『土漠の花』月村了衛/幻冬舎

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第12回本屋大賞候補作全作レビュー1はコチラ

『鹿の王』上橋菜穂子(角川書店)
本屋大賞はこれが初ノミネート。上橋菜穂子は昨年、国際アンデルセン賞を受賞した。児童文学界の最高峰といってもいい賞で、これまでの日本人受賞は作家賞でまど・みちお、画家賞で赤羽末吉、安野光雅の3名だけである。2015年3月には『鹿の王』が、日本医師会が優れた医療小説に対して贈る日本医療小説大賞を獲得することも決まった。
思えば既刊の『獣の奏者』も、獣医術の家に生まれた物語だった。『鹿の王』は正面切って人間の生命の不思議や病の問題に取り組んだ小説で、架空世界を舞台にはしているが医療小説と呼ばれるにふさわしい内容になっている。中心にあるのは黒狼熱と呼ばれる病で、群れを作って山中を徘徊している黒い犬に噛まれると発病してしまうのである。潜伏期間は短く、そして発症すればほぼ間違いなく死に至る。
小説は複数の視点を用いた群像劇として進んでいく。強大な侵略国家・東乎瑠(ツォル)が版図を広げつつある時代、辺境の地・トガ出身のヴァンは、帝国の塩鉱で奴隷として使役されていた。ある日、鉱山は黒犬の群れに襲撃され、ほとんどの者が死んでしまう。しかし、犬に噛まれたはずのヴァンと、ユナという幼児はなぜか生き残っていた。逃亡生活に入る2人の前途は多難である。天才的な医術師であるホッサルは、死病に罹患しながら生還した人間がいることに興味を持ち、配下にヴァンたちを追わせ始めていた。
伝染病にいかに対抗すべきか、という課題を掘り下げると、人間の生命はいかに自然界につながっているかという存在の問いが現われる。それが東乎瑠による他民族支配の問題にも絡んでくるのである(これは言うまでもなく南北問題の隠喩になっている)。一方で、自分の属する集団、大きく言えば人類のために個人は何ができるか、という別の問いがあり、『鹿の王』という題名がそれを端的に指すものだということが判明するのは物語がかなり進行した段階だ。医学の考え方を手がかりにして大きな主題につながっていく物語として知的好奇心もくすぐられる。登場人物も好漢ばかりであり、明るい読後感も嬉しい。

『土漠の花』月村了衛(幻冬舎)
日本の冒険小説界はここ数年新人不足の状態が続いてきた。その閉塞感を打破する期待の星が月村了衛である。すでに代表作〈機龍警察〉シリーズで日本SF大賞、吉川英治文学新人賞などを獲得しているが、2015年に入って『コルトM1851残月』で大藪春彦賞を受賞、『土漠の花』が日本推理作家協会賞にノミネートされるなど風が吹いている観がある。
『土漠の花』は原点に立ち返り、不要なものを可能な限り削ぎ落とした純粋な冒険小説だ。危機に陥ったヒーローが弱い者を守りながら闘う、という筋立ての他には何もない。
陸上自衛隊第1空挺団に属する友永芳彦曹長は、ソマリアでの海賊対処行動のためジブチに設けられた活動拠点に赴任している。ある日そこに、墜落したヘリコプターの捜索救助要請が入った。友永を含む12名の捜索救助隊が現地に派遣される。そこで彼らが遭遇したのは、武装勢力に追われる3人の女性だった。ソマリアには無数の小氏族が存在する。そのうちのワーズデーン氏族がビヨマール・カダン氏族の街を襲撃し、無差別虐殺を行ったのだという。やがて殺到してきたワーズデーン氏族の部隊は、有無を言わせずに銃弾を放ってきた。瞬時に2人が斃れ、1人が斬首された。部隊を率いる吉松3射もあっけなく射殺される。ついに隊員たちは追いつめられ、整列して射殺されるのを待つばかりになる。
ここからの起死回生の脱出劇、そして敵勢力の手の届かない場所への逃亡の過程が前半ではまず描かれる。武装勢力だけではなく過酷な気候や自然の脅威までが敵として主人公たちの前途に立ちふさがるのは定石通り。自衛官たちはそれぞれが屈託を抱えており、戦闘の中でその原因が明かされていく。過去への遡及は必要最小限に抑えられており、あくまでスピーディに戦闘と逃避行を描こうとしているのが冒険小説としてはとても正しい。
登場人物が類型的である、などの批判が出るのは承知の上で、作者はこれを活劇小説として書いたのだろう。砂嵐の街における戦闘場面など、月村のアクション描写は正確無比で安心して読める。あまり冒険小説を読んだことがない方にも安心してお薦めできる作品だ。

