写真提供:マイナビニュース

写真拡大

●「再使用ロケット」構想は古くから存在した
宇宙に向けて打ち上げられたロケットが、役目を終えた後にまっすぐ地上に帰ってくる。そんなSFでしか見られなかった光景が、ついに昨年、現実のものになった。

米国の宇宙開発企業「ブルー・オリジン」は2015年11月23日に、「ニュー・シェパード」という小型のロケットを打ち上げ、まっすぐ上昇して高度約100kmに達した後、そのまままっすぐ降下し、着陸した。続いて12月21日には、米国の宇宙開発企業「スペースX」が、人工衛星を打ち上げた「ファルコン9」ロケットの第1段機体を、発射台にほど近い陸上に垂直着陸させることに成功した。

さらにこうした流れに呼応するように、他の国や企業でもロケットを何度も繰り返し打ち上げようとする動きが始まりつつある。

まるで飛行機のように、一度打ち上げたロケットを着陸させ、再び飛ばすことができる「再使用ロケット」のアイディアは、打ち上げコストを大きく引き下げ、宇宙を身近な場所にする手段として、古くから考えられていた。一度は限定的ながら実現したものの挫折し、姿を消したが、近年になり再び熱を帯び始めている。

今回は再使用ロケットの歴史と現状および将来について、そして本当にロケットの打ち上げコストは下がり、宇宙が身近な場所になるのかについて見ていきたい。

○再使用ロケットとは何か

現在、世界中で運用されている人工衛星を打ち上げるためのロケットはすべて、タンクやエンジンなど機体のすべてを海や陸、宇宙空間に捨てる「使い捨て型」という形式をとっている。

人工衛星を打ち上げるためには莫大なエネルギーが必要なため、使い終わったタンクやエンジンを次々に捨てて飛んで行かなければ、ロケットとしての設計が成立しづらい、つまり飛べないロケットになってしまうためである。

しかし、機体を毎回捨てるということは、ロケットを打ち上げるたびに新しい機体を造らなければならないということになる。その結果、宇宙に行くには膨大なエネルギーと同時に、莫大なお金も必要になるというのが現在の常識となっている。

そこで、性能に多少無駄が出ることは承知の上で、宇宙に打ち上げたロケットを何らかの形で地上へ回収し、点検や整備、推進剤の再補給などを行った後に再び飛ばせるロケットが造れれば、宇宙に行くために必要なお金はぐっと安くなるのではないか。そんな飛行機のように何度も飛ばせるロケット、「再使用ロケット」の発想が出てくるのは、ある意味では自然なことだった。

再使用ロケットの構想は古くからあり、近未来を描いたSF小説や映画では定番のように出てきた。たとえば『サンダーバード』では、宇宙ステーション「サンダーバード5号」との往復につかうロケットとして「サンダーバード3号」が出てくるし、映画『2001年宇宙の旅』では、パンアメリカン航空が運用しているという設定のスペースプレーン「オライオンIII」が登場し、「美しく青きドナウ」の音楽に乗せて、宇宙を優雅に飛び、宇宙ステーションに到着する様が描かれている。

しかし、使い捨てロケットを造るので技術的に精一杯だったこともあり、なかなか実現には至らなかった。1970年代に入ると、高性能なロケット・エンジンを造る技術や、軽くて丈夫な材料ができたこともあり、主に米国とソヴィエト連邦で研究が本格化した。

○再使用ロケットへの希望: スペース・シャトル

その成果のひとつが、かの有名な「スペース・シャトル」である。シャトルはさまざまな検討が重ねられた後、「オービター」と呼ばれる人が乗る宇宙船部分と、人工衛星が載る貨物区画を兼ねた機体と、そこに装着されたロケット・エンジン、そしてロケット・ブースターを再使用し、唯一オービターのエンジンで使う推進剤を満載した外部タンクだけは使い捨てる、という形式が選ばれた。シャトルが開発された当時は、ロケット・エンジンと、コンピューターなどの精密な電子機器が特に高価だったため、これらを使いまわすことができれば、飛行機ほどではないにしても、運用コストを安くできるのではと見積もられたのだった。

ところが大きな誤算があった。ひとつは、エンジンを再使用するというアイディア自体は間違いではなかったものの、エンジンを再使用するために必要な点検や整備に莫大なコストがかかってしまったこと。もうひとつは、電子機器が徐々に安くなり、再使用する意味が薄れていったことだった。

また、そもそもシャトルは人が乗らないと飛ばせないため、人がいらない人工衛星の打ち上げであっても、わざわざ人を乗せる必要があった。当初は機体を再使用することによって、その短所が霞んでしまうほどの低コスト化と多くの打ち上げ需要が待っていると期待されていたが、結局は「無人の衛星は、素直に無人のロケットで打ち上げたほうが安い」という結果になってしまった。

