だからSBI証券は"地味すぎる戦略"で一人勝ちできた…キラキラ系横文字を使いたがるマーケターの盲点

■マーケティングは“万人必須のスキル”になった
マスマーケティングの時代にあっては、大学や大学院でマーケティングを学んでも活かすことができる職場はB2Cの大手企業、それも宣伝部や商品企画部や販促企画部といったマーケティング関連部門、あるいは広告代理店に限られていた。主な施策がテレビCMである以上、テレビCMを打たない中堅企業やB2B企業には縁がなかったのである。
ところが現在、B2B企業も営業一本槍からマーケティング→インサイドセールス→フィールドセールス→カスタマーサクセスという体制に変わり、どんな小さな企業もAmazonを使えば日本中いや世界中に商品を売ることができるようになり、グーグルなどのリスティング広告を行うようになった。個人ですらSNSのフォロワー数を増やすためにマーケティングを行うようになり、マーケティングは万人必須のスキルとなったのである。
マーケティングとは、提供したいものを提供するのではなく相手に求められるものを提供すること、と考えると非常に単純だが、その割には世界的な教科書『マーケティングマネジメント』(コトラー、ケラー、チェルネフ)は何と842ページ(16版邦訳)と分厚く、時代が下ると次々と新しい本が現れ、新しい論者・新しいコンセプトが登場し、一世を風靡する。なにゆえそうなるのであろうか。
■横文字が多すぎる
一言で言えば、マーケティングは極めて多次元・多要素の活動であり、その次元や要素は時代が下るにつれどんどん増え、組み合わせは増える一方であるということだ。技術進歩が新しい媒体や販路を生み、新しい概念が必要になる。また、モノにより場合により様々なバリエーションがある中で、抽象化・単純化することが必要だが、そのやり方は無限にある。
しかも、最近の市場や企業活動の変化は一段と激しさを増しており、マーケティング用語は次々と現れては消費されていく。ちなみに以下のワードの意味をご存じだろうか。
何となく分かる、聞いたことはあるが正確な概念は理解していない、という用語が多かったのではないか。
実は、これらは筆者が今生み出したデタラメなマーケティング用語であって、どれひとつとして存在しない概念である。にもかかわらず、何となく分かった気がした、あるいは、これらのワードを使って顧客を煙に巻くマーケターが想像できてしまった――まさにこの点にマーケティング業界の問題があるのだ。横文字が多すぎである。
さらに、昔から言われていたことと概ね同じことを違うキーワードや語り口で語り、そのバズワードがヒットすると新たな流行が生まれるわけだが、マーケティング論者はその流行で本が売れさえすればそれでよいという問題がある。
■“新しいワード”が一層わかりにくくしている
その結果、どこが真に新しく、どこが単に新しい衣を纏っているだけなのかを判断するのは難しい。例えば、クレイトン・クリステンセンの「ジョブ理論」は一世を風靡したが、従来言われていたことをこれまでと異なる魅力的な語り口で語っているだけのようにも見えるが、いかがだろうか。
さらにことをややこしくしているのは、コンサルティング会社や情報システムベンダーが新しいバズワードを流行させ、経営者に「ブームに乗り遅れるな」とばかりにサービスや新しい情報システムを売ることだ。このバズワードがマーケティングを一層分かりにくくしている。DX(デジタルトランスフォーメーション)というキーワードにより、どれだけのコンサルティングプロジェクト、情報システムプロジェクトが世の中に発生したことだろうか。
マーケティング分野に初めて触れる人はあまりのカタカナの多さにまず圧倒され、しばらく学ぶと似たような概念が別のカタカナ言葉で語られていることに混乱し、しかし周りの人もいい加減に使っているのが分かって安心し、自分もカタカナで語るようになる。
試しに「インサイトってニーズとどう違うんですか?」あるいは「ニーズとウォンツはどう違うんですか?」あるいは「エンゲージメントって何ですか?」といろんな人に聞いてみよう。いろんな説明が返ってきて混乱すること必至である。
■「地図」と「コンパス」が必要だ
まず、カタカナだらけというのは輸入学問の常で、これは情けないが仕方ない。しかし、似たような概念が違うカタカナの言葉で語られる、あるいは人により同じ言葉が微妙に違う概念で使われるという混乱の背後には、「新しい言葉を流行らせた者勝ち」という供給側の思惑と「新しいキーワードを知らないと恥ずかしい、相手より知っていたら勝ち」というユーザー側の深層心理が裏に潜んでいる。
さらにそういう情けない現象が起こる構造的な要因も存在する。マーケティング界隈は変化が早いこと、論者により概念化の仕方が異なること、反証可能性がないため言った者勝ちであることである。またマーケティングの範疇に入れるべき隣接領域も増えており、それも混乱に拍車をかけている。
マーケティングを学び始め、たくさん読んだり習ったりして、はじめはそれぞれがどう位置づけられるのか分からず、フワッとした理解で整理がつかぬまま、それでも使っているうちにソレっぽく喋れてしまう……この道はおすすめしない。それはこれまで既にたくさん学んだ人も同様である。最新の現象やフレームワークのキャッチアップも必要だが、それがどう位置づけられるのかを知ることが大事である。そのためにも「地図」と「コンパス」が必要だと声を大にして言いたい。