『ハケンアニメ!』辻村深月(マガジンハウス)
意外なことに辻村深月は、今回が2回目のノミネートである。最初に候補になったのは前回で『島はぼくらと』が選ばれた。私見では過去の辻村には、スクールカーストや地方出身者ならではの不自由な思いといった、日本の若い女性が体験しているであろう負の要素を背景に書き入れ、そこからの反撃を描く作家という印象があったように思う。強いのはミステリー的なプロットを自家薬籠中のものとしていた点で、その武器があるからこそ読者の感情を自由に操作して登場人物に感情移入させることができた。『島はぼくらと』は、初めて辻村がそうした負の側面をバネとして使わなかった作品だ。以前よりも単純だが強靭な、広い層の読者に届くような作品を書いていく時期にこの作家は入ったのだと思う。
『ハケンアニメ!』の「ハケン」は派遣ではなくて「覇権」だ。そのクールで頂点を極めることを指すのだという。タイトルが示すとおり、アニメ制作の現場を描いた「お仕事小説」である。主人公の有科香屋子は制作会社スタジオえっじのプロデューサーだ。彼女は27歳のとき、王子千晴監督の問題作『光のヨスガ』を観て心を奪われた(意識されているのは、幾原邦彦監督の『少女革命ウテナ』だろう)。それまでのアニメの常識を覆すような作品だが、当時王子は若干24歳に過ぎなかった。その天才が9年間の沈黙を破って新作を手がけることが決まり、香屋子がプロデューサーとして彼を支える立場になる、というところから話は始まる。ただし天才は気まぐれで、最初は香屋子も猛烈に振り回される。いきなり失踪して、制作発表を前に作品そのものが空中分解の危機に晒されるのである。
辻村はこうした事件をいくつも積み重ねていく。各章ごとに小さい、しかし真に迫ったエピソードが忍ばせてあるので、アニメ制作という特殊な仕事環境についての知識が知らず知らずのうちに読者の中に蓄積していく。1つの作品を形にしていくことの喜びという普遍的な情熱について、数多くの人間がさまざまな形で言及するので、読んでいるときの手触りはすこぶる熱い。情報たっぷりでしかも燃えるという、理想的なお仕事小説である。

『本屋さんのダイアナ』柚木麻子(双葉社)
柚木麻子も前回『ランチのアッコちゃん』で初めてノミネートを受けた。2度目となる今回は、第151回直木賞候補作にもなった『本屋さんのダイアナ』が候補作となった。執筆意欲は群を抜く存在であるだけに、連続ノミネートは当然である。以前のレビューでも書いたとおり、本作は読書好きの琴線を大いに刺激する設定、物語運びの小説であり、対照的なヒロイン2人を配したチャーミングな作品である。候補作のうちギフトブックに最適なものは『アイネクライネナハトムジーク』だと「その1」で書いた。だとすれば本書は「自分へのご褒美」本としてもっとも向いて入る本なのではないだろうか。うまくいかない人生、実りがないように見える努力でも、続けていれば報われることがあるかもしれない、ということを書いた作品だからだ。
2人のヒロインの名前は大穴(これでダイアナと読む)と彩子である。2人がお互いに相手の中に自分の持っていないものを見出し、そのために強く惹きつけあって親友になる、という発端がいい。ダイアナのママが源氏名ティアラで自称を押し通すイケイケの水商売、というあたりはやや類型的なキャラクターに見えるが、読んでいくにしたがって気にならなくなる。ティアラの過去に仕掛けがあり、それが物語の後半で大いに機能することになるからだ。また、ダイアナと彩子の立場のねじれがそのまま維持されたまま成人するのではなく、思春期の後半戦でかかった外圧によって大きく変化するあたりの展開もいい。それがあるので後半を、本当の自分は今いるこの自分なのか、という内省の物語として読めるようになる。ヤリサー問題などを取り込み、ホモソーシャルな男社会に接した女性を待ち受ける残酷な運命を描いた点もいい。10代の読者からすれば自分の前途に待ち受けている面倒臭さ、30代からすれば思い出すたびに背中が痒くなりそうな痛さを想起させるはずで、誰もが我がことのように感じる書きぶりなのだ。書店員としての職業意識について言及したくだりもあり、内容の多彩さにもかかわらずバランスがいい点は特筆すべきである。

