「パラレルワールドにいるような感覚でした」

【画像】SAOさんを世界的な有名人に押し上げたポストはこちらから。何気ない内容だが、インプレッションは現在9000万近くにまで伸びている

 何気ない1枚の写真を添えたXの投稿が世界中で拡散し、一躍時の人になった「SAO」こと荒木佐保里さんは、バズった当時をこう振り返る。7000人ほどにとどまっていたフォロワーは一気に40万人へと激増。イーロン・マスクにも言及され、海外の大型イベントにも招待されるなどまさに「時の人」となった。

 もともとアイドルとして活動するも、引退したのちに金融OLとモデルの二足のわらじで活動しているというSAOさんに、「世界的バズ」の経緯や当時の心境、さらに知られざる生い立ちを聞いた。


写真1枚を投稿したポストがきっかけに、世界的有名人になったSAOさん ©杉山秀樹/文藝春秋

何気ない1枚が、世界的に有名な写真になった

 2025年7月25日、SAOさんは「おはよう」という一言に自身の写真を添えて、Xに投稿した。これは彼女が1年ほど前から続けている朝の日課で、この日はモデルの仕事で着たグレーのスーツに黒のバインダーを手に持った「OL風」の写真だった。

 この何気なく投稿した1枚が世界の人々の目に留まり、写真を基に合成した動画がX上で拡散。ついには、イーロン・マスクがミーム動画を引用する事態に発展した。

「『ザ・日本人OL』としてアイコン的に捉えられたようで、ハリウッド女優と比較して『どっちが好き?』と投票を募る投稿や、元画像からAIで生成した私の動画などが、Xで広く拡散されました。

 外国語なので文脈が理解しきれないものもありましたが、ひとまずバズったミーム投稿に『Im here(私はここにいます)』と添えて引用リツイートしたところ、数時間でフォロワーがまずは20万人まで伸びて。ただただ驚きました」(SAOさん、以下同)

 大元の投稿は、10日間で8000万回以上のインプレッション、23万件以上の「いいね」を獲得。フォロワー数も最終的に40万人を越えた。

「辻ちゃん加護ちゃんみたいになりたい」もともとはアイドルを目指していた

 長崎県のごく一般的な家庭に生まれたSAOさん。相当なシャイだったが、小学生時代に「モーニング娘。」に熱中し、アイドルへの憧れを募らせていった。特に辻希美さんと加護亜依さんのユニット「W(ダブルユー)」が好きで「私も2人みたいになりたい」と、毎日YouTubeを見ながらアイドルソングを歌う日々を送った。

 転機が訪れたのは高校生のとき。「長崎のアイドル募集」と書かれたチラシを見て、友人と一緒に応募したところ晴れて合格。SAOさんを含む10代のメンバー6人でアイドルグループが結成され、路上ライブやイベント出演などのアイドル活動を開始した。

「当時は『ミユ』という名前で活動していて、『ミススマイル』がキャッチコピーでした。若かったせいか謎の自信があって、恥じらいはなかったです。『ファンを増やして東京に行くぞ!』と野心を燃やして活動していました」

 しかし、方向性の違いから、わずか1年ほどでグループを脱退。芸能への夢をあきらめきれずモンモンとしながらも学業に専念し、地元の大学に進学した。大学時代は短期のアメリカ留学を経験するなど充実していたが、やはり心残りを消化しきれず、大学3年生で休学し、身ひとつで上京した。

「演技のスクールに通って、エキストラをしたり、オーディションを受けたりしながら事務所に所属するチャンスを探しました。でも、長く演技をしてきた人と比べると、どうしても劣ってしまう。1年間、東京であがいてみたものの、どうにも道筋が見出だせず長崎に戻って復学しました」

 大学卒業後は、再び上京して一般企業に就職。ありふれた社会人生活を送っていたSAOさんだったが、あるSNS投稿をきっかけに芸能の道へ舞い戻ることになる。

アイドル復帰への道を開いた「1枚の写真」

 SAOさんを再びアイドルの世界へと連れ戻したのは、友人が撮影してくれた写真だった。

 こちらを振り返っている姿の写真がInstagram上で大きく注目されると、200万以上のインプレッションを獲得。当時、約4万人だったフォロワーは、このバズで一気に10万まで増えた。SAOさん本人は「なぜこの写真だけがそんなに拡散されたのかわからなかった」と話す。

「色々な人に聞いてみると、『透明感』『普通さ』『AIっぽさ』が目に止まったようでした。このバズを通じて、DMで『アイドルのスカウト』があり、再び芸能の道を歩み始めました。

 すでに20代中盤で、アイドルとしては若くない。ですが、以前にアイドルをやめたときの後悔がずっと残っていたので、『もう人生で後悔はしないぞ』と決めていました」

 このときSAOさんが所属したのが、歌って踊れるガールズグループ「東京ガールズブラボー」だ。8人中6人がダンス経験者で、激しいダンスパフォーマンスをウリにしていた。一方、SAOさんはダンス初心者。必死に食らいついたが、その差を埋めるのは並大抵ではなかったという。

「約1年半にわたって在籍し、握手会やチェキ会、ライブなどをたくさんやらせてもらって、ファンの方々との時間はとても幸せでした。自分のなかでは『やりきったな』と思えたので、卒業を決めました」

「働き方」や「収入」は変わった?

 その後はモデルと金融OLという二足のわらじを履く生活の中で、想定外のバズによって急激にフォロワー数が増えたSAOさん。米国最大級のポップカルチャーイベントの1つ「L.A. Comic Con 2025」にゲスト出演したり、「Pocari Sweat(ポカリスエットUSA」のブランドビデオに出演したりとさまざまな経験をしている。

 以前とは生活が様変わりしているようにも映るが、SAOさんの肩書は今も「モデル兼金融OL」のまま。海外での仕事も増えているなかで、どのように芸能業とオフィスワーク2つを両立しているのか。

「現在の会社には、入社当初から柔軟な勤務スタイルを受け入れていただき、芸能活動と無理なく両立できていました。バズの後は、米国でのイベント出演のために約2週間のまとまったお休みをいただきましたが、特に芸能活動がなければ、週5で勤務しています」

 ちなみに、金融領域を選んだ理由は「自分の生活や経済状況に直接影響する分野なので、常に勉強をしていたいと考えたため」だという。仕事はオフィスワーク中心で、主に発信業務に携わっている。意外にも、一部の社員を除いて、多くの社員はSAOさんが芸能活動をしていることを知らないのだとか。

「私からは芸能活動について話さないし、知っていたとしても周囲も触れないという感じです。フレキシブルな働き方が浸透している社風なので、私が少し長めにお休みにしても、あまり目立たないんですよね」

 ちなみに、気になるのが収入事情。バズった後、変化はあったのか? 続く記事では「渋谷のカフェで外国人から声をかけられる」ようになるほど世界的な有名人になった後の収入の変化や、アンチからのコメントに対する思い、自らをモデルにした“通貨”が勝手に発行されていた衝撃の事件など、有名になった後のさまざまなエピソードを聞いています。ぜひ、合わせてお読みください。

なぜ「普通の日本人女性」に世界が熱狂? 勝手に合成動画や「通貨」まで作られ…《元アイドルの金融OL》が直面した“数奇な体験”〉へ続く

(小林 香織)