スポニチ

写真拡大

 ヒット曲「ヨイトマケの唄」や舞台「黒蜥蜴」などで知られる歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが、20日午前9時30分に老衰のため死去した。91歳。長崎市出身。所属事務所が28日、発表した。葬儀・告別式は近親者で行った。お別れの会の予定はない。反戦平和や無償の愛を訴え続けた、波瀾(はらん)万丈の人生の幕を静かに下ろした。 

 美輪さんは家人に「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じた。「まさに眠るように天に召されました」(関係者)。都内で営まれた告別式では、本人が好きだった黄色いバラで祭壇を飾り、棺には応援してくれたファンの手紙を納めたという。

 2023年12月まで計約15年間にわたり、本紙でコラムを連載していた。担当記者とは連載終了後も交流が続いていたが、最後に会ったのは昨年4月。「体力に少し自信がなくなっているので」と言われたという。以降は仕事をセーブして回復に努めていたが、約3カ月前に体調を崩し自宅で静養を続けていた。

 長崎市で生まれ、実家は市内の遊郭の近くでカフェなどを経営。1951年に上京し、国立音楽大学付属高校(東京都国立市)に入学(のち中退)。52年、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」でプロ歌手「丸山明宏」として16歳でデビューした。

 57年、自ら訳詞したシャンソンのカバー曲「メケ・メケ」が大ヒット。進駐軍を回りながら培った確かな歌唱力で魅了し、その美貌から「神武以来の美少年」と話題に。江戸川乱歩や三島由紀夫ら多くの文化人をとりこにした。しかし、同時期に同性愛者だと公表。当時の偏見などから非難を浴び、不遇の時代を過ごした。

 それでも訴え続けたのが、反戦平和や無償の愛だ。10歳の時、長崎市内の自宅で被爆。過酷な戦争体験に根ざした平和への思いは、65年の「ふるさとの空の下で」に込められた。同年の「ヨイトマケの唄」は、実在の親子の話を基にした愛の歌。大きな反響を呼び、のちに代表作と言われるようになった。自作曲を歌う、シンガー・ソングライターの先駆けでもあった。

 俳優としても活躍。寺山修司の主宰劇団「天井桟敷」の「毛皮のマリー」や、三島が脚本を務めた「黒蜥蜴」などに主演。声優として宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」(97年)、「ハウルの動く城」(04年)に出演した。

 豊かな人生経験から、05〜09年までテレビ朝日のトーク番組「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉」に出演。スピリチュアルブームの火つけ役になった。NHK・Eテレ「美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室」(20〜25年)では一般人の悩みに回答。歯に衣(きぬ)着せぬ辛口トークで若い世代にも親しまれた。多くの人を愛し、多くの人に愛された人生だった。

 ≪本紙で15年連載≫美輪さんは2023年12月まで本紙芸能・社会面で連載を持っていた。「世直しトークあれこれ」(05年11月〜06年12月)、「明るい明日を」(08年1月〜11年3月)、「美輪の色メガネ」(13年2月〜23年12月)として約15年にわたり、幅広いテーマについて美輪語録を読者に届けてきた。世の在り方を問い続け、悩める人々に寄り添い、明日を生きる希望を伝えていた。

 ≪公式サイトに愛の直筆メッセージ掲載≫訃報が伝えられた公式サイトには、美輪さんが生前につづった直筆のメッセージが公開された。「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません この世のすべての問題を解く鍵は愛です」と愛の重要性を説く内容。美輪さんが常々口にしていた言葉だという。10歳の時に長崎で被爆した美輪さん。最後は「愛があれば戦争なんか起こりません」という言葉で締めくくられた。

 美輪 明宏(みわ・あきひろ、本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)1935年(昭10)5月15日生まれ、長崎市出身。日本におけるシンガー・ソングライターの元祖として知られ、舞台演出や衣装など多彩な活動を展開。10年、第18回スポニチ文化芸術大賞グランプリをエッセイストとして受賞。12年には77歳でNHK紅白歌合戦に初出場し、以降4年連続で出演した。