ボクシング元世界2階級王者・井岡弘樹が語る「死と隣り合わせだった」アルコール依存症との闘い
酩酊状態での徘徊や″窃盗″騒ぎ、4度にわたる入退院
「意識が戻ったとき、僕は病室のベッドの上にいました。名札には自分の名前と生年月日、それに入院日が書いてあるんですが、その日付が10月18日だった。初めて世界チャンピオンになった日と同じ日付だったんです」
ボクシング元世界2階級王者の井岡弘樹(57)は、おぼろげな記憶を辿るように言葉を繋いだ。井岡は昨年10月18日、大阪市内の自宅から食道静脈瘤の破裂で救急搬送。医師が妻の絵美さん(54)に「覚悟してください」と宣告するほど重篤だった。
当時、井岡は重度のアルコール依存症を患い、依存症治療で入退院を繰り返しており、このときで4度目となった。絵美さんが「モンスターと闘っていた」と嘆くほど凄絶だったアルコール依存症との死闘を、井岡本人が振り返る。
「現役時代は減量があるのでアルコールは一切口にしなかった。引退してからですよ、お酒を飲み始めたのは」(井岡)
’87年10月18日。井岡は日本人最年少となる18歳9ヵ月で、WBC世界ミニマム級王座を獲得した。名トレーナーであるエディ・タウンゼント(享年73)の最後の弟子として、現役時代はボクシング漬けの日々を送る。世界4階級王者の井岡一翔(37)は、彼の甥にあたる。引退後の’02年に「井岡弘樹ボクシングジム」を開設。翌’03年2月1日、元航空会社CAの絵美さんと結婚した。
「この頃は夫婦で食事に出かけて、お酒を楽しく飲んでいました。23時を過ぎると夫が眠たくなるので、それでお暇(いとま)する感じでした」(絵美さん)
毎晩晩酌はしたが、朝6時には起床。10kmのジョギングは引退後も欠かさなかった。そんな平穏な日常に異変が起きたのは、コロナ禍のことだった。
「緊急事態宣言を機にボクシングジムを休業することになった。自宅で待機する日々が多くなるにつれて、飲酒する時間も増えていったんです。それまでは、毎日13時から21時までジムで過ごしていました。しかし、ジムを休業して家で過ごす時間が増えると、途端に何をすればいいかわからなくなり、酒に溺れるようになってしまった」(井岡)
症状が決定的に悪化し始めたのは、’22年12月頃だったという。
「それまで飲むのは夜だけだったのに、朝起きてすぐお酒を飲むようになった。少し寝て、昼間からまた飲んで数時間寝る。夕方に起きてまた飲む、という生活を繰り返すようになりました」(絵美さん)
この状態を、専門用語で「連続飲酒」と呼ぶ。井岡は病院で検査を受け、酔って記憶をなくす『ブラックアウト』が前段階で、それを繰り返していると誰でもアルコール依存になる可能性があると知った。当時すでに、井岡は『ブラックアウト』に近い状態を経験していたという。
「まさか、自分がアルコール依存症になるとは思いもよらなかった。酒に浸るきっかけがあったわけではないのに、25度のワンカップ焼酎(200mL)5本をストレートで一気飲みするなど、酒量は増えていきました。あらゆるお酒を口にしました」(井岡)
『FRIDAY』2026年7月10日号より
取材・文・PHOTO:取材・文/加藤 慶(ノンフィクションライター)
