自分以外の家族全員が亡くなったとき、生き続ける理由はあるのか。作家の岸田奈美さんは、iDeCo(確定拠出年金)の書類を書きながら、自分以外の家族全員がいなくなったときを想像し、涙を流したという。何を思ったのか――。

※本稿は、岸田奈美『傘のさし方がわからない』(小学館)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Yuuji
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuuji

■節税のためにiDeCoを始めることにした

iDeCoの申込書類を書いていた。

iDeCoとは、自分で毎月お金を積み立て、なんやかんやして増やし、60歳になったら年金として受け取れる制度だ。

岸田家はむかしから、カモ顔かつカモ背景をもつ一家であるため、むかしから「やれ金塊を買え」「やれマンションを買え」「やれ精霊の水を飲め」などと四方八方からいいよられてきたので、投資だとか運用だとかには、どんなにおいしい話でもなるべく近づかないようにしている。

そんなわたしがなぜいきなりiDeCoを始めるかというと、税金を節約するためだ。

会社員をやめ、自分で毎月税金をはらうときの驚愕(きょうがく)っぷりったら、他に類を見ない。ふつうに声が出る。レジの人もビビって声が出る。偶然のユニゾン。できるだけ税の恩恵にあずかろうと、区民図書館のカードをつくり、毎月『横山光輝三国志』を数冊ずつ借りるようになった。いつまでたっても21巻が返却されないので読み終わらない。おのれ孔明。

■60歳になったわたしのそばに、きっと母はいない

深夜0時、風呂上がりに贅沢で買った成城石井のグァバジュースを飲みながら、iDeCoの申込書類を鼻歌まじりに書いていく。いまはいとうせいこうの曲をくり返している。

「かけ金額をご記入ください」という項目の下に、小さな字で注釈がついていた。

「60歳以降に受け取れる金額が変わります」

ぴたりとペンを止めた。いとうせいこうも止めた。

60歳になったら、お金を受け取る。いくらにしようか。いくらもらって、なにしようか。

未来を思い浮かべようとしても、なにも見えない。

60歳になったわたしのそばに、きっと母はいない。障害と平均寿命のことを考えたら、ひょっとすると、弟だって。

そんな世界で、わたしだけ生きていくためのお金が、はたして必要なのだろうかと思ってしまった。

父が亡くなったとき、それはもう、つらくてつらくて仕方がなかった。さびしいのに、悲しいのに、くやしいのに、いっぱい泣いたのに、泣けば泣くほど腹がへり、飯を食って眠たくなる自分がいやだった。

■母と弟がいなくなったとしたら…

消えてなくなりたいほどの悲しみの中でも、身体は生きようとする。

そういう日々でも、なんとかやってこれたのは、母と弟がいたからだ。父の死を乗り越えたのではない。正面を向いてスクラムを組み、豪雨と吹雪に耐え、力つきそうになれば互いをゆり動かし、飯をわけあい、たまに冗談もいい、とにかく悪天候が止むのを待つ。気がついたら、晴れていた。わたしたちが送ってきたのはたぶん、そういう時間だ。

悲しみがカルピスのごとくうすまるまで、さみしい時間をじっと過ごせる仲間がいたというだけの話だ。これは、他人では絶対につとまらない。たとえファンが100万人いたとしても、彼らとは、ずっと一緒に過ごすことはできない。

母と弟がいなくなったとしたら、もう、わたしにその不在を乗り越えるだけの体力も気力もない。だって父のときより人数が多いし、思い出も多いし。

はい、無理。ぜったい無理。

涙がぼたぼた落ちて、書類のはしがじわっとにじんでしわになった。

スーパーファミコンのゲームがバグったら、セーブもせずカセットを「オラァッ!」と抜くように、わたしも人生のカセットを抜きたい。星のカービィスーパーデラックスなら確実にセーブデータ飛んでる勢いで。

