漫画家・猿渡哲也が選ぶ、新日本プロレス名勝負ベスト3
今、プロレスが熱い! 中でも1972年にアントニオ猪木が旗揚げした老舗団体・新日本プロレスは全国の会場を満員のファンで埋め、新黄金時代を築こうとしている。一時期は総合格闘技ブームに押され停滞していたプロレスに、かつてのファンが戻ってきている。長年にわたり格闘技を題材にした作品を多く描いてきた漫画家・猿渡哲也もそのひとりだ。猿渡氏に、記憶に焼きつく新日本プロレスの名勝負ベスト3を聞いた。
■「タイガーマスクは、
漫画を現実で体現していた」
猿渡:幼い頃から観ていましたけど、当時、ウチの田舎(福岡県)では国際プロレスしか放送(TBS系列)してなかったんですよ。新日本と全日本に関しては噂で聞くくらいで。それこそ、『ジャイアント台風(タイフーン)』(講談社)っていう漫画を読んで「ジャイアント馬場はすごい!」って妄想を膨らましてたの。で、後に全日本も放送されるようになって初めて動く馬場さんを見たとき、「え、こんな年とってたんだ」ってガッカリした覚えがあるね(苦笑)。その頃には新日本の放送も始まって、当たり前のように観ていましたよ。
―― それ以来、ずっとプロレスファン?
猿渡:いや、思春期の頃にプロレスから離れた時期もありました。「これはどうせショーなんだ」っていう、思春期ならではのひねくれた感じでね(笑)。でも、その後1981年だったかな、平松伸二先生のアシスタントになったのがきっかけでプロレス熱が復活したんです。平松先生がプロレスを題材にした作品を描いていたんですよ。
――『リッキー台風』(集英社)でしたね。
猿渡:そう。だから、否が応にも仕事としてプロレスを観ることになって、またファンとして目覚めたんです。
―― 第2期プロレスブームが来たわけですね。
猿渡:それまでは、一度熱が冷めてしまったものを再度好きになるなんて、自分の人生ではあり得なかった。それなのに、その時はガッツリとプロレスにハマったんです。
―― ハマッたきっかけは何だったんですか?
猿渡:タイガーマスクのデビュー戦ですね(vsダイナマイト・キッド 1981年4月23日、蔵前国技館)。これをベストバウトの1位に選びます。最初は「これはショーだ」ってうがった目で観ていたけど、タイガーの動きの素早さだったり、試合の展開だったり......まさに漫画を現実の世界で体現していましたよね。僕が東京に出てきたタイミングだったし、思い入れがあります。確かデビュー戦では、リングインの際にコーナーポストに立って天に指を突き刺すポーズはしてなかったんじゃないかな。ダイナマイト•キッドとの一連の試合は、あそこまでエンターテインメントとして観客を沸かせるのはすごいと思いましたよ。
―― エンターテインメントとして観たわけですね。
猿渡:個人的な意見だけど、いわゆる「シュートが強い」と言われている選手の試合って、あまり面白くないんだよね。それよりもタイガーだったり、今だったら棚橋弘至選手のような、華やかさで魅せる選手のほうが僕は好きですね。最近、よく会場に観に行ってますけど、今の新日本は本当に面白いですよ。
―― 最近の新日本は第1試合からメインまで、選手のキャラがそれぞれ際立っていますよね。
猿渡:そう、「ストロングスタイル」からの脱却というか、エンターテインメントに徹している部分があってすごく楽しく観られますね。もちろん、レスラーの肉体や技に説得力がなきゃいけないけど、それより観客を飽きさせないこと。そこが、格闘技にはないプロレスのすごさだと思う。
■「猪木の舌出し失神は衝撃的でしたね」
――では、ベストバウト2位は何でしょう?
猿渡:アントニオ猪木vsハルク•ホーガンの第1回IWGP決勝戦(1983年6月2日、蔵前国技館)ですね。エプロンサイドに立つ猪木を、ホーガンがアックスボンバーで場外に叩き落としてKOした試合です。猪木は舌を出して失神して病院に運ばれましたね。とにかくあの結末は衝撃的でした。確か、一般のニュースでも流れた記憶がある。「猪木、どうなっちゃうの?」って本気で心配したもんね!
