覚書にサインした後もトランプ大統領の“口撃”は止まらない。写真は米建国250周年記念イベントに出席した際のもの(写真:UPI/アフロ)


米国とイランが戦闘終結に向けた覚書に署名した。ホルムズ海峡の通航も回復し始め、茂木敏充外相は19日、日本人3人が乗船する日本関係船舶1隻が海峡を通過したと発表。日本人が乗る全ての船舶はペルシャ湾を脱出した。石油化学製品をめぐる現場の混乱にも改善の兆しが見える。それでも、2月までの状態には容易に戻れない厳しい現実がある。

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原油価格は急落、投機的な動きも収まりつつあるが…

 ホルムズ海峡開放への期待もあり、原油相場は米原油先物が1バレル(約159リットル)70ドルを下回り、米国とイスラエルがイランを攻撃した直後の水準まで下がった。

 日本などアジア地域の消費国が中東産原油を調達する際の指標になるドバイ原油のスポット(随意契約)価格も落ち着きを見せている。日本経済新聞の掲載相場で3月19日に169.8ドルという空前の高値を記録した(詳しくは3月31日の本コラム記事を参照)が、投機的な動きも収まり、取引の中心になる8月渡しの価格は6月25日に65ドル台まで下落。高値からの下落幅が100ドルを超えた。

 国際エネルギー機関(IEA)によれば、産油国のタンカーがホルムズ海峡の外にあるオマーン湾まで運び、そこで消費国に向かうタンカーに積み替える「船舶間移送」に支えられ、原油の輸送量は6月初旬に急増。総流量は5月で最も少なかった日量960万バレルから約1200万バレルまで回復した。さらに、米国による封鎖が解除されればイランの石油輸出も完全に再開でき、ペルシャ湾岸からの輸出と生産が徐々に回復するとの期待感が高まった。

 オマーン湾での積み替え輸送は石化原料であるナフサの需給逼迫解消にも寄与している。指標となる東京オープンスペック相場は3月に一時1トン1200ドルを超えていたが、直近では700ドル以下まで下落した。米S&Pグローバル・エナジーが6月4日、都内で開いたセミナー「Tokyo Energy Briefing」では中国が石化原料としてエタンの輸入を増やすなど、ナフサの需要が減退したことも需給の緩和につながったとの見方が示された。

 4月にユニットバスの新規受注を一時停止したTOTOは6月8日、翌9日からシステムバス・ユニットバスの新規受注を通常通り行い、標準納期で対応すると発表した。原材料の供給見通しが立ち、安定的な製品供給が可能になったという。

 こうした状況の変化を並べると、ホルムズ海峡が事実上封鎖されたことに伴う市場の混乱は収束し、「これで安心」と言いたくなるのもわかる。

トランプ氏が再び恫喝、覚書署名の裏でくすぶる軍事衝突懸念

 たしかに、ペルシャ湾岸をミサイルやドローンが飛び交っていた3月に比べ事態が大幅に改善したことは間違いない。とはいえ、「まだ安心できない」という警戒感は付きまとう。

 今回の覚書署名は「最終的な合意に向けたプロセスに合意した」のにすぎず、60日間に双方が条件を守るかどうかは見通せない。

 しかも、今回の合意に加わっていないイスラエルが大人しくしている保証はない。20日には早速、イスラエルが、覚書に違反するレバノン南部への攻撃を続けていると主張し、イラン軍がホルムズ海峡を封鎖すると発表した。

 これに対し、米トランプ大統領はイランがレバノンを拠点とする親イラン武装組織ヒズボラを抑え込まなければ「イランを再び非常に激しく攻撃する」と述べた。CNNの報道によれば、トランプ氏はレバノンでの暴力激化の原因がヒズボラにあると主張。また、バンス副大統領と協議するイラン側の代表団に対し、ホルムズ海峡を開放しなければ決して国に帰ることはできないと脅した。

 覚書に署名しても、実態は大きく改善していない現実があるのだ。

 市場の楽観論通りにホルムズ海峡の事実上封鎖が解かれても、海上物流の正常化には時間がかかる。覚書では30日以内にイランが海峡封鎖を完全に解除し、60日間は通航料を徴収することなく商船の安全な航行を認めなければならないとされている。