そこで、プツッと、終えたい。

■未来のことを決めるのが苦手だ

そもそもわたしは、未来のことを決めるのが苦手なのだ。

いままでも1年から3年ごとに、人生に波乱が巻き起こった。家族は死ぬし、歩けなくなるし、川べりで意識を失うし、メンタルはダウンするし。全部、自分じゃどうしようもなかった。

ばかデカいにもほどがあるどうしようもないことを、急ハンドルでさけて、まったく想定になかった道を進み、なんとかその道中の景色を楽しむ。なんか、そういう、計画性とはほど遠い過去ばかりだ。

未来を決めても、それが急ハンドルをきるときにふと浮かんで邪魔をしてきたらと思うとこわいし、どうせ状況が変わって達成できないのだと思うとくやしい。だからわたしの未来にはいつも、“あそび”がある。ハンドルをまわすだけの、あそびが。

写真=iStock.com/kumikomini
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kumikomini

でもさ、人生のカセット、自分で抜くわけにいかないじゃん。

■わたしはこの先で、希望を見つけなければ

もし、父に「いやあ、ごめんごめん。オトンからもらったサザンのライブチケットだけど、ギリギリで行くのやめて、家に帰ってきちゃった。オトンおらんと、おもんないもん」っていったら。

岸田奈美『傘のさし方がわからない』(小学館)

「バカタレ! 行きたくてしゃーない俺が行かれへんのやから、おまえが代わりに輝く桑田をその目に焼きつけて、耳かっぽじって聞いて、すみずみまで俺に教えてくれや! 神聖なライブに空席つくっとんちゃうぞ!」って怒られると思うんよ。サザンのライブが、人生という言葉に変わったとしても。

母だって、弟だって。「いやあ、ごめんごめん。ふたりとも死んじゃってさびしいから、自分も死んでこっち来ちゃった」っていったら、やっぱ「バカタレ!」って怒られると思うんよ。

いや、怒られるより、悲しまれるな。

怒られるのはまだいいけど、悲しませたくないよね。取り返しのつかないことで。

わたしはこの先で、希望を見つけなければ。

人間は希望がないから死ぬんじゃない。死にたくないから希望をつくるんだ。大好きな人たちがいない世界を、それでも生きるだけの価値といえる希望を。

希望の中身は、家族だったり、仕事だったり、するんだろうね。

家族っていうのは、ほら、パートナーとであったり、子どもをもったり、犬を飼ったりさ。自分より若い人に、自分の夢や願いを託すのはしたくないんだけど、生きる希望には、なると思うんだ。

■希望が見つかるのを、見守ってほしい

でも、家族だけじゃ、家族だって荷が重い。希望はまれに誰かの負担になる。希望の中身は、分散できるほど安心だ。

たとえば仕事はどうだろう。わたしはいま、あんまり、一生かけてこれを絶対にやりたいって仕事がない。いまは楽しいから文章書いてるし、ラジオでもしゃべる。才能のある人に、才能のかけらを見つけてもらえたら、それを信じて新しいことに挑戦もする。

大きな木材を、好奇心というノミで、ガンガンけずっているような。うん。希望をほり出してる。いつか見つかるという自信だけがある。

わたしに関わってくれている人たちには、わたしの希望が見つかるのを、見守ってほしい。たまには一緒に探してほしい。わたしをおもしろがってくれたり、読んでくれたりする人の中に、そういう役目を担ってくれる人がいたら、すごくうれしい。希望を見つけるぞという強い意志をこめて、iDeCoの書類にサインをした。夜が明けたら、わたしはポストへ走る。

アカン、また見栄を張ってしまった。

走らず、少しだけ早く、歩く。心は希望に向かって爆走している。

いとうせいこうも、歌ってる。

速度 常に自己新で爆走!

----------
岸田 奈美(きしだ・なみ)
作家
1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。2014年関西学院大学人間福祉学部卒業。在学中に創業メンバーとして株式会社ミライロへ加入、10年にわたり広報部長を務めたのち、作家として独立。2020年1月「文藝春秋」巻頭随筆を担当。2020年2月から講談社「小説現代」でエッセイ連載。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。2020年9月初の自著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)を発売。
----------

(作家 岸田 奈美)