連載「ドキュメント 妻ががんになったら」が書籍化されました!『娘はまだ6歳、妻が乳がんになった』(プレジデント社刊)

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■生きているのは自殺する勇気がなかったから?

医者から妻ががんであることを宣告され、しばらくしてから恐れるようになったのが、妻がうつ病になってしまわないだろうか、ということです。ただでさえ死の恐怖に怯えながら、がんとどう対峙していくかを模索しているときにうつ病になってしまえば、絶望しか残らないように思えました。

「患者の20〜40%、健康な人の2倍以上がかかる」といわれている、がん患者のうつ病ですが、一時的にうつ状態になる人は100%、といっても過言ではないような気がします。サポートする側も、かなりの人が一時的なうつ状態になるのではないかと思います。

がん患者とその家族には、これまで経験したことのないような、ずっしりと身にまとわりつくような時間が流れます。これは慣れるしかないのですが、簡単なことではありません。

当時、小学校に上がったばかりの娘は明るくて元気で、学校生活を楽しんでいましたが、それでもよく咳や瞬きをするようになりました。病院で診てもらっても原因がわからなかったため、どうやらチック症のように思えました。この症状は小学4年生まで続きました。

妻の場合、精神安定剤を飲むまでには至らず、うつ状態になって私がどうしていいのかわからなかった、という時期はなかったのですが、これは妻が家族に心配をかけないよう、密かに耐えていたからです。私の場合、落ち込んでいても仕方がない、しっかりしなければ、と思い直し、まずはお金の心配をなくすよう、妻をサポートしながら、必死になって仕事をしていましたが、不安がつきまとう日々でした。

このようなわが家に、さらに追い打ちをかける出来事が起こりました。妻ががんの宣告を受けてから1年半ほど経った頃、私の仕事がうまくいかなくなり、半失業状態になったのです。さらにその数カ月後に妻が再発。転移先は肝臓で、主治医から「治療をしなければ2カ月もたない」といわれました。妻は落ち込み、死の覚悟をしたのはいうまでもありません。私もかなりまいってしまいました。

あれから4年――精気を削がれるような、つらいことの連続で、私が生きているのは、自殺する勇気がなかったから、といっても過言ではないように思えるくらいです。

「自殺する勇気がなかった」と書くと、なんて情けない奴だ、と不快に思う人は多いでしょう。ただ、妻の闘病、仕事、お金という深刻な悩みが3つも続くと、冷静な判断力はなくなり、思いやりの言葉や励ましの言葉をかけられても、所詮他人事の言葉、としか思えず、イライラするようになります。これは常に追い詰められた状態が続くからです。

■励ましの言葉は何の役にも立たない

昔、安達祐実が主演したテレビドラマ『家なき子』で、「同情するなら金をくれ!」というセリフが注目され、新語・流行語大賞にも選ばれましたが、私の気持ちも、まさにそのような状態でした。

性格が完全にねじ曲がってしまった、といってもいいかもしれません。たとえば、わが家が不幸になれば幸せになる人もいる、と信じて疑わないようになりました。これは昔から「人の不幸は蜜の味」といわれているからです。

一番苦しかったのは、お金がないことで妻を苦しませたことでした。夫としての価値はない、と思ってしまうのはもちろん、なぜ自分は生まれてきたのか、と自分の存在すら疑問に思うようになり、妻を苦しめるために生まれてきたに違いない、とまで思うようになりました。

ここまでくると人と会うのがイヤになり、なぜわが家がこんな目に遭わなければならないんだ、という思いから被害妄想へとつながり、世の中すべての人が敵に思える時期もありました。先祖の祟りか? 少なくとも守ってはくれない、と先祖をも怨んだ時期もあるほど、追い詰められました。ここまでくると、自分の体に流れている血が汚らわしく思えてしまいます。

治療を続けることで家族が不幸になる、と思った妻は、治療をやめようと何度もいうようになり、そのたびに私は反対しました。しかし、お金がなければ生活は苦しいままで、ただでさえ闘病でつらい思いをしている妻を、さらに苦しめることになります。

わが家がお金で困っていることは娘も知っていました。そのことで我慢してくれたりしたのですが、友だち関係で気になることがありました。お金持ちや華のある子たちを避けるようになったのです。時には大した理由もないのに、憎んでいるように思えることもありました。家で惨めな思いをしていたからでしょうが、娘の心の闇を見たような気がしました。

そしていつの日からか、私も妻もうつになっていました。お互いに薬を飲むことを拒んでいますが、私は人と会ったり、親の声を電話で聞いたりすると体調を崩すこともあり、くだらない映画を観るとなぜか涙が出たり、音に敏感に反応して精神がピリピリしたり、ひとりごとを呟くことが増えたりするなど、挙げればきりがないほど、感情のコントロールが利かないことが増えました。

■「お金がない」は闘病以前の問題

妻は緩和ケアで泣きながら悩みを聞いてもらうようになりましたが、娘の前では元気に振舞っていました。死期が近づくと人間は悲惨な状態になる、ということが娘のトラウマにならないよう、必死になって堪えていたのです。

極度の我慢をすることは地獄です。生まれてこなければよかった、と思うほどです。

そのうち私は取材して文章を書くことができなくなりました。そのため自宅のみで仕上げることができる校正の仕事をメインにするしかありませんでしたが、こちらのほうが儲かり、光が見えてきたのです。

書く仕事をほとんど捨てることになったため寂しく思いますが、お金の問題が解決する兆しが見える仕事をすることに、やりがいを感じることはできました。そして、少しですが、気持ちに余裕がもてるようにもなりました。いうまでもなく、お金を稼げば稼ぐほど、妻を安心させることにつながり、自分の存在意義も見出せるからです。実際、妻も私もうつ状態がかなり改善しました。

闘病者はもちろん、サポートする側も、うつ状態で今の仕事をすることに限界を感じているのなら人事部に相談し、異動願いを出すべきだと思います。たとえ花形部署にいたとしても、です。がんという強敵と対峙するには、うつ状態では勝ち目がない、といっても過言ではありません。

一筋の光が見えてきたわが家では、以前よりも家族同士、思いやる気持ちが強くなりました。この気持ちが弱まれば、運が逃げていくような気がするからです。私の場合、家族に対して、ゆっくりしゃべるよう心がけています。そうすることで、自然とやさしい口調になるからです。特に気持ちに余裕がないときは、このことを自分に言い聞かせるようにしています。

「お金の心配が一番体に悪い」と妻はいいます。私も妻を見ていて、そう感じていました。このことはサポートする側にしてもそうです。お金がないということは、闘病以前の問題といってもいいのかもしれません。お金があってもがん闘病はつらいものなので、もうこれ以上、妻を苦しめないために、これからも必死になって働いていこうと思っています。

(ジャーナリスト 桃山透=文)