■常識をいったん捨ててほしい
マーケティングの実務家は具体的な成功や失敗を身をもって体験することで、単に本で学んだ人よりも深く身体知的にマーケティングを学んでいることは間違いない。しかしその体験から学んだ知識は限られた商品や特定の局面では有効でも、どの程度普遍性を持っているかは知りようがない。その経験が全体の中のどのあたりに位置し、どれくらい普遍的であるかを知ったほうがよい。とりわけ常識として習ったことをアンラーン(編集部注:これまでに身についた知識などの思考をリセットして、学び直すこと)し、自分の思考力で再構築してもらいたい。
ゆえに、あえて「常識を一旦捨てて」みてほしい。マーケターならば、低価格策は売上をとるための必要悪であって「下策」であると身体で理解している。曰く「差別化が最重要」「価格でとったシェアは価格では維持できない」。あえて低価格策を行うのは、ペネトレーションプライシング(浸透価格)すなわち先にシェアをとる戦略である時のみ正当化される――これがマーケティングの「常識」である。
2000年代初頭に、カブドットコム証券(当時)やマネックス証券やSBI証券(当時)といったオンライン証券会社が次々と誕生し台頭した時代のことである。多くのネット証券は異業種からマーケターを雇い、様々な口座開設キャンペーンや情報・ツール・多様なサービスの提供で「差別化」を試みた。その中で唯一、SBI証券だけは「取引手数料が最も安い」一本槍であった。マーケティング部隊も他社に比べて決してレベルは高くなかった。

