーでない(もちろん18歳以上にも例外的な関与はありうる)、しかしまだ若年者ではある相手から緊急性の高そうな相談を受けた場合に、たとえば暴力を自ら阻止して制する権限を持たない児相が、そのような権限を持つ警察に情報を提供するのは、理があるとも言える。
なお、仮に相談者が18歳未満であったとしても、やはりその場の暴力を止める必要性がある場合などには、警察に相談せざるを得ないのは、仕方ないことだと思われる。
もちろん、本当は、丁寧に事実確認をして本当に強制的な介入が必要なのかを確認する方が、正しいのではあろう。本件ではそれまでの相談歴もなかったそうだから、本当に事件なのか考える余地もあったとは言える。
ただ、そのように慎重に対応した結果として、実際に事件が大きくなった時、メディアや世間がどのように反応してきたかは思い出してもらいたい。「児相は子どもを見捨てた」「仕事の放棄だ」とぼろくそに言ってきたではないか。
そのような世間の反応を受けて、児相が過敏になっている傾向は、私が過去に触れてきた事件でも感じることがあった。
たとえば、子どもが軽い気持ちから学校で述べた内容により児相への通報がなされ、児相は警察に通報して、その結果家族が逮捕される。しかし、結論としては子どもが述べたような事実はそもそも存在しておらず、ほぼ児相が「通報を受けて適切に対応した」という形式を残すためだけに、逮捕から勾留までの手続が行われたような事件もあった。
「世間からの批判を避けるべく、とりあえずより強力な機関に投げる」という対応が存在してしまっているようである。
子どもはささいな理由で嘘をつき、あるいは誇張した表現を行う。そして、大人が動き出してしまうと、なかなか撤回できなくなってしまう。子どもの被害の訴えというものには、そういう側面があるのも、事実である。
一方で、緊急時に一時的措置として、刑事事件として対応したり、逮捕したりすること自体は、大きな被害を防止するという観点から否定しがたいところもある。「本当に問題が起きているのか」を判断している間に、取り返しのつかない被害が起きてしまうこともあるはずだからだ。
一時的な措置を、大事にしたのはだれか結局のところ、「もしかしたら子どもが害されるのかもしれない」という場面において、一時的に前のめりで動くことには、一定の理があるのだろう。
今回も、逮捕ということにはなったが、「早期に釈放され、当事者間での誤解が解けた」という形で終われば、それでも逮捕はされたくないものだが、手続的に大きな問題にはならなかった。
このように「逮捕」とは一時的な不利益として、緊急性という前提の下で認められているものだが、それを恒久的な被害として固定化させてしまったのが、事件報道である。
警察が、逮捕情報をマスメディアに流し、マスメディアが、事実確認も十分でない中、固くない断片的な情報を世間に垂れ流す。これが、今回の問題を大きくして、事実に反するような風評被害も生んだ根源である。
一時的に引き離すための措置として行っているのであるから、その後、事実確認を経るまで世間に情報を流すべきではなかったのではないか。家庭の問題であるからこそ、慎重であるべきではなかったのではないか。このような考慮が、現状の警察によるメディアへの情報提供と、メディア側の報道において、十分になされているとは言えない。
基本的に、彼らの基準はシンプルだ。警察は「逮捕するほどの事案なら重要なはず」とメディアに共有するし、メディア側も「逮捕されるような事案なら相応の疑いや根拠もあるはず」として、報道しても差し支えないものと考えている。
これまで記載してきたように、逮捕は刑事訴訟法においても、あるいはたとえば子ども等の保護における実態としても、あくまで短期の一時的な措置にすぎず、事実関係が固いわけでもない。
なお、これは多くの事件においても共通であり、逮捕はあくまで捜査中の途中段階での措置でしかなく、固い事実がなくとも、疑いだけで踏み込めるものである。その逮捕を、メディアに情報提供し、受け取ったメディアも大々的に報道するのが当たり前になっている。
著名人だと、より詳細なあることないことがリークされ、リークしている側は匿名のヴェールに守られたまま、責任を負うこともない。広末涼子氏の時の報道などは、あきれ果てるほどに興味本位と憶測のオンパレードであった。
もし、少し前のめりにでも世論形成が必要であり正当化される場面があるとすれば、捜査手続に影響を与えられるだけの社会的な力を持った当事者であったり、証拠隠滅の疑いがあるのにそれを防ぐための手続である逮捕や勾留に捜査機関が踏み込まないような事案においてくらいであろう。
確かにそういう事件では、早期に世論の後押しなどを得ないと、事件自体がもみ消されるリスクもある。ただ、本件においては、そのような事情はなかったと自分は考える。
AIという新たな宗教について最後に、本件において長女がAIに相談をゆだねた点を問題視する意見について、私のコメントを添えておこうと思う。
端的に申し上げれば、私のような専門家も、AI信仰にはうんざりしている。
誤解がないように申し上げると、私はAIを用いない、デジタル拒否人間ではない。ただ、AIはあくまでツールに過ぎないという点への理解不足に憂慮する気持ちがある。
AIは、高速で多数の情報を整理する能力に優れている。そのため、一定の情報を整理する、たとえば過去のフォーマットに従った文書を作成する時や、長い文章について高速でチェックをかける時などに活用すると、人が行うよりも素早く正確に行えることが多い。
ただ、AIはあくまで情報を整理しているだけで、正しい判断をするものではないということである。昨今、問題となるAIの使い方をする人たちは、判断や思考自体をAIにゆだねて、まるで自身を導く神か占い師かのように使ってしまうところがある。
AIを人間に置き換えて考えてみてもらいたい。素人の人間が、法律に詳しいと称する部下がたくさんいて指示を出すことにより、正しい法律的な答えを導けるか? 答えは、正しい答えに至ることもあるし、間違っている時には気が付かないだろう。そして、その間違いはおおむね、与える情報や指示の誤り・不足に起因する。
今回も、そもそも18歳の阿部氏の長女に、児童相談所への相談を勧めている時点で誤りが生じている。相談の際に入力した情報に、自身に関する正確な前提情報などが不足していたのだと推測できる。
このように、AIにおける判断や示唆の正しさを評価するには、前提情報の確認が必須である。
たとえば法律問題について、AIの答えが正しいか質問を受けても、明らかな間違いは即答できるが、多くの事項については、そもそもどんな前提事実をもとにしているのか私に教えてもらわないと、私にもわからない。前提情報を正確に提供していないなら、論外だ。
AIでも弁護士でも、正しい答えは導けない(ただし、弁護士は、答えがわかっているかのようなフリはしないだろうが)。そして「前提情報を聞きなおすくらいだったら、AIに質問する内容をそのまま聞いてもらった方が早かったのに」と思う。むしろ、AIがなぜ間違っているかまで説明しなければならないから、手間は増える。
人は、過去には神託や占い、そして弁護士のような専門家に頼ってきた。誰か、何かに頼らざるを得ないのはわかる。ただ、頼った先が正しいかは、AI含めてそれぞれ正しく機能する前提などが必要であり、いくつも聞けば正しくなるわけでもない。
結局、自身で判断できないなら、誰かどれかを選んで頼るしかなく、頼る先の特性や正しく機能する前提条件などを理解しておくのが重要である。