『満願』米澤穂信(新潮社)
若いミステリー・ファンの間では絶大な人気を誇る米澤穂信も、意外なことにこれが初ノミネートである。『満願』は惜しくも直木賞こそ逃したものの、すでに第27回山本周五郎賞を獲得しており、2014年末は「このミステリーがすごい!」などのランキングで上位を独占した。その意味ではビッグタイトルを保持しているのだが、山本周五郎賞受賞作は『ゴールデンスランバー』が本屋大賞を獲った例がある。不利な条件にはならないだろう。
『満願』は、連作形式をとらないミステリー短篇集だ。米澤には『儚い羊たちの祝宴』という「奇妙な味」を意識した作品集があり、それにもシリーズ・キャラクターは登場していない。その路線を推し進め、さらに多彩にしたのが『満願』である。シリーズ設定によりかからず、作品単体の完成度を上げることのみに注力した短篇集であり、この形式の小説を愛する米澤による「短篇ミステリー復活宣言」として本書は読むことができる。
収録作のうち、「夜警」は横山秀夫風の交番勤務の警官をした話であり、チェスタトン式の逆説を警察小説で行った点がおもしろい。続く「死人宿」は変型の犯人当て小説だ。この小説で捜さなくてはいけないのは犯人ではなくて死者、旅館の宿泊客の中に1人だけ自殺を考えている人間がいるので、それを見つけるという話なのである。テレビアニメ『氷菓』の原作となった〈古典部〉や〈小市民〉などのシリーズが有名なので米澤には学園ものの書き手というイメージがあるが、『さよなら妖精』『犬はどこだ』など地理や歴史上の背景を書き込むことに注力した作品も多い。思わず深田祐介『炎熱商人』を連想した「万灯」は、そうした系譜に連なる一篇である。
これ以外にも人間の奇妙な心理状態を描いた作品あり、皮肉なオチが黒い笑いを醸しだすものあり、1作ごとに手法が変わっていて、決して退屈することなく読み進めることができる。そういったところに「お買い得感」があるのも、本書がじわじわとヒットしていった一因なのではないだろうか。新しいマスター・ピースとしてさらなる読者層拡大を望む。

というわけで最後に予想をば。これは作品の評価そのものとは関係ありません。
前回(『海賊と呼ばれた男』)、前々回(『村上海賊の娘』)で大河小説の魅力に取り憑かれた人も多いので、上下巻は比較的強いはずだ。また、お仕事小説や成長小説も相変わらずの人気だろうと推測する。逆に弱いかな、と思うのは、読者層が年齢や性別で偏っていそうなものや、2作入って票が割れそうな作品だ。ゆえに作品の出来とは無関係に『アイネクライネナハトムジーク』『キャプテンサンダーボルト』『土漠の花』は危ないか。また、他の賞を獲得している作品も今回は多いので「判官贔屓」のデメリットはそれほどないと思うが、刊行時期が早いと「もういいのでは」と言われそうである。ゆえに『満願』も予想からは外す。『億男』は作品のスケールが小ぶりなので、これも不利ではないかと思う。
残り5作はどれも1〜3回のノミネートだが、大きな賞の受賞歴がない『本屋さんのダイアナ』、人気のお仕事小説で、かつ文芸畑ではマイナーな版元から出ている『ハケンアニメ!』、直木賞受賞作ながら刊行時期が遅く、まだまだ未読の人も多い『サラバ!』が有利という判断をした。
ズバリ本命『ハケンアニメ!』、対抗『サラバ!』、大穴『本屋さんのダイアナ』でどうだろうか。あ、最後のは洒落じゃないのです。
(杉江松恋)