■SBI証券は「取引手数料を最も安くして」勝利した
結果はSBI証券は億単位の資金で回転売買を行う層、すなわち一番「美味しい」層を獲得し、他社はサラリーマンの小遣いで少額の投資をする層を獲得した。口座を開設しただけで1万円のキャッシュバックが貰えるのは100万円しか投資しない層には魅力だが、億単位の資金で回転売買をする層にとっては大した魅力ではない。それよりも0.01%でも取引手数料が安いほうが魅力なのである。
その時に獲得した多くの顧客は当時の王者野村證券の上客のセカンドアカウントで、ベースの投資は野村のままでも回転売買はSBI証券で行ったのだ。そのうちその層の資産は徐々にSBIにシフトし、その結果オンライン証券では2005年以降ナンバーワンの座を維持しながら伸び続け、何と2020年12月末には預かり資産でオンライン証券のナンバーワンになった。まさに「常識にとらわれない」低価格マーケティング戦略の勝利である。
蛇足ながら解説を試みると、他のネット証券は自動車、化粧品、トイレタリー、食品業界等の優れたマーケターを採用したが、彼らには証券の顧客の上客と一般客の圧倒的な差を踏まえた戦略は考えられなかったのである。「低価格策=下策」という「常識」を一旦捨てることは重要だったのだ。
■これまでのマーケターの責務は“最適化”だった
長らく、マーケティングに必要な創造性といえば話題になる宣伝を生み出すような創造性であって、画期的な新商品や新ビジネスモデルを生むような創造性ではなかった。それよりもマーケティングリサーチをきちんと行い、市場リスクを最小化することがマーケターの仕事であった。
また、ブランドイメージがバラけないように、商品そのもの、テレビCM、パッケージ、売り場の販促等のタッチポイントで与えるメッセージを首尾一貫させることや、巨大キャンペーンを生産・テレビCM・配荷・店頭販促をシンクロさせて行うこと、一旦確立したブランドのブランドエクステンションを上手に行うこともマーケターの重要な仕事であった。
総じて、市場リスクをミニマイズし、リソースを無駄なく活かすための最適化がマーケターの責務だったと言える。ブランドマネジャー制度の設計思想は、その複雑かつダイナミックな最適化を、全体を見渡すブランドマネジャーに権限を集中させ、売上と利益の責任を持たせデータで管理することで実現するというものであった。どうりでP&Gマフィアと呼ばれるマーケターが鍛えられているわけである。
■データからの最適化はAIの得意分野
ところで、AIのほうが人間より得意なことは最適化である。マーケティングにまつわるあらゆる活動がデータとしてとれるようになれば、それらの膨大なデータに基づき最適化するのは原理的にAIのほうが人間より得意である。AIならば夜中でも自動的に数字に反応して常時自動決定するようになる。

これがデータドリブンマーケティング(編集部注:さまざまなデータに基づいてお客にアプローチすること)の究極の姿である。部署間の折衝や説得は人間にしかできないかもしれないが、はじめから最適解が計算されるならば部署間の折衝自体が激減するだろう。また、これらのテクノロジーは他社も導入できるのでどの会社も同じような最適化を行うことになる。
そうなると必然的に勝負は最適化の巧拙ではなく、これまでになかった商品・戦略・ビジネスモデルを生み出す創造性に移行せざるを得ない。近年デザイン思考が注目されてきたのは、創造性が求められる時代に、デザイナーという創造性で勝負する人たちの方法論をビジネスの分野へ応用するためであった。
デザイン思考を簡単に言うと、ユーザー中心のアプローチをとり、共感、定義、発想、プロトタイピング、テストのステップをとった問題解決のプロセスであり、新しいものを生み出す方法論である。
■人間は「新しいものを生み出す活動」が主になる

デザイン思考では、創造性とアブダクションの両方が重要な役割を果たす。創造性とは新しいアイデアや解決策を生み出す能力であり、既存の枠組みから逸脱し、革新的な考えを生み出すことが含まれる。アブダクションとは既知の事実から最も可能性の高い説明を導き出す推論プロセスであり、不確実性の中で新たな仮説を生み出すのに役立つ。また、シミュレーション的思考、すなわち可能性空間(space of possibilities)を想像する力も将来を見通す際には必要である。
要するに、AIがマーケティング活動の多くを占めていた市場リスクの軽減や様々な最適化の部分を引き受けることになり、人間のマーケティングは新しいものを生み出す活動にシフトすることになる。その時、必要なのは創造性とアブダクション、シミュレーション思考なのだ。
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鳥山 正博(とりやま・まさひろ)
経営学者、コンサルタント
1960年東京都生まれ。1983年国際基督教大学卒、ノースウェスタン大学ケロッグ校にてMBA取得(1988)、工学博士(東工大、2009)。1983〜2011年、NRIにて経営コンサルティングに従事。著書に『ブラックマーケティング』(中野信子と共著)、監修に『コトラーのH2Hマーケティング』(フィリップ・コトラー、ヴァルデマール・ファルチ、ウーヴェ・シュポンホルツ著、大坂裕子、石丸由紀訳、以上KADOKAWA)等がある。
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(経営学者、コンサルタント 鳥山 正博)