――あれは世間を騒がせた事件でしたよね。
猿渡:3位に挙げたいのも猪木の試合で、長州力との一騎打ちです(1988年10月19日、静岡産業館)。長州が手首から大流血して、一方の猪木も額から大流血して錯乱状態になった試合。当時はテレビで観ていて「ちょっと不可解な試合だな」と思っていたんですが、後年ある人に「あれはアクシデントで流血に追い込まれたけど、それでも最後まで試合をやりきったふたりはすごい」って話を聞いてね。再度映像を観て、あらためてプロレスラーのすごさを知りましたね。
――3試合中、猪木の試合が2つ挙がりましたね。
猿渡:猪木はプロボクシングの世界ヘビー級王者だったモハメド•アリと、相手の条件を全部飲んで、かつ多額の借金を背負ってまで闘いましたよね(1976年6月26日、日本武道館)。今考えてもホントにすごいことだと思いますよ。あと、インパクトが強かった試合だと、物議を醸した橋本真也vs小川直也(1999年1月4日、東京ドーム)があったでしょ?
――総合格闘技モードの小川が、プロレスの範疇を逸脱した攻撃で橋本をボコボコにしてノーコンテストになった試合ですね。
猿渡:あの試合の映像を知人の格闘家と一緒に観ながら、小川のセコンドにいたジェラルド•ゴルドーの怖さを教えてもらったりして、昔はわからなかったプロレスの奥深さを知っていきましたね。
■「新日本の柴田勝頼に生き様を感じる」
―― 見方が変わってきた訳ですね。ところで、いろんなプロレスラーと交友関係もあると思うんですが、思い出に残っているエピソードはありますか?
猿渡:船木誠勝さんに絞め落とされたことがあります。昔、彼はうちに来ると必ず僕を絞め落としてましたよ。1日で5回落とされたこともあるなぁ。
―― 1日で5回!
猿渡:チョークスリーパーだと呼吸ができなくて苦しいけど、頸動脈を絞められる分には数秒で眠るように落ちれます。ウチの担当編集者も何度落とされたかわからない(笑)。
―― プロの凄味を身をもって体験したわけですね。でも、素人は絶対にマネしてはいけません。
猿渡:そうですね。プロの凄味といえば、いつだったか船木さんに、「プロレスラーになって嫌だったことは?」って聞いたら、「例えば首を痛めているときでも、相手はそこを狙ってくるし、避けても避けきれない技がある」っていう話を聞いてね。実は僕、この前足を骨折したんですけど、「その骨折してる足を蹴らせて」って誰かに言われたら、本気で抵抗しますよ(笑)。だけど、プロレスラーは負傷箇所を攻撃されることなんて当たり前ですよね。そのプロ意識は本当にすごいなと思います。その上、リングは四方から観られているから隠そうと思っても隠せない部分がたくさんあるし、その中で体を張っているのはすごい仕事ですよ。
―― 今、先生が描いている『ロックアップ』も、まさにプロレスラーの凄味を描いた作品ですよね。
猿渡『ロックアップ』の主人公・サムソン高木は極貧団体の社長レスラーで肉体は満身創痍、さらに癌を患って......というキャラクターなんですけど、実際のプロレスラーにもそれに近いことをやっている方はいると思うんですよ。サムソン高木は、人間が生きる社会の中での苦しみを全部引き受けている男。それでもプロレスをやっていきたいっていう「生き様」がある。それが描ければいいなと思ってるんです。
―― 先生が「生き様」を感じるプロレスラーは誰ですか?
猿渡:新日本にリターン参戦中の柴田勝頼です。彼は一度新日本を出ていって総合格闘技に挑戦しましたよね。最初は勢いで相手にガーッと突進するけど、寝かされると何もできない(笑)。戦績はボロボロだったけど、負けても記憶に残るプロレスラーらしいファイトをした。それって格闘家としてはナシだけど、プロレスラーとしてはアリなんですよ。
―― 確かに!
猿渡:昔、高田延彦がヒクソン•グレイシーと闘って負けましたけど(1997年10月11日、東京ドーム)、あの時も高田の「生き様」を感じたもんね。いくら負けて恥をかいたって、そういう闘いに出ていく度胸を俺らは観ているんだから!
―― 年を重ねるごとにプロレスの見方は変わっていくものなんですね。
猿渡:小学生の時の第1期、20代の第2期、50代になってからの第3期......それぞれ楽しみ方が違います。単純に一方の角度から観て楽しむだけじゃなくて、興行論だったり舞台裏の話も含めて楽しめるようになった感じかな。それだけプロレスって奥深いですよ。
"Show"大谷泰顕●文 text by "Show"Otani Yasuaki