ホルムズ海峡南半分には機雷?物流正常化を阻む不透明感

 だが、イラン側はホルムズ海峡の南半分の海域に機雷を設置したと主張し、現在も海峡を通航する船はほとんどがイラン領に近い北部の航路の使用を余儀なくされている。以前の状態に戻るには船舶保険が正常化することが前提となる。そのためにも周辺海域の安全性が確認されなければならない。

 マーケット・リスク・アドバイザリーの新村直弘共同代表は「ホルムズ海峡の封鎖解除が速やかに行われたとしても、原油先物市場が織り込むほどのペースで進むかどうかは不透明だ。市場は今回の交渉の状況を原油安と中東リスク沈静化と判断しているが、ハードルは低くない」と考える。

 高市早苗首相は11日に首相官邸で開いた中東情勢に関する関係閣僚会議で、ホルムズ海峡を経由しない原油の代替調達の割合が「7月に前年平月比で約10割」になると表明した。ナフサについてはすでに5月25日の会見で代替調達によって供給量が平時の80%超まで回復し、川中製品の調達や在庫活用で年明けまで供給の目処がついたと言明している。

 TOTOの発表で分かるように、現場の混乱が改善しつつあることは間違いない。だが、潤滑油をはじめ依然として供給が滞る商品も残る。加えて、原油やナフサの調達はあくまで「代替」であり、中東情勢の先行きと合わせ、どこまで持続可能なのかという不透明さがある。

 実際、石油化学工業協会が18日に発表した5月の国内エチレン製造設備の実質稼働率は68.1%(前年同月は76.1%)。3カ月連続で70%を下回る過去最低水準にある。前月比ではやや上向いたとはいえ、エチレン生産量は前年同月比で22%の減少だ。まだ十分な供給体制に戻ったとは言い難い。

「2月末のホルムズ海峡の実質封鎖以来、当協会の各会員企業においては、国内石油精製からのナフサ調達の継続、中東以外からのナフサ調達の拡大及び製品在庫の活用により、石油化学製品の供給継続に全力を尽くしている」。統計発表時に3カ月連続で石化協のコメントが付くのも異例であり、なお緊迫感が漂う。

 供給量の確保だけでなく、価格についても見ておく必要がある。

値上げの波はこれから、エネルギー確保の構造転換が必要に

 米国では、全米自動車協会(AAA)が集計する米国のガソリン平均価格が25日時点で1ガロン3.918ドルと1カ月前の4.507ドルから大幅に低下した。それでも軽油(ディーゼル)価格は5ドル近く、1年前の3.718ドルを大きく上回る。堅調な景気動向と相まってインフレへの警戒感は消えないままだ。利上げ観測を受け、金価格は一時、7カ月ぶりに1トロイオンス4000ドルを割り込むなど、軟調な動きが続く。

 国内では3月以降の原油高騰を受けた電力・ガス料金の引き上げが今後本格化し、容器などの大幅な値上がりは食品価格に波及していく。

 覆水盆に返らず--。

 米ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙は8日に「ホルムズ危機が露呈した世界的欠陥〜解決には何年も」というタイトルの記事を掲載した。この記事が示すように、今回の危機の本質はホルムズ海峡を閉ざすことで、イランが米国の圧倒的な軍事力に対抗する非対称的な経済的武器を見いだしたことにある。

 イランとオマーンは23日、ホルムズ海峡の管理と「サービス料」徴収について協議を続けると発表した。

 イランが将来、再び封鎖しかねない海峡を通過するエネルギーへの依存度をどうやって下げるのか。新たなパイプラインや輸出ルートの建設に多額の投資が求められるほか、消費国はエネルギーの安定確保に向けて再生可能エネルギーや原子力の比率を増やすことを検討する必要があるかもしれない、とWSJ紙は指摘した。いずれも莫大な資金と長い時間がかかる。

 システムバス・ユニットバスの取り扱いを通常に戻したTOTOの発表文も「今後の発注状況や情勢変化等によっては対応が変わる可能性がございます」と付け加えてある。

筆者:志田 富雄