もちろんシャトルがなければ、巨大な「国際宇宙ステーション」の建造はできなかっただろうし、「ハッブル宇宙望遠鏡」の修理もできなかっただろう。しかし、それはシャトルのもつ強大な打ち上げ能力があればこその話であり、再使用そのものとはあまり関係がない。当初ほどの低コストが達成できなかった以上、再使用ロケットとしてのスペース・シャトルは失敗であった。

ただ、スペース・シャトルの存在は、さらに次の段階の再使用ロケットへの挑戦の発端となった。

●『2001年宇宙の旅』はほど遠く…
○再使用ロケットの蹉跌: DC-XとX-33

1983年、米国のロナルド・レイガン大統領は、ソヴィエトからの核攻撃に対して、人工衛星からミサイルやレーザーを発射して核ミサイルを迎撃するなどといった大胆な計画を盛り込んだ「戦略防衛構想」(SDI)を発表した。

SDIを実現するには、衛星軌道にミサイル迎撃衛星を安価かつ大量に、そして必要とあらば早急に打ち上げられるロケットが必要であり、そのためには機体を繰り返し再使用できるロケットが必要とされた。スペース・シャトルの存在は、そんなロケットが実現できそうだという期待を抱かせるのに十分だった。

そこで国防総省は米国内の企業に開発を呼びかけ、1991年8月、それに応えた数社の中からマクドネル・ダグラスの案「デルタ・クリッパー」が採用され、開発が始まった。

同社はまずデルタ・クリッパーの3分の1ほどの大きさの試験機「DC-X」を開発。1993年8月18日、米国ニュー・メキシコ州にあるホワイトサンズ・ミサイル実験場で打ち上げが行われ、垂直に上昇した後、空中で横に移動を始め、その後徐々に降下し、やがて地上に舞い戻った。到達高度はわずか50m、飛行時間もわずかに59秒間という短いものであったが、そのロケットは宇宙輸送の革命に向けた確かな第一歩を記したのである。

その後も開発や試験が繰り返され、また国防総省が興味を失ってからは米航空宇宙局(NASA)に移管されて開発が続けられた。1996年には、26時間の間隔を置いて2回の飛行を実施し、その2回目の飛行では高度3140mにまで到達している。しかし、7月31日の飛行試験において着陸に失敗し、機体は爆発。このとき計画は資金不足に陥っており、機体を修復することもできず、計画は終わりを迎えた。

またNASAでは、デルタ・クリッパーとは別に、1996年からスペース・シャトルの後継機となる「ヴェンチャースター」の開発を始めていた。ヴェンチャースターは高い性能を出せる新型ロケット・エンジンと、複合材料を使った軽くて丈夫な推進剤タンクなど、数多くの新技術が投入される計画だった。

開発を担ったのはロッキード・マーティンの、先進的な試作機などを得意とする部門「スカンク・ワークス」で、まずヴェンチャースターを小さくした試験機「X-33」の開発から始めた。しかし複合材料の推進剤タンクの開発に難航するなど、技術的な問題と予算超過が原因で、2001年3月に開発は中止となっている。

この他、米国の「NASP」や英国の「HOTOL」といった、ジェット・エンジンとロケット・エンジンを切り替えられるエンジンをもつスペースプレーンや、垂直に打ち上げられ、帰還時には内蔵したローターを広げてヘリコプターのように着陸する「ロトン」など、さまざまな再使用ロケットの研究、開発が行われたが、どれも実現しないまま終わりを迎えた。

映画『2001年宇宙の旅』では、オライオンIIIに乗ったフロイド博士が、宇宙ステーションを経由して月に行き、さらにボーマン博士らとHAL9000が乗った探査船「ディスカヴァリー」は木星へと向かう。しかし現実の2001年の世界では、ディスカヴァリーはおろか、劇中では序盤の脇役に過ぎないオライオンIIIですら造れないでいた。

このころに開発された新しいロケットは、その多くが再使用を考えず、大量生産することで低いコストと高い信頼性を確保することを狙ったロケットばかりだった。もちろんパンアメリカン航空のスペースプレーンなど影も形もなかった。さらに付け加えるなら、当時世界で最も安く、さらに信頼性も高いロケットは、ロシアが半世紀前に開発した「R-7」、いわゆるサユース・ロケットだったのである。

【参考】
・DC-X - Home
 
・Mystery - NASP X-30
 
・HOTOL
 
・Roton
 
・松浦晋也. スペースシャトルの落日 〜失われた24年間の真実〜. エクスナレッジ, 2005, 239p.

(鳥嶋